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本日の二冊

時節柄、話題が忠臣蔵に傾いておりますが、エクレシアとはまさに忠臣蔵でありましょう。幸い私たちのご主人は浅野内匠頭長矩ではありません。通説では彼は謹厳実直、いわゆる頑固・クソ真面目・完全癖・融通が利かない・・・といったいわゆるメラコリー親和型パーソナリティと思われ、当時の「痞(つかえ)」と言う心の病があったと言われております。いわゆる癪持ちに加えて、季節性の気分障害と思われますが、春先の木の芽時症候群です。これで吉良の嫌がらせにキレてしまったわけです。こういった主(あるじ)をいただいた人々はまことに不幸と言わざるを得ませんが、今のニッポンもこれと似た状態になっているわけでして・・・。

ファイル 1147-1.jpgところがこの書『"忠臣蔵"にヒーローはいなかった!-史実で読み解く普通の中年の底力-』によりますと、何と浅野は女好きで有名だったようです。赤穂は米もよく取れ、民の心も明るく、塩で有名、活気に満ちた土地だったようだが、24歳の内匠頭についてはこう言われている:

長矩、智ありて利発なり。家民の仕置きもよろしき故に、士も百姓も豊かなり。・・・女色好む事切也。故に奸曲の諂者、主君の好むところに随いて、色よき婦人を捜し求めて出す輩出頭、立身す。いわんや女縁の輩得を得て禄を貪り。金銀に飽く者多し。-土芥寇讎記

本書は『仮名手本忠臣蔵』でできあがったイメージを廃し、できる限り史料に基づいて、事実を追うが、この浅野像は始めて知った。別の書では、女で身を滅ぼすかも、と警鐘を鳴らしているのだ。これは実に驚き。

さらにここでも何度か紹介した浅野の時世の句

 風さそふ 花よりもなを われはまた 春の名残を いかにとやせん

も捏造だとか。これは『多門伝八郎日記』のみに記述されているが、この男、かなり自己顕示欲と感情移入傾向が強く、浅野に入れ込んで捏造してしまったらしい。理由も史実に基づいて論じられているが、これはネタバレになるので、ここでは略。その他の流れは大体わたしのイメージどおりだ。

ファイル 1147-2.jpgそしてもう一冊。実はこちらは10年ほど前に購入したのだが、本棚から出てきた。改めて読み直している。『忠臣蔵-赤穂事件・史実の肉声』。これはジャーナリストの野口武彦氏の作で、きわめて丹念に史料を追っている。当時の江戸という町のあり方が赤穂事件の背景として重要であることを論じ、時系列で事件を記述する。

興味深い点は、両書とも、赤穂事件は誰かが強制したり、計画したものではなく、それぞれが人間としてその事件を受け止め、葛藤・苦悩する中で、自由意志かつ自発的に自己決断したことによるものであったとする点。つまり大石が描いたシナリオにみんなが機械的・強制的に従ったのではなく、大石はいわばファシリテーターとして、それぞれの思惑を最大公約数的にまとめる役割を担ったに過ぎないのだ。あの1年7ヶ月の間にその最大公約数が熟していった。大石はその間に300名以上の家臣を、神文書を返却したりなどして、あえてふるい落としている。こうして義士たちの心が露にされ、洗練されてひとつにまとまったとき、所存を貫徹できたのだ。あの元禄の江戸であれだけの事を成し得た鍵は、ひとつの心(One Accord)なのだ。

これはまさにエクレシアのあり方ではないか。主に従うことにおいては、誰も強制しない。それぞれの心のあり方に従って、ある人はああして、別の人はこうしているのだ。主への思いが単一であればあるほど、自動的にそのような人々はひとつになり得る。これは人間的な組織形成ではない。だから降りるのも、乗るも、まったく個人の自由。いずれ迫害が起きてくるだろう。それは世からよりは、まずキリスト教から始まるだろう。その中で真に主につくものと、別の動機の者がふるわれる。これは私がすでに10年近く言い続けていることであり、現代は<篩い分けの時代>なのだ。現にそうなっている。ギデオンも3万の軍勢を300まで篩い分けた。大石も300名の家臣を47名に篩い分けた。主は今それをなしている。よって現在のニッポンキリスト教の惨状は当然の事態なのだ。それぞれの心が露にされるために。

今年は歌舞伎座も最後だから、ちょっとチャレンジしてみようかと。

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