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アメリカの終焉-私たちは何を刈り取るのだろうか?

今、私たちの目の前で起きている現象は、その背後に必ずそれを操る霊的存在がある。今年初頭から言い続けている通り、神に拒絶されし者と、受け入れられし者の間の霊的相克が、多くの現象の霊的ダイナミクスである。中東はもちろんのこと、世界各地で燃え上がっているOCCUPY運動も同じだ。いずれも「民主化」とか「99%のための政治」とかの、一見の正義の旗を掲げているが、実は神の権威に抵触する霊によるしわざにすぎない。大衆は必ずその本性を表すことは、すでに言わずもがなであろう。

OCCUPY BOSTONにおいては、イスラエルの領事館が占拠され、一時座り込みストが決行された。諸悪の根源は金融界を裏で牛耳るユダヤ人にあると言うわけだ。

霊は面白いもので、表面的には正義で飾っていても、必ずその本性を表してしまうのだ。私が当初より指摘した通り、OCCUPY運動などは欺瞞であり、そこに働いている霊がどのようなものか、すでに露わになっているだろう。ちなみに全米での状況のレポがこちらにある。

大衆などは基本的に愚かなもの。彼らの本性は神に服する霊ではなく、あわよくばセルフを高め、セルフを神としたい霊なのだ。欺かれない者は幸いである。今後、この手の現象は次から次へと姿を変えて現れては消え、消えては現れるであろう。

イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。-John 2:23-25

主が求められるのは大衆ではない。おそらくは、ごくわずかの、真にご自身を任せることができる主にある者たちである。主の言葉がそのことを逆説的に証明している:

言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。-Luke 18:8

終りの時代、主からわずかでも何かを託していただけたら、なんという栄光であろう。ウォッチマン・ニーなどは託されたものがあまりも大きかったのだ。それゆえに神は彼を、人の目から見たらもっとも豊かな収穫の時期に、あえて無駄に、20年間も幽閉されたのだ。その20年の無駄な豊かさは、まさに神の栄光なのだ!

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