終末の兆候
K-1ファンの私的にはちょっとショッキングなニュースだ。マイク・ベルナルドが薬物自殺。彼のサイン入りブロマイドを持っているほどだ。彼は世間ではクリスチャンとして知られているわけで、記事にはこんな文が:
一方、数年前に離婚。昨年12月にはカラコダ氏とともに会社を立ち上げたが、「多くの人に取り囲まれていたが、同時に孤独にもさいなまれていたようだ」(カラコダ氏)。別のK-1関係者は「ベルナルド氏は、精神的に不安定な面があった。敬けんなクリスチャンで、心の隙間を信仰心で埋めていたようだ」と語る。
この事件はある意味サタンの"栄光"となる事件だ。何故彼は自死へと追い詰められたのか分からないが、少なくともクリスチャンは必ず霊的な敵の攻撃を受ける。これは宿命であり、特に私たちが主の血潮、十字架、御言葉、御霊といった基本真理に目覚め、その上に自分を築き、さらに主のみ心を実行するようになることを、敵はもっとも恐れるのだ。すでにニッポンキリスト教において証明されるように、御言葉を毀損し、真理を侮る狂気の入った者たちが跋扈する時勢だ。すでに反キリストの霊が蔓延し、セルフ教がはびこっている。クリスチャンは以前にも増して防護する必要がある。救いの望みの兜(敵による絶望感とか、中傷などに対する)、義の胸当て(私たちの義は自分由来ではなく、神の義であるキリストご自身)、真理の帯(格闘技では腰の強さが鍵)、平安の福音の靴(立つところはキリストにある平安)、信仰の盾(防御の鍵)、最後に御言葉の剣(唯一の攻撃の武器)。そして何よりも御霊による祈り(Eph 6:11-18)。私たちの祈りは宇宙を変革する。この点では再建主義の富井氏の奨励にまことに同意する次第。なぜ?・・・神が動いてくださるからだ。
敵の終わりの時代の策略は、私たちの生存を脅かすことや肉体への攻撃よりは(いずれこれも起こり得るだろう)、偽りによる真理の毀損だ(John 8:44)。特に血潮や十字架による死と復活の原則など、アダム(セルフ)系列からキリスト系列への転換を決して認めたくない存在があるのだ。そう、あの者だ。再建主義の富井氏ですらこの系列転換を強調されている*1。今こそ、ナンセンスな神学論議や伝統習慣から離れて、私たちは原点に戻るべし。ニッポンキリスト教からのエクソダスの時期は終わった。あとはそれぞれの決断に従ってその実を刈るだろう。この業界は荒廃し、荒れ果てる。しかし、そこから真のエクレシアの肢体をひとり、またひとりと、神は召し出されている。まことのキリストの花嫁を得るためにである。そして花嫁はかく叫ぶ、
参考:
1.サタンの要塞について
2.霊的戦いについて
3.死と復活の原則について
4.JAVAと信仰
*1:アダム系列にあるのがモーセ律法、キリスト系列に働くのがいのちの御霊の法則である。再建主義はこの法則の切り替えがどうしても見えないようだ(→祭司制と律法について)。
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マイクベルナルド氏が自死してしまったのは残念だと思う。屈強、強靭な肉体を手に入れていても、霊的な敵に対する防御力や攻撃力は持ち合わせていなかったのだろうか。自分も悪霊とも言うべき存在を一度見た事がある。2003年頃のある夜、自室でせんべい布団に仰向けで寝ていたのですが、天井付近に首から上だけの何とも恐ろしい形相の緑色した顔が浮かんでいた。私は金縛り状態に近かったので顔を背けるのがやっとでしたが背けた後また浮かんでいた付近の天井に視点を戻したがその存在は無かった。まあ前日ホラー映画「リンク」を視聴していたのでその影響があったのかもしれない。そのTVに恐怖を喚起させるために生首の映像のサブリミナルメッセージが埋め込まれていたかもと推測もしたけど謎の体験しています。また逆に穏やかな暖かい光の存在を睡眠中に観たことがある。何ともな恍惚感で、目が覚めたら涙をながしているのに気が付いた。イエシュアの存在だったのかもしれない。神は居られると思う。地上の人類の闇を早く取り除いて本来あるべき光の国を再建くださることを願います。