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本日の一冊

ファイル 549-1.jpgあの大作『ローマ人の物語』の著者塩野七生氏によるアウトライン的ローマ史語り本『ローマから日本が見える』。とても平易な文体で約800年間のローマ史を簡潔に描く。特にキャラクターに対する塩野氏の思い入れが熱く伝わる。彼女はリアルでどのような男女関係を経験したかは不明であるが、ローマ史の男たちには相当に入れ込んでいるようだ。特にスッラとカエサルに対しては、である。対してクレオパトラについてはあまり評価が高くない。彼女の主観によるフィルターが相当に入っているようにだが、まあ塩野氏は歴史学の素人だと自分でもおっしゃっているし、あくまでも作家の視点から書いているのだからヨシとしよう。

新しい発見としては、私たちクリスチャンからすると、ローマは悪の権化にして永遠の神の敵であるかのように刷り込まれており、さらに「パンとサーカス」といった標語で堕落の極みにあった悪の帝国と思っていたのだが、実はさにあらず。このような国家が1000年以上も続く事自体、絶えざる改革を断行した結実であり、それは人類の知力の結晶と言えるわけ。その頂点にカエサルが出現するが、現代ヨーロッパはカエサルが創ったとまで言えるのだ。敵を征服しても支配する事はなく、彼らをもローマ市民として対等に扱ったカエサルの「寛容(クレメンティア)」は、自身を死へと追い詰めるわけだが、自身の信条に忠実に死んだ彼の死を塩野氏はいとおしむ。

で、ローマの歴史から今のニッポンを見ると、真のリーダーがないままに、滅びへと向かっていると感じざるを得ない、愚衆政治。有能な独裁者は悪くない、と塩野氏は指摘する。

 日本人はともすれば「理想のリーダー」の条件として、人格の円満さや徳性などを求めますが、人格が高潔であることと目的を達成することは、直接には何の関係もない。たとえ人格に問題があろうと、国民を幸福にすると言う大目的を達成できたら、いいリーダーなのです。
 ・・・マキャベリが言ったとおり、「結果さえよければ、手段はつねに正当化される」のが政治であり、それを誰よりも知っていたのが彼ら(カエサルやアウグストゥス)だと思いますね。ところが残念な事に日本では、たとえ結果が出せなくとも、手段が正しければそれで許されてしまう雰囲気がいまだに強い。しかし、それはリーダーを甘やかすだけにしかならないのではないでしょうか。
 「天国へ行く最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」(マキャベリ)。

なるほど、この辺りは私の価値観と同じ。愛に富んだ人格高潔な、しかしメスの切れない外科医と、財前五郎のような高慢で冷酷な、しかしメスの切れる外科医のどちらに執刀してもらうべきか、と前にも何度も問題提起している。政治についても、私は田中角栄を評価する。政治とは所詮ソーシャルエンジニアリング。麻生氏のように4人も女がいたとしても、それはそれで結構。むしろ政治家たる者、女性にモテないでどうするって。人格高潔でモテない男は牧師でもすればよいのだ。

ファイル 549-2.jpgローマ史が、塩野氏の目を通してアレンジされているが、実に生き生きと語られている。文庫本にもなっているようなので、これまで食指を伸ばすのを躊躇っていたあの大作16巻にも挑戦してみようか知らん。なお、本書は『痛快、ローマ学』(これも読んだが、本書の方が分かり易い)を全面改稿したものとのこと。

追記:クリスチャン・トゥデイにありますVIPクラブの広告塔佐々木満男国際弁護士による「あなたは国家を変革することができる!」はややユーフォリア的幻想で、『キングダムロスト』の悪夢を連想し怖いものを覚えますね。私はこういった霊的識別力を欠いたニッポンキリスト教が政権を取ったら、マジで日本を去ります(まあ、主はけっしてそれをなさらないと信じていますが^^)。

Comment

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モテない牧師夫婦は商売に精を出すのです。

  • 2008/10/02 00:13
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デンスケ

絶えない変革と宗教的文化的寛容がローマをローマたらしめたもで、ローマの衰退を招いたのは宗教的非寛容なキリスト教を国教としたからだと塩野氏はローマ人も物語でいってます。
彼女はどうも、キリスト教が大嫌いなようです^^

  • 2008/10/03 20:56
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