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夜の電車と朝の公園

ファイル 367-2.jpg10時ごろに乗る電車。何なのでしょう・・・。昨日は花の金曜日でもあったためか、アルコールの臭いが漂う混雑の中でも、やたらと華やいだ解放感がある。しかしこの解放感が何とも言えない虚無感を放っている。不思議な空間です。まあ、これがこの世の実際でしょう。こうしてあえて華やいでいないと、「生」の虚無感で押し潰されてしまいますから。極私的にはいつもは寝ている時間。安らかな睡眠と爽快な目覚め。そしてジョッギングとシャワー。新鮮な空気と色づく緑が太陽の光でキラキラする空間。実に生きていることを実感できる。

養老先生によると都市はまさに脳化の究極。つまりはヴァーチャル空間。そして最近はサイバー空間でもある。それは人間が作ったルールによって規制され、運営される世界。このような空間に入り込むほどに、人間はいのちの躍動に基づく「生」の実感を喪失する。いのちは人間のルールによるものではなく、神の創造のいのちの法則による。前者はヴァーチャル、後者こそがリアル。体のいのち(soma)、魂のいのち(soul)、そして霊のいのち(pneuma)。この三つのディメンジョンのいのちが統合され、整然と、躍動的に相互作用するとき、私たちの健やかさ(Wholeness)が実現する。これがホーリネス(Holiness)である。それは疎外されない"いのち流れ"によって体現される。ニッポンキリスト教が神学的脳化空間となっていないことを願うが・・・。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命(注)の息を吹き入れられた。人はこうして生きる魂となった。

(注)ここの「命」の原語は複数形。

うん、今日も生*き*て*い*る!

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