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Dr.Lukeの一言映画評

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あのドイツの難攻不落と思われた暗号エニグマの解読にチャレンジした数学者アラン・チューリングのドキュメンタリー的作品。戦後50年間国家機密として公開されていなかった真実を描く。『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』。

チューリングは今日のコンピュターの概念「チューリングマシン」を生み出したが*1、人間的にはちょっと規格外で、しかも当時は犯罪とされた同性愛者。かくして有罪判決を受け、ホルモン治療を受ける中で自殺する。天才の栄光と悲劇。しかもその栄光の部分は公開されていなかった。最近、エリザベス女王が名誉回復を行ったのが救いではあるが、彼はすでにいないのだ。

しかし解読のキーを発見するキッカケはきわめて些細なことから。この偶然とも言える場面がなかったらあの戦争の結果はどうなっていたか不明だ。極私的には神の摂理の御手の介入を感じた瞬間だった。

*1:正確には現在のコンピユーターはフォン・ノイマン型。

イエスは十字架で何を完成され、今またここで、何をなして下さるのか?

11月中旬に六本木で遊び、風邪をひき喉がやられて咳が止まらず、12月中はジョッギングとスイミングができなかった。加えて右足のマヒで1月もアウト。しかも右足をかばって左足の膝を痛めた。身体はかくの如く全体性(wholeness)が大事なのだ。一か所の故障がすべてに伝わってしまう。で、ようやくジョッギングとスイミングに復帰。何と気持ちのいいこと!当たり前にできたことが当たり前でなくなり、再び当たり前になるとき、そのありがたさが実感される。Thank you Jesus!!!

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さて、話題の映画『エクソダス-神と王』を観てきた。

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ストーリー的にはだいたい聖書に即しているが、ホレブの山でモーセが神と立ち会う場面では、モーセが土砂崩れに見舞われて頭を打ち、その時になぜか正体不明の少年が現れて、彼が「わたしはありてある者(アイ・アム)」と宣言し、「エジプトに残るヘブライの同胞を見て来い」と命じる。土砂に埋もれたモーセは助け出された後、自分が見たこと・聞いたことを混乱の中でチッポラに告げるが、彼女いわく、「頭を打って、幻想を見たのよ」と・・・。「えっ!幻想?」つい、「ぼくは頭は打っていないが・・・」と独り言を・・・

エジプトについた彼は、神が下す過酷な裁きに苦しむエジプトとファラオに同情しつつ*1、同胞と共にエクソダスする。エジプトのファラオの顧問はこれらの災害について自分の世界観と知識の中でロジカル&シーケンシャルに解説をする。あたかも昨今の中東情勢をめぐるテレビのコメンテーターの如く。割れる紅海も、モーセが道を誤り絶望の中に沈む時、津波の前兆で起きた引き潮だったとする。さらには律法の石板もモーセが自分で彫ってしまうのだ。ここにも先の正体不明の子供が同席する。

・・・というわけで、リドリー・スコットのオツムの世界観(パラダイム)のフィルターを通された「エクソダス」。映像は3Dが楽しめる。

詩篇78編を見ると、そのエクソダス以来、神がしるしと不思議をもって民を解放したのにも関わらず、民はそれらを忘れて、神を悲しませることが訴えられている。

彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。
また先祖たちのように、彼らが、かたくなで、逆らう世代の者、心定まらず、たましいが神に忠実でない世代の者とならないためである。
エフライムの人々は、矢をつがえて弓を射る者であったが、戦いの日には退却した。
彼らは、神の契約を守らず、神のおしえに従って歩むことを拒み、神の数々のみわざと、神が見せてくださった多くの奇しいこととを忘れてしまった。・・・
そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。
確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。」
それゆえ、主は、これを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え上がり、怒りもまた、イスラエルに向かって立ち上った。
これは、彼らが神を信ぜず、御救いに信頼しなかったからである。-Ps 78:7-22

要するにエクソダスで起きたことは真実であり、神の契約に基づく救いのみわざであり、それに信頼せよ、と訴えているわけだ。神の言葉は永遠である以上、私たちにも適用されてしかるべきであることは論を待たないだろう。

これまでの私も含めて、現代における神の直接的介入による癒しや、しるし・不思議がないとする人々は、イエスが十字架で成就された事の範囲にそれらを含めていないことになる。あるいは客観的には含まれていてもいなくても、現在では神はあえてそれをなさらないと。神が全能であることはクリスチャンであれば誰もが異議を唱えることはないと思うが、食い違いが生じる原因は、「十字架の贖いの範囲」と、「現在における神の意志の有無」にある。

第一の論点については、十字架の効力には霊的病の癒しは含まれていても、物理的病の癒しは含まれないとする人々がいる。

第二の論点については、イエスは地上におられるときは「わたしの心だ」(Matt 8:3)としてらい病を清めたが、それはイエスの神としての能力の発揮であり、単なる人間である私たちとは違う*2、だから私たちには同じことはできないし、現在ではイエスもなさる意志はない、とする人々がいる。

もうちょっと根源的には、聖書自体をそのまますべてを神の霊感によるとする立場は危険である、とする人々もいる。その場合は、霊の再生も、聖霊による神の内住や導き、さらに神との交わりや会話や聖化も、もっとさらには神の御顔・眼差しとしての臨在や重さとしての栄光も幻想であり、幻覚であるとするしかなくなるだろう。もちろん祈りに対する答えや、病の癒しなどの神の直接的介入は絵空ごとになる。いわゆる社会派リベラルの方々の立場。この場合は、聖書の土俵に立っての共有は不可能となる*3

今、私がはっきりとさせていきたいことは、十字架の効力がどの範囲までなのか、どこまで私たちはそれに参与できるのか、そして現在における神の意志はどこにあるのか、という点。これもすべては神の国の地上における現出(Mark 1:15;Matt 12:28)のため。「主の祈り」を真に祈るためなのだ*4。ちなみに御言葉はこう言っているのだ:

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。-Isa 53:5

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。-John 14:12

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。-Heb 13:8

*1:ここで再び正体不明の少年がヘブライの同朋の苦しみについてはどう思うのかとモーセに迫る。
*2:これはかつての私の立場。イエスよ、あなたは神だから、と。しかし、人間としてのイエスと私たちとの違いは何か。私たちの体には罪(Sin)が住んでいる(Rom 7:18)。が、私たちの行いとしての諸々の罪(sins)はイエスの血により完全に消去されている。神は私たちがあたかも罪を犯したことのない者として見て下さる(Isa 1:18)。この面ではイエスとまったく同一視される。このことが信じられない人は魂の癒し、つまりトランスフォーメーションを必要とする。神は「私たち」ではなく、キリストを見ておられるのだ。聖書はさらに、私たちは新創造であると宣言する(2Cor 5:17)。ゆえにイエスが人としてなされたことは私たちも同じことをなし得るのだ。しるしや奇跡は神としてのイエスの証明であるとするならば、現在でもイエスは同じことをして下さるかどうか、という問題になる。これについてはイエスがヨハネ14章で言われる言葉が解答となるだろう(John 14:12-14)。後は個人個人の信仰の問題なのだ。
*3:彼らにとっては聖書は思想書、あるいは人生論・指針書、あるいは宗教哲学書、あるいは神に関する古代の記録となるのだろう。
*4:イエスはこのように祈れと言われたとき、私たちに何を期待されたのだろうか?私自身、いつごろからこのような意識が芽生えたのか、ちょっと思い出しているのだが、昨年7月のDr.Kさんのご好意による温泉オフ会の対談ですでに語っていた。天の御心が地になるとはどういうことか、と。あるいは「まず神の国と義を求めなさい、他はすべて添えて与えられる」という約束をどう受け取るのか。求めよって、どうやって?結局、すべては神の国とは何か?に収斂するのだ。

Dr.Lukeの一言映画評

このところポツポツと鑑賞はしていたが、今回の作品はなかなか深みのある良い作品。かつての『エデンの東』的なテーマ、つまりエディプス葛藤を描いている。ハリウッドもまだこういった作品を作ってくれており嬉しく感じた次第。『裁かれる判事』。

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“金で動くやり手弁護士”として名を馳せる、ハンク・パーマー。一流法科大学を首席で卒業したが、並外れた才能は金持ちを強引に無罪にすることだけに使ってきた。そんな彼にとって弁護士史上最高難度の事件が舞い込む。人々から絶大な信頼を寄せられる判事ジョセフ・パーマーが、殺人事件の容疑者として逮捕されたのだ。しかも彼は、ハンクがこの世で最も苦手とする絶縁状態の父親。法廷で42年間も正義を貫いた父が殺人など犯すはずがない……最初はそう確信していたハンクだが、調べれば調べるほど、次々と疑わしき証拠が浮上する。殺された被害者と父との歪んだ関係、亡き母だけが知っていた父の秘密、防犯カメラがとらえた不可解な映像。裁判は劣勢に傾いていくのに、犬猿の仲の2人は弁護の方針を巡って激しく対立する。

カネで判決を買うやり手弁護士が父との葛藤を通して、真実の親子、そして家族の愛情に目覚めていく。彼が何ゆえにカネこそすべてになったのか、その深い背景も明らかにされる。頑なに息子を否定する父の心の深みにあったものは?何ゆえに彼は犯罪に殺人に走ったのか・・・。息子はその真実を知る。最後の湖面の親子の静かなシーンがグッとくる。お薦めの作品。

Dr.Lukeの一言映画評

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ブラッド・ピットの『フューリー』。

1945年、第二次世界大戦下。同盟国がヨーロッパ戦区で最後の一押しをしている中、戦いに鍛練したウォーダディー軍曹はシャーマン戦車と5人で構成されたチームに敵陣の中での決死のミッションを命じる。数にも勢力にも劣るウォーダディーと部下たちは、ナチス・ドイツの中心部を攻撃するという圧倒的可能性に立ち向かっていく。

聖書の句が頻繁に飛び出る。揶揄しているのではない、真剣に捉えている。そして最期の場面。十字路での自己犠牲。人間の残酷さを極限まで描きつつ、イエスに訴えかける。冷たさを装いつつも、あだ名が示すとおりブラッド・ピットのFatherfoodがけっこう見応えがある。うーむ、これは、どうも福音的な作品だ。

健さん、安らかに・・・

この映画で北海道にハマった・・・。21歳だったか・・・。

「自分は不器用ですから」、小賢しい連中が多い昨今、沁みるセリフだ。どこかYAZAWAと通じるのだ・・・。

映画のご紹介

私の知り合いの姉妹(セレブ仲間)のご主人が日本人にぜひ紹介したいと情熱を傾けて上映に至った作品をふたつ。両者とも実際に起きた物語の映画化。

ひとつは『天国は、ほんとうにある』。

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死の淵を覗いてきた3歳の少年の証。

もうひとつは『神は死んだのか』。

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悲劇を経験して神はいないと結論した大学教授が神を信じる学生に神の存在を証明せよ、と挑戦する。

 ■上映館:ヒューマントラストシネマ渋谷など(リンク先参照)
 ■上映日:12月13日より。

なお、二本同時に鑑賞の場合は割引料金になります。詳細はお問い合わせください。

Dr.Lukeの一言映画評

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このところ映画評を書いていないが、着実に週一のペースでこなしている。今回はおすすめ作を。『ザ・ゲスト』。なかなか、イケる。80年代の『ターミネーター』を彷彿とするサスペンス。クールな、多分、トランス・ヒューマンを演じるダン・スティーブンスのボディもクル。けっこうお薦めかもだ。しかし、謎は残るから、シリーズ化される?

taking a break....

最近のニッポンはなんだかカッコ悪いことばかり。世界はキナ臭ささがますばかり。オヤジのスメハラどころではない。加えて天気もジメジメ、スキっとしない・・・。

そこでカッケー映像をひとつ。86年の"TOP GUN"。これは栄光と挫折、愛と失恋、ライバルとの競合など、およそ青春映画のエキスをすべて含んでいる作品、名作だと思う。Tony Scott監督の映像は実に美しい。ロケ地はサンディエゴ。バブル期、私もここに投資用オフィスビル(区分所有権)を購入した。懐かしい・・・。

で、曲はBerlinの"Take My Breath Away"。極私的には「息もつけないほどに」といったところか・・・。ケリー・マクギリスがピンヒール&ビジネススーツでカツカツと、飛行物理学者を演じているが、実にセクシー。とりわけ、ふたりの目の演技がリアル。相手の気持ちは目で分かる。そう、恋愛は目で語り合うものなのだ


Berlin - Take My Breathe Away theme from Top Gun with LyricsJquery Video Gallery by VideoLightBox.com v2.8


相手のあらゆる仕草をじっと見てしまう
愚かな恋人達のゲームに私もはまってしまった

この果てしない大海のような世界のなかで
恋人達は最後に知るのよ
"愛に恥じらいはない"と

自分の心のなかの秘密の場所に
振り返りながら 戻りながら
あなたが振り返りこう言うのを
私はスローモーションのように見つめてる

"僕をときめかせてくれ"
"息もできないくらいに"

待ち続けながら私はじっと見てる
愛がやってくるのを予期しているの
決してためらわない
あなたは運命の人になるのよ

自分の隠された秘密の場所に
振り向いたり 戻ったりしながら
あなたが私のことを思って言う場面を
スローモーションのように見つめてる

"僕の呼吸を奪っていいんだよ"

あなたと会ったのは
砂時計の砂が落ちるまでの時間
やがてあなたはそっと立ち去った
鏡がひび割れて 私はあなたの名前を呼んだ
あなたの声が聞きたくて振り向いたの
今日だけでも
私の心が恐れていなければいいのに

"私もあなたと同じなの"
"あなたを思うと息もできない"
"私の呼吸を奪ってもいいのよ"

相手の仕草から目が離せないの
お馬鹿さんの恋人達のゲーム

どこかに燃えるような愛があるはず
そんな思いに憑りつかれている

自分の心のなかの秘密の場所に
振り返ったり 戻ったり

あなたは私のことを見つめて
口を開いてこう言うの
私はスローモーションのように
その場面を見ていたわ

"僕をときめかせてくれ"
"愛してるんだ。息もできないくらいに"

出展:Take My Breath Away / 愛は吐息のように~トップガンLOVEテーマ (Berlin / ベルリン) 1986

ジョージ・クルーニー、カリフォルニア州知事から大統領へ?

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クルーニーはかつて、オレはオンナとクスリをヤリ過ぎたから、政治家には不適だと言っていたのだが、やっぱり野心は偽れないようだ。極私的には応援したい。しかし、シブイ・・・。

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で、本日のオレ。チェストと広背筋と肩を中心に追い込んでいる。それと大腿二頭筋。

Dr.Lukeの一言映画評

朝のジョッギング、午前はプールとサウナ。午後はまったりとラゾーナでランチをとり、映画の巡航モード。

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最近、キリスト教徒が何かと騒いでいる『ノア-約束の箱舟』。まあ、この手の作品は所詮、作者の解釈に過ぎないから、そんなに口角に泡を貯めるほどのものでもない。ひとつのSFスペクタクルとして楽しめば良い*1

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で、ラゾーナをぶらぶらとしばし散策。紀伊国屋で4冊ほど仕込んだが、その一冊。そう、極私的にも言える、筋トレは人生を豊かにかつハッピーにすると腹がダボ付き気味の兄弟姉妹にオススメだ

昨日と今日と、こんな時間の過ごし方が私には実にフィットすることを改めて感じているところだ。

*1:ただ、洪水とメトシェラ(この名前の意味がすごい!)の年齢と死に関する予言性についてはこちらをどうぞ(→御言葉の力②)。

Virtual DIAMOND MOON

赤坂にあるYAZAWAミュージアムのヴァーチャル空間。そこはオヤジたちの夢の空間だ。

Dr.Lukeの一言映画評

このところ『テルマエ・ロマエⅡ』などいろいろ観ているのだが、あえて書くまでもないか思っていたら、本日の作品は実に深い・・・。いわゆるキリスト教徒が陥る真実を描き出している。神に怒り、神を呪い、神と戦う者たち。それは自らの運命に引きずり込む、まさにあの者の霊によって憑かれた"信仰者"の運命。これはきわめて現代的なテーマであり、今後、キリスト教徒、それも敬虔で、神に献身し、熱心かつ従順な"信仰者"たちがまさにこの罠に堕ちるであろうプロフェティクな作品。

主演は私のfavoriteなヒュー・ジャックマン。彼は『X-men』などもイイが、こういったシリアスなテーマを演じるにも耐える役者だ。作品は『プリズナーズ』。

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アメリカ国民の誰しもが愛する家族と幸せなひとときを過ごす感謝祭の日、幼い少女が消えた。平穏な田舎町に突如訪れた惨劇。手がかりは少なく、警察の捜査は錯綜する。そんな中、父親は、証拠不十分で釈放された第一容疑者の証言から犯人を確信する。残された時間は少ない。「パパはどうして助けに来てくれないの?」愛する娘の叫びを心に聞いた父は、自力で我が子を助け出すため、決して超えてはいけない一線を超える決断をするのだが……。

ある種、『ポセイドン・アドベンチャー』とかぶるモチーフだ。全能の神は助けない、自分でする他ない。神はなおも捧げ物の血を必要とするのだ。何人殺したら気が済むのだ!という絶望的な叫びが聞こえる。しかし真実は意外なところにあり、そこに隠された動機。サタンの意図はあらゆる告発によりキリストの顔に泥を塗り、自らと同じ運命に人間を引きずる込むこと。例えば、キリスト教の働きにしろ、説教にしろ、悪行の告発にしろ、サタンは人間の正義感と熱心さを最も利用するのだ。彼らの根底に有るのは神に対する恨みと憎悪。表面は狡猾に白く塗られている。しかし、この作品にはかろうじて細い救いの道が用意されていると感じたのは私だけであろうか。それも悪に染まった人間により・・・。

人の正義や熱心、そして純粋さは実に怖い・・・・。一応追記しておこう:

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。James 1:20

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