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ルークさま、はじめまして。
私は一昨年から知人の誘いで一年間教会生活をしていました。 イエス様は以前から大好きでしたが、 教会の信仰があまりにも熱心で最初につまづきを覚えながらも、 次第に自分の神に対しての自己中心的な生き方や考え方、 自分の心の汚れや悪意に気づき、神の愛に癒されるようになりました。 いつしか、自分にとって、神という存在や主日礼拝が なくてはならないものとなっていきました。 もちろん、形だけの信仰生活ではなく、 第一に神を考え、神の御心を考えるようになり、 次第に自分でも驚くほど、神とつながっている実感を 持てるようになったのです。 これは、信仰に生きる人にしか分からない体験だと思います。
ですが、所属していた教会が、 世間では新興宗教と言われ、問題が摘発されていることを 知り、大変戸惑いました。 しかし信仰が根付いている信者にとっては 疑う余地もなく、この社会的非難は迫害だ、 本物だから迫害を受けるのだと信じてやまないのです。
私としては、個人として神とつながった感覚は大変喜びでしたが、 教会での神の愛に限界を感じるようになっていました。 制約もあり、自由が奪われた気がしてなりませんでした。 そして、『罪』と『裁き』、『救い』について、 悶々とするようになっていきました。 また、やはり自分で考える限りでは、 キリスト教の教えと矛盾も生じていたのです。
ただ個人としての救いを望んで教会へ通っていたわけではなく、 世界がよりよく、平和になるためには、 まず個人が自分をよりよく作り、個の平和を完成させることが 必要だという文句に強く惹かれていたので、 他教会や他宗教を間違いとし、 ここが唯一の救いの道だと主張することに 強い疑問と反発心が起こりました。
そんな時に出会ったのが ベストセラーにもなった 『神との対話』(サンマーク社)という本です。 ご存知でしょうか? この本の内容はクリスチャンや宗教者にはあまりにも衝撃的で、 悪魔や低俗な霊が書いた本だと感じるかもしれません。 神自身がが、今ある宗教や教えの過ちを指摘しているのです。
私もはじめ、斬新的な記述に驚きを隠せませんでしたが、 これこそ神の愛ではないだろうか…と 思うようになっていきました。
誰に相談していいかも分からず、 自分で決断して離れた教会。 ですが、やはり信仰生活を失った今、 どこか虚しく、教会生活を恋しく感じているのです。 あの、皆との一体感、神との一体感をまた味わいたいのです。 ですが、『神との対話』を知った以上、 簡単に教会へ戻ることができません。
クリスチャンの方にもぜひ読んで頂きたい、 とおっしゃる牧師先生もおられるようです。 その方はブログを途中で終えてしまったようで、 現在連絡が取れません。
ルークさま、もしご負担がなければ、 『神との対話』を読んでいただき、 クリスチャンとして神を信じる立場から ご意見を頂ければ幸いです。 どうか、この迷える子羊を導いて下さりますように…。 |