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嗚呼、玉杯に花受けて

武道館と言えば毎年年末の矢沢のライブでお世話になる。あのステージで燃える矢沢ワールドが展開する。ちなみに、なんと、不肖Dr.Lukeも武道館のステージに立ったことがあるのだ。しかもTVで放映された。・・・そう、はるか昔、学生時代、『旧制高校寮歌祭』なる祭典があったのだ。そこに東大のはるか先輩たちと共に『嗚呼、玉杯に花受けて~!』とやったのだった。いや、懐かしい。同祭典は平成22年まで続いていたようだが、50回を機に終了。そしてまた昨年復活した。ただし、武道館ではなく学士会館でだ。


一、
嗚呼玉杯に花うけて 綠酒に月の影やどし
治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て
向ヶ岡にそゝりたつ 五寮の健児意気高し

二、
芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ
清き心の益良雄が 剣と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か 人生の偉業成らざらん

三、
濁れる海に漂へる 我國民を救はんと
逆巻く浪をかきわけて 自治の大船勇ましく
尚武の風を帆にはらみ 船出せしより十二年

四、
花咲き花はうつろひて 露おき露のひるがごと
星霜移り人は去り 梶とる舟師(かこ)は變るとも
我のる船は常へに 理想の自治に進むなり

五、
行途(ゆくて)を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある
破邪の剣を抜き持ちて 舳に立ちて我よべば
魑魅魍魎(ちみもうりょう)も影ひそめ 金波銀波の海静か

漢文は高校時代に中島敦の『山月記』の美文に触れてはまった。あのピッシとした漢文のリズムが好きで、声を出して詠じると何とも言えない気分を楽しめたものだ。ちなみに『三国志』の悪役曹操は漢詩の大家でもあり、かなり格調の高い作品を残しているのだ。彼の作品をして『楽府』と称するようだ。当時の荒れ果てて、一時は漢民族の人口が1/10に減った時代、彼は自由な作風を展開した。彼の一つの作品、彼が赤壁の戦いで敗れた時、命からがら逃げた際に歌った詩-

却東西門行

鴻雁は塞の北に生る
乃ぞ無人の郷に在り
翅を万里の余に挙げ
行くも止まるも自から行を成す
冬の節には南の稲を食らい
春の日には復た北に翔く

田の中に転蓬有り
風に随いて遠く飄い揚がる
長に故の根と絶れ
万歳までも相当たらず

奈何せん此の征夫
安んぞ四方を去るを得ん
戎の馬は鞍を解かず
鎧と甲は傍らを離れず
冉冉として老は将に至らんとす
何れの時にか故郷に反らん

神竜は深き淵に蔵れ
猛獣は高き岡に歩む
狐は死なんとして帰って丘に首う
故郷は安んぞ忘るべけんや

彼の『対酒』などは、彼がいかにロマンチストであったかが伺えるのだ-

対酒

酒を前にして太平を歌わん
時に吏は門に呼ばず
王者は賢にして且つ明
宰相と股肱とは皆な忠臣にして
みな礼譲あり
民は争いせめぐこと無く
三年耕せば
九年の蓄え有り
倉の穀は満ち充ち
白髪をまじえしものは負い戴かず
めぐみを雨らすこと此の如くなれば
百穀はかくて成り
走の馬を却けて以て其の土の田に糞やる
爵は公侯伯子男
みな其の民を愛し
以て幽かなるものと明れしものとを退けつ陟しつつ
たみを子のごとく養うこと父と兄のごとき有り
礼法を犯すものは
軽重もて其の刑をわかち
路にはおちしものを拾わんとする私のひと無く
囚獄は空虚にして
冬の節には人を裁かず
老い老いしもの皆な寿を以て終るを得て
恩澤は広く草木昆虫にも及びなん

曹操の理想は『通脱』。要するに常識とか脱して勝手気ままに生きること。私のアイドリング生活とも相通じるのだ。というわけで、『三国志』にかなり深くはまりつつある昨今、ますます曹操に対するシンパシーを深めているDr.Lukeではある。

【注】縦書きのテストをしたのですが、エンジンがTrident(IE系)でないと横書きのままです。

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