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「霊魂体の単純な関係性」

と題する記事を、先に紹介した記事の電気屋さんが書いておられる。これも面白いのでリンクを貼っておきましょう。

魂(知・情・意)が出しゃばらず、霊に服していること。ちょうどボアズの足元に服したルツのようなもの。これがすべての霊的幸福の鍵。しかしキリスト教は逆の道を行く。魂があくまでも主(あるじ)であることを主張するとき、あらゆる苦悩を生み出すのだ。いわゆる病んでいる人の苦悩は自作自演に過ぎない。自分に頼り、自分の何か(神学・哲学・思想・実行etc.)をもって、自分を自分で神に受け入れらるんとする果てしない絶望的な試み。それはカインの道だ。神と敵の前で私たちを弁護するのは主イエスの血(Heb 12:24)。かくして主の血潮と御名を侮るならば、私たちには裁きが待つのみだ。セルフを立てるために御言葉を歪曲・棄損する者はまことに-

だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。
まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。
生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。-Heb 10:28-31

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