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A Memory of Jun

ファイル 843-1.jpg朝の空気が実に気持ちイイ。早朝に森に入るとフィトンチッドが充満しており、目に映る緑と甘い木の香りを楽しめる。エデンの園で人類に最初に与えられたものが、神学でもなく、デリバティブでもなく、豊かな木々であったことを思い巡らしつつ、たっぷりと汗を流す。Salt氏もようやく花粉症から解放されたようで、

新緑の香
鼻で息が出来るというのは本当に幸せなことである。
 ・・・
 万歳!祝!鼻腔開通!!
 ・・・
 それにしても、新緑の香を胸いっぱいに吸い込むことが出来、幸福感に満たされた。

と書いておられる。私も同病を得ておりますのでよく分かります。ただ今年はザジテンのお陰でかなり軽かったのですが(眠気がすごかったが・・・)。森が大脳に及ぼす影響も面白いテーマかも知れません。肉体は空気を鼻から吸い込んで生きていますが、霊もイエスの息吹きを吸い込んで生かされています。いずれにしろ思い切り呼吸ができることは実に幸いなのです。

昨今、ニッポンキリスト教は互いに自分の正義の物差しで告発し合い、食い潰し合う状況で、ほとんど窒息状態にあります。その中で霊的に窒息している兄弟姉妹、そういった澱んだ汚れた空気が支配する場を離れ、霊的な森に戻ることをお勧めします。

 * * *

昨日はSugarさんが心の丈をシェアして下さいました。土曜日に我孫子での集会に参加した際、かつて学生だったわがメル友Nちゃんも、ニッポンキリスト教にあって大変なところを経ながら、主の守りの中で立派なママになって、夫君のD君と来て下さいました。D君は顔は外人ですが、実は愛媛弁をしゃべります。前にベイビーの写真を紹介しましたが、パパとママが美男美女ですから、人形のように可愛い。これからも主にある家庭として祝福されるでしょう。その際、しゃべろうか迷って口をつぐんでしまったのですが、先に亡くなったJun君の想い出をやはり記録しておきたいと思います。

あれは89年2月頃のことと思いますが、当時高田の馬場にいたSugarさんのお宅で、私たち数名が徹夜してあれこれと話し合ったことがありました。当時Jun君は都立高の受験を目前にしていたので、翌朝私は「ごめんね、夜、うるさかったでしょう」と声をかけたところ、彼は「いいえ、ぼくは余裕で受かるところを受けますからだいじょうぶです」と答えたのだ。その場面は今でもはっきりと覚えているが、これが私に対する彼の最期の言葉となりました。Jun君は実にこんな子だったのです。純粋過ぎたのです。私たちはどこかに嘘があるので狂った世でも生きていられるのでしょう。彼は、今、主の身元で安息していることでしょう。(写真は85年頃、私の代々木のマンションにて)

ファイル 843-2.jpg生まれてきたことを悔やんでいないけど
幸福に暮らすには時代は冷たすぎた
中途半端でなけりゃ生きられない
それが今

狂った果実にも見る夢はあるけれど
どうせ絵空事なら黙ってしまおう
せめてこの胸が裂けるまで
Silence is Truth!
谷村新司:「狂った果実」

Comment

エシュコル

こんな事を言っても良いのかな?
御冥福を祈ります。

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