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アイドリング・ライフのすすめ

ファイル 223-1.jpg日経夕刊に『禅的生活のすすめ』と題する芥川賞作家で禅僧の玄侑宗久氏のコラムがあった(前にも紹介した)。現代日本の問題はキリスト教の悪影響を受けて、社会が管理化されているとし、キリスト教的価値観に対して禅的な価値観で生きることを勧めている。彼の聖書理解はやや偏向しているが、キリスト教の理解に対しては私的にはきわめてアーメンなので(うん、これも下の「神化が足りない」と同じセンスか・・・)、ちょっと紹介しておこう:

今話題の賞味期限も日本人の感性に合わない。食えるか食えないかは自分で判断すればいい。期限を守って捨てるのはもったいないし、現物を見たりにおいをかいだりする能力も衰える。

禅的生活とは言い換えれば、予断を持たずに今の足場に立つということです。予断を持つから苦しみが生まれる。・・・想定外のことが起こると誰しも心が揺らぎますが、この揺らぎを昔の人は『風流』と呼んだ。揺らぎを楽しめる人こそ風流な人です。そういう心構えならば困難があっても何とかなります。

今の瞬間を楽しむのが禅の考え方です・・・。

しかし、彼は記者の「死んだらどうなる」の質問に

なるようになります。心配しなくていい。予断が苦しみを生むのです。

と回答している。ここはキリスト者的には「う~ん」ではある。禅者とキリスト者のディメンジョンの違いがここにある。

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