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幽居-韋応物

爽やかな朝だ。空気が実に気持ちイイ。まあ、ここは都会に近くして、きわめて田舎。緑と蝉の声と鶯の鳴く里と言える。かくして詩人たちの気持ちがよく分かるのだ。

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貴賎 等を異にすと雖も
門を出ずれば 皆営み有り
独り 外物の牽く無く
此の 幽居の情を遂ぐ
微雨 夜来過ぎ
知らず 春草生ずるを
青山 忽ち已に 曙け
鳥雀 舎を繞りて 鳴く
時に 道人と偶し
或いは 樵者に随いて行く
自から 当に蹇劣に 安んずべし
誰か 世栄を薄んずと謂わん

先の陶淵明の『飲酒其五』を受けて詠ったもの。陶淵明が自分には十分才能があるが、あえて世俗を離れて隠者の生活を送るのだ、と詠うのに対して、韋応物は、「自から 当に蹇劣に 安んずべし/誰か 世栄を薄んずと謂わん」として、(やや自嘲気味に)自分には世渡りの才能がないからだ、と受ける。いずれにしろ、彼らは世俗を離れて心を幽境に遊ばせていたのだ。いや、なかなか理想の生活ではないか。私などもとても才能があるとは思わないし、大衆に媚びて、自分を売り込もうとも思わない。むしろ大衆からは倦厭されている方が安心。人の評価や心の上で生きるなどと言うきわめて危険なことは避けたい。先の中韻の士でありたいわけ。まことに主イエスも言われるとおりだ:

しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。-John 2:24-25

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