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本日の二冊

ファイル 535-1.jpg早速クライミングのためのトレーニング法を調べ始めました。『CLIMBERS' BODY』(東京新聞出版局)。ざっと見たところ、これまでの外見をシェイプアップするトレーニングでは不十分なこと。いわゆるボディビルダーは外観がすべて。そのため、大胸筋、腹筋、僧帽筋、広背筋、上腕二頭三頭筋、大腿筋といった身体表面の目立つ筋群を重点的に鍛える。が、これらは速筋(白筋)群であって、瞬発性はあるが持久力がない。対してクライミングではひたすら持久戦。よって遅速筋(赤筋)を鍛える必要があるが、これはけっこう身体のディープな部分にあるコアな筋群なのだ。と言うわけで、少々トレーニング法にも変化が必要のようだ。また単に筋量を増加すると体重が増えて、手足にかかる負荷が増える。よって筋肉増強と持久力のトレードオフの関係になるわけだ。しかしかなり面白そう。

ファイル 535-2.jpg次はJAZZ。かなり理論的かつ歴史的かつ実践的著作。『東京大学のアルバート・アイラー-東大ジャズ講義録・歴史編』。高卒のミュージシャンが東大で行った講義録。単なる好みによる薀蓄披露ではなく、音楽理論や歴史に十分に通じたJAZZの解き明かし的著作。講義もモグリも忍び込んだほどの人気を博したそうだ。私も読むだけではなく、家にあるピアノをちょっと叩いているのだが、何しろ「ドドレレミミレ・・・」の世界であるからして・・・。それでもコードを覚えるとかなりイイ雰囲気で弾けるらしいので、今ガンバッっている。夏に泊めていただいた「栗の木の家」のT氏は、50を超えてからクラシックに挑戦されたそうだ。背筋をピンと伸ばして、作務衣姿で弾くお姿はかなりカッコよかった。まだまだ諦めませんぞ。

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週刊新潮』今週号の渡辺淳一氏の連載コラムに「親友はいますか?」との記事があった。彼の経験として、年齢と共にいわゆる親友が減ったそうだ。親友とは何か?・・・まあ、この定義は人それぞれであろうが、私もふと考えた。私は付き合いはけっこう広い。ニッポンキリスト教のギョウカイはもはや辟易だが、幼馴染から、大学関係や、禅関係や、トレーニング関係など、いろいろなギョウカイに付き合いがある。これからまたクライミングなどにも手を染めようと言うワケだ。

が、しかし親友は・・・?確かに信仰関係ではかなり深く交われる兄弟姉妹も与えられている。しかし親友ではないかな・・・。むしろ彼らは共通の価値観を共有し、主イエスと言う共通のお方に仕え、そのお方をシェアし合いつつ、地上の生をも共有する、むしろ同士といった感覚かも知れない。そこで表現されるDr.Lukeはそれなりの"Dr.Luke"なのだ(私は基本的にどこでも同じですから、別に作っているわけではないのだが)。・・・と言った論調で渡辺氏も論じている。

で、最後に「年齢を取るにつれて、男は孤独になるようである。・・・それだけ男は可哀相と、と言えばそのとおりだが、いやいやひとつだけ癒す方法がある。それは身近に親しい何でも話せる女性を持つこと。妻でも彼女でもいい、好きな女性に思いきり本音を告げて、こちらの気持ちを分かってもらう。それが男の最後の親友かも知れない」と。う~ん、これは先の五木寛之の「林住期」に通じ、私自身も別の"Dr.Luke"を見出すことができるわけで、またまた微妙に賛同しているDr.Lukeがいるわけであります。(また突っ込まれるか・・・)

追記1:親友の意義とは、ユングの言う私の内なるアニムスの投影による発見であり、影の自分、つまり生きられなかった"私"の補償的追体験でもあるかも知れない。

追記2:大石内蔵助の孤独、そしてわが主イエスの孤独を想うとき、地上の幕屋はやはり仮住まいなのだ。ある禅の高僧が98歳にて、もう浮世狂言はやめたと、食事を絶って眠るように大往生したが、地上の幕屋を去る日に想いを馳せる。

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