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人生の成功・不成功とは?

いつもの再建主義の富井氏がこう言われる:

自分を失敗者と決めつけるべきではない

私たちは、自分の目で成功や失敗を判断できません。
しかも、神様は全部、プラスに変えてくださいます。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8・28)

何がよいことか、何が悪いことか、永遠の計画を見ない限り、決められません。
今、私は世間的に見れば失敗していますし、私の父母も息子が失敗したと考えてもおかしくないです。
しかし、自分の生涯を振り返ってみても、これしか道はなかったと思います。
私は、世間的に成功した道にまったく興味がないのです。
こういった思いも神様が与えてくださったので、それ以外のことはできませんし、やれば、必ず呪われると思います。
世間的に成功した道に進んでも、もとの道に連れ戻されるでしょう。
・・・

神の道を行く人はみんなこう告白することになるのだろうか?私などは、いつも言うが、30%出力のアイドリング・モード。主にお会いした時に、あなたはタラントを用いなかったとお叱りをいただくであろうとはいつも思っている。しかし、取ってつけたような「伝道・教会活動」にも、「リバイバル運動」などにも関わりたくはない。それは私にとってハッピーではない、と私の心は知っているからだ。春は桜、夏は海と山、秋は紅葉、冬は富士、そして朝のジョッギング、スイミング、また温泉にJazzに映画に六本木に遊ぶと。あと家族や学生たちと戯れ、楽しい時間を過ごす。ま、ニッポンキリスト教的価値観からするとどっぷりこの世ってことになるとは思うが、これが私のハッピー。

果たして、主イエスは各人にとってハッピーとは感じられない事にあえて追い込まれる方なのだろうか?いわゆる「神の道」に熱心かつ献身的な人々やその家族の命運や末路を見て分かったことは、前にも書いたが、多くの場合普通ではなくなり、しばしばかなり悲惨な状況になるのだ*1。実に不思議だ。これが神に祝福された道なのだろうか?私はそのような事例をかなりたくさん知っているが、ある種の恐怖感を覚えている次第。

かくして私はYAZAWAにならって、常に自分自身に問うことにしている:

ナウ・アム・アイ・ハッピー?

*1:これを神に従うための代価とか言ったら、もう狂気だと思うのだが・・・。

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