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欺瞞の構造

ローマカトリックの教皇ベネディクトXVIが、イエスを十字架につけたのはユダヤ人の責任ではないと声明を出し、ネタニヤフもそれを賞賛している。

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Pope Benedict Exonerates Jews for Jesus' Death in New Book
Israeli PM praises pope for exoneration

要するにキリスト教における反ユダヤ主義、近くはWW2のホロコーストの原因を教皇は問題としているわけだが、先の「処女」を「若い女性」と訳すなど、御言葉の真理を毀損してしまっている。先には教会会議で、イスラエルの選びは終わったと宣言し、今回はユダヤ人に責任はないと宣言。まさに支離滅裂。真理に敵対する者は常にこのような症状を呈する。御言葉にはこうあるのだ:

すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。

一方、イスラエルのアシュドテではウルトラ・オーソドックスのユダヤ人たちが、いわゆるメシアニック・ユダヤ人(=クリスチャン)をして、ヒットラー以上のものではないとして、彼らを取り囲んで糾弾する騒動も起きている。彼らにすれば、メシアニックの連中はユダヤ人をクリスチャンに改宗して、ユダヤ教の破壊を目論んでいると言うわけだ。まさに「同胞が同胞に敵対し」の状況。
続き
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Messianic Jews besieged in southern Israel

御言葉は明らかにこう言っている:

ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。

ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。

かくして、ネタニヤフも盲目に落ち、真の敵と見方の区別がつかなくなっている。イスラエルの真の味方は私たち再生されたクリスチャンなのだ。いわゆるナザレのイエスをメシアと認めることができなかったユダヤ人たちは、自らの欺瞞を悔い改めるしか救いに至る方法はない。彼らの"信仰"を認め、互いに融和しましょう、などという欺瞞は、かえって彼らの永遠の運命を誤らせる。これはある意味、見かけのキリスト教徒による真に再生されたクリスチャンに対する態度と同じものである。

今後、イスラエルは真の悔い改めに導かれるまで「ヤコブの苦難」を経るだろう。それは

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

とあるとおり。しかし彼らは最後にはこう約束されている:

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。

私たちエクレシアは彼らの頑なさの故に、今、救いを得ている。彼らに永遠の運命を負っているわけだ。かくして終わりの時代、「エルサレムのために祈れ」-私たちが主と彼らに対する重荷を下ろすために。

エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」
私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」
私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。

                     *   *   *

今、英国のノーウィッチからPenny女史が来ている。The Way of The Spiritなどの交わりのため、何の予定もなく1ヶ月間、日本の兄弟姉妹たちを訪問したいと願っている。昨日は横浜の兄弟姉妹、本日は寿町のおっちゃんたちと交わる予定。が、その後はまさに神のみぞ知る。

ちなみにノーウィッチでは、いわゆる主日礼拝などはしていない。クリスチャンをボックス(=キリスト教)から解放する必要があると言うことで、交わりはいつでもどこでも臨機応変。パブでもカフェでも・・・。彼らのサイトはこちら。

Cornerstone Church Norwich

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