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霊的世界と予言能力

いつもの物理学の井口博士のブログに紹介されていたヒトラーの予言。彼には「あいつ」が憑依しており、危険な場面を教えて、ヒトラーを避難させたり、将来の予言を可能にしていたとのことだ。ちょっと関心を持って紹介されているサイトを見てみたが、なるほど面白い。彼の予言はかなり正確に現在を見ているではないか。

かの三島由紀夫もヒトラーについては興味をいだいていたらしい。ニヒリズムという点で両者には共通項があるように思える。ヒトラーはニーチェの「超人」思想にかなり影響を受けており、ニーチェを音楽で表現したワーグナーの大ファンでもあったことは有名だ。

しかもナチスの敗北すらも予言しているのだ。彼にとってはナチスが第三帝国を打ち立てるか否かは問題ではなかったのだろう。人類が進化し、ついには神人(God-man)に至ることが彼の目指した究極の目的だったのだ。「神と人が混ざり合って、神人になる(教会は神人になる)」とするウィットネス・リーのローカルチャーチみたいだが、人はやはり神になりたいという究極的な願望を持っているのだ。サタンはエバをそのようにして唆した(Gen 3:4)。

さらにヒットラーは人類が二分化されること、すなわち神人の群と機械的生物のような群に分かれるとも予言している。これも現在のニッポンを見れば明らかだろう。彼の予言能力の源泉は、「あいつ」だ。彼は「あいつ」によって選ばれ、取り憑かれたと自分で語っている。このサイトの内容がそのままであるとすると、ヒットラーはなるほど超人的だったのかもしれない。

続き
さらに彼の宗教観もまとめられている。特にキリスト教に対してはニーチェとほぼ同じ見方であるし、私自身も同意できる点がある。彼もキリスト教は嫌悪したらしいが、キリストには敬意をもっていたようだ。ただし彼のキリストはアーリア人なのだが。

イエス・キリストはアーリア人だった。パウロがイエスの教えを利用して犯罪者どもを動員し、『原始共産主義』を組織したのだ。この時、それまでの天才、ギリシア・ローマ人の時代が終わったのだ。人間が自分の前にひれ伏すのをみて喜ぶ『神』とはいったい何者なんだ。その神は自分で罪を犯しやすい状況をつくり、悪魔の助けを借りて人間に罪を犯させるのに成功、それから処女に男の子を生ませ、その男の死で人間の罪をあがなった。何ともばかばかしい話だとは思わんのか!

この発言などはどこぞのニッポンキリスト教徒が言っていることと同じではないか。ヒットラーについては単なる狂気の入った独裁者というよりは、霊的能力を有したある種の霊能力者と言えるかもしれない。彼はオカルトに凝っていたことは有名であるが、何かの霊を自ら招き、交信を試みていたのだろう。いわゆるタロットカードやオイジャボードによって霊との交信を計る人はけっこういるし、ある種の能力を獲得するようにもなる。まさに「あいつ」に自分を委ねたのだ。

ちなみに井口氏のブログで紹介されていた、タイターなる人物の予言もかなり怖い。彼は2000年頃にネットで活躍した2036年からタイムトラベルしてきた人物と自称し、数々の未来図を見せたようだ。こちらに彼のサイトがある。

で、なんと彼が提示した2020年の日本列島の状況がこれだそうだ。

ファイル 2222-1.jpg

こちらのブログでは放射能濃度分布とこの地図の対比をしているが、実に怖い結果であると思う次第。

ファイル 2222-2.jpg

ニッポンキリスト教のリベラルあたりでは霊の存在を認めないか、話題にするのもタブーだそうだが、明らかに霊の世界はこの物質の世界と相互作用を起こしているのだ。その霊的世界の相克がもろに現出するのが終末の現代であると何度も言っているとおりだ。霊の世界といかに関わるか、これを無視したり、いわゆる理神論や科学至上主義によって軽く扱うならば、その者たちは容易に敵の餌食とされることであろう。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。-1Peter 5:8

この意味でも、ヒトラーではないが、二分化が起きている。霊的に無知なものは、その暗闇の中で滅びるのだ。私たちが霊的世界と関わる鍵は主イエスの血と十字架である。放射能に防護服が必要なのと同じだ。これを差し置いて、自分の思想や方法をもってすることはカインの道、ただちに餌食となるだろう。主イエスの血や十字架、また聖書の言葉を侮りつつ、自らの思想や神学を打ち立てる者たちは、所詮セルフを神としているのだ。敵はある時点までそのセルフを増長させ、いずれそのセルフを叩き落とす。これが敵の手法だ。聖書のみ言葉を侮る者たちの末路は悲惨なものとなる*1

かくのごとく霊的存在や霊的法則をないがしろにすることは致命傷となるのが、サイエンス至上主義の現代である。なんというパラドックスであろうか。それは善悪を知る知識の木の実をとった人類への神の警鐘であり、また神の裁きでもあるのだ。私たちはつねに何らかの法則に身を委ねている。罪と死の法則か、いのちの御霊の法則か。これには中間はない!(Rom 8:4-6)自分を前者に委ねるならば、滅びを刈り取る。後者に委ねるならば、いのちと平安を得る。かくして豊かな者はますます豊かにされ、神への讃美と感謝であふれ、持っていない者は・・・以下略、神に歯ぎしりをしつつ、呪うだろう。

十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。-1Cor 5:18

ヒトラーが自分を委ねた「あいつ」。自称クリスチャンでもかなりの人が、否、ニッポンキリスト教そのものが、「あいつ」に自分を委ねているのだ。この業界を支配する霊はすでに聖霊ではない。例えば『パーパスドリブン』などにハマる人々、今後この業界でも隆盛を極めるかもしれない。が、それは「あいつ」に身を任せることであり、その末路は哀れなものとなる。ここであらかじめ警告しておくものである。

■参考:預言の霊的機序

*1アメリカのヘビメタ系の人々の末路を見よ!彼らは名声と金と引換えに悪魔と契約を結ぶのだ。

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