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薛濤の生涯

彼女が10歳の頃詠んだ対句が彼女の運命を予言しているとして父親が嘆息したことは先に書いた。その成就の詩がこれだ。

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二月の楊花は軽復た微
春風は揺蕩にして人衣を惹く
他家(たか)本(もと)是(これ)無情の物
一向に南に飛び又北に飛ぶ

私は二月の柳の綿毛のように人の衣にまとわりつつ、もとより感情を持たないものゆえ、春風に吹かれるままに南から北へと飛ぶ。自分は綿毛のような軽く、微々たる存在。自分の感情ももたず、春の風に吹かれるままに客にまとわりつく・・・というのだ。自分の境遇を綿毛として昇華している。

もうひとつは-

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春は風景をして仙霞を駐(とどめ)しめ
水面の魚身総(すべ)て花を帯びる
人世思はず霊卉(れいき)の異を
競つて将に紅纈(こうけつ)をもつて軽沙を染む

春は造化の神様が、風や光と影、景色や、谷に咲き乱れる花や、かすみとか雲でその神秘の業を告げる。水に落ちた花で泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。世の人は、この自然の霊妙さを思うことがない。人々はあたかも神様と競うように赤い染め布を河原に干して春を告げている。

神の創造の神秘に想いを馳せつつ、神と競うかのように生きる人の生業を描いている詩だ。一枚の絵が見えるような作品だ。詩人には普通の人が見えない世界が見える。当たり前の光景に霊妙や幽玄を覚え、ある種の感動をもってそれを言葉で表現する。その表現を受けた私たちの心の中にまた感動の波動が生まれ、伝搬する。彼女の感動と同様の感動を時と空間を超えて味わうことができるのだ。中国四千年の歴史の蓄積は無尽蔵。人間精神の豊かさを掘り起こす歓びは尽きることがない。

これで彼女については一応終わり。次はずっと遡って南宋時代の女流詩人謝朓を見てみたい。

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