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Dr.Lukeの一言映画評

午前はプールとサウナ、午後は映画の巡航モード。作品は『ゼロ・グラビティ』。

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地表から600km上空。すべてが完璧な世界で、誰もが予想しなかった突発事故が発生。スペースシャトルは大破し、船外でミッション遂行中のメディカル・エンジニアのライアン・ストーン博士と、ベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキーの二人は、無重力空間《ゼロ・グラビティ》に放り出されてしまう。漆黒の宇宙で二人をつなぐのは、たった1本のロープのみ。残った酸素はわずか2時間。地球との交信手段も断たれた絶望的状況下で、二人は果たして無事生還することができるのか?

これは3Dをお勧めする。一言、人の評とかなんとかではなく、実際に観ることをお勧めする。なにしろリアリティテがやばい。宇宙そのものを再現している。こちらも呼吸を詰めて観るので、いつの間にか苦しくなる。宇宙空間でひとり果てしない遊泳へと旅立つジョージ・クルーニー。子供の頃考えたことがある。もし宇宙をまっすぐとこまでも飛んだら何処へ行くのだろうか、と。いや、その恐怖たるや想像を絶するものがある。

しかしこの映像、どうやって撮影したのか。スピルバーグやキャメロンも嫉妬したほどとか。かつての『アポロ13』では航空機で自然落下を繰り返して無重力を作って撮影したが、今回はCGらしい。が、実に素晴らしい。それにしても重力があって、空気があって、自分の足で立って歩けることって実に幸いなのだと実感する。当たり前が当たり前であることのありがたさがジーンと迫る。

と、同時に、神はなんでこんな宇宙を造られたのだろうか、改めて分からなくなってしまった。神の戯れ?神学的にはいろいろ理屈はこねることができるが、果たして宇宙に飛び出した人間は神と出会うのだろうか?つまり彼は救いを受けるチャンスがあるのだろうか?月に着地したある飛行士は神の臨在をものすごく真近に感じたとし、帰還後は伝道者になった。彼らは神学だの、もっと言えば御言葉だのを超えて、まさに神そのものなる存在と触れてしまうのだ。私たちは霊に神の臨在を得ているが、依然としてこの肉体という古き創造物により妨げられている部分がある。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。-1Cor 13:12

地球という宇宙のオーダーからするとゼロに等しい場に、これまたゼロに等しいニンゲンが生き、喜び、悩み、苦しみ、愛し、憎みなどしている。バカとアホウの絡み合い。神はそれを第三者として見ていることはなく、あえて人間になった。これまたスっとんだ発想だ。神が人になった!?ある哲学系の教員に聞かれた、あなたの神とはあの人となったとされるイエスのことか、と。そうだ、と答えると、その後一切口を聞いてもらえなくなったことがある。まあ、そのくらいにヤバイ思想なのであろう。それは思想ではなく、事実なのだが・・・。

何か、あれこれ、こういったことを思いめぐらして、実に初信者に返った感覚が呼び戻された。2013年、最後のオススメ作品!

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