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本日の一冊

ファイル 874-1.jpg曽我氏の正体』(新潮文庫)。あの645年乙巳の変(大化の改新)で首を飛ばされた極悪人曽我入鹿。曽我氏一族の専横と強奪はひどいもので、その腐敗した政治を改めたのが中大兄皇子と中巨鎌足。と、いうのが歴史の定説。しかし実は改革を率先していたのが曽我氏だったのだ。『日本書紀』はその後の藤原氏政治の正当性を訴えるために、曽我氏にあらゆる非難を押し付けたとする。果たして曽我一族とは何だったのか。

・昨年、Salt氏の案内で甘樫丘や曽我氏の首塚を観てきた。やはり見ておくと理解に違いが出る。

最近古代にややはまっているのだが、これほど分かり易い歴史の構図はなかなかない。<曽我=悪(既得権益論者)、中大兄皇子ら=善(革新的行政改革論者)>。うん?この構図、最近も経験しませんでしたか?「痛みなくして改革なし」とか・・・・。いつの時代もやることは同じ。なるべく極悪非道の悪人をでっち上げると、ヒーローが輝く構図。二元論的勧善懲悪の構図は『水戸黄門』でも分かるとおり、最も容易に大衆操作ができるのだ。映画でも悪役にすばらしい俳優がつくと、ヒーローなどはあまりパッとしなくても俄然面白くなる。

・アメリカでも同じでしたね、「悪に着くか、われわれに着くか」とチンパンジーがアジりました。

まあ、私の好きな『忠臣蔵』も同じようなもの。吉良が意地汚く、かつ悪意に満ちていればいるほどに、うぶな浅野に同情が集まる。そして大石ら四十七士が光る。しかし実は吉良の地元では、曽我氏と同様に、すこぶる評判がいいのだ。彼らは実は名君だった。むしろ浅野が癪持ちであり(瘧)、木の芽時に発作を起こしたための事件だったのだ。多分に浅野の自己愛性人格と妄想性傾向による被害妄想もあったであろうし、要するに季節性気分障害のなせる業だったのだ。早い話が単にキレたのだ。実際、吉良は何ゆえに切りかかられたのか分からなかったのだ。

・考えてみて下さい。供応役の全責任者として、浅野に落ち度があれば、それはすべて吉良の責任となるのです。

わが大学も蘇我駅の近くにあるので、曽我氏については前々から心惹かれていた。しばしば歴史は捏造されているのであって、記録を裏読みすること、あるいは透かし読みすることによって、思いもかけない真実が見えてくるのだ。この世では、表の大衆が何気に支持している事は、実は倒錯的な場合が多い。騙されている者は、決して自分が騙されているとは思わない。この著者の一連の作にトライしてみるつもりだ。

追記:自殺した韓国の元大統領の警護官の証言は嘘だったようです。他殺説も出ている模様です。

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