再建主義者富井健氏を憂慮する
- 2014/02/05 19:23
- Category: 信仰
- Tag: 聖書預言 再建主義 死と復活の原則
最近の再建主義の富井氏に関しては、何か焦りというか、追い詰められているというか、ちょっと今までとは異なる雰囲気を感じている。ディスペンセーション主義は悪魔教的であるとすら言われる。最近の記事を読むと年齢を重ねてもなお、貧困の中で苦闘を続けておられるようだが、切羽詰った感覚を覚えるのだ。本来クリスチャンの醸す雰囲気はもっとゆったりとして、主の中で安息している感じなのだが・・・。たとえばこの言説:
tomi 2014/02/05(水) 17:31
これまでとはまったく異なる働きを開始しなければならない
(1)
地上において主の御心がならない限り、いくら教会生活が充実しているとしても何もならないと思います。
実際の世界を変えないと意味がありません。
クリスチャンが子子孫孫にわたって富を蓄積し、地上において強大な権力を持つことを神は望んでおられます。
果たしてこれが神の御心であろうか?パウロ自身、こう勧めているではないか?
物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。-Phil 4:11
食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。-1Tim 6:8
覇権主義というべきか、統治主義というべきか、支配主義というべきか、これも「今のこの時代をそのままキリストの御国にすべし」とのポストミレに立つ再建主義によるのだが、これが果たしてイエスの御心の表現であろうか?漫画に"311"が予告されており、それもイルミナティの仕業とか、ニッポンの政治もイルミナティの仕掛けとか、ちょっと大丈夫かしらん?どうもキリストが主権者であること、神が世を治めておられること、エクレシアとしての御国の拡大などについて、どこかちょっと誤解されている感じがするのだ。その「ちょっと」の齟齬がものすごい相違として現れている感じだ。いわゆるキリスト教が神のご計画から離れていることはそのとおりで、キリストはキリスト教の創始者でもなければ、教祖でもない。まして今の時代に文字通り物理的に世に君臨されるお方でもない。今の経綸は旧創造のものであり、私たちの体も自然界もすべて朽ちるものなのだ。
わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。-Heb 13:14
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。-1John 2:17
霊のものは第二のものであり、最初のものは肉のものなのだ。死と復活を経ることなくして神の国の実現は決してあり得ない。
自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
・・・
最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。-1Cor 15:43-50