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クリスチャンになる以前の長い年月(半世紀以上)に、人間関係、職場関係、個人的活動などにて、さまざまな事件がありました。全体を通して、ヤコブの物語に通じます。計算高く、策略的で、ずる賢く、自己中心な自分…どれも、同じです。 でも、クリスチャンになるまでの、数々の失敗や数々の成功(この世的な)は、やはり、神に選ばれた器に対する試練だったのでしょうか。それにしては、その間、神から(ヤコブのように)なんらの啓示も得ていません。当然でしょうが。それでも、今思うと、ここ人、あの人を通じて受けた言葉や失敗の事実などが、神の啓示だったのかもしれない、とも感じます。 ノンクリスチャン時代の人生のイロイロな事件を、どう捉えたらいいのでしょうか。お教え願いたし。(なお、ごく最近、その延長線上の事件でペヌエルの経験を味わい始めました)。 |