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マタイ7章21-23節

これについては私も何度も触れているが、「不法を働く」とはいわゆる悪行のことではない。その意味は、「法則に従わないこと」。その法則とは現在ではレビ系の石に書かれたモーセ律法ではなく、その上位互換バージョンのキリストの復活のいのちの御霊の法則だ(Rom 8:1-2)。この法則によるとき、モーセ律法も自動的に満たされる(Rom 8:4)。このことは再建主義の富井氏との議論でも何度も書いた。メルキゼデク系の祭司制度にある私たちの責任は、肉やモーセ律法に対してではない。それらに対してはすでに死んでいるからだ(Rom 7:1-6)。その死を信じ、御霊により生きること、これが私たちの責任となる(Rom 5:11;Gal 5:11)。これに外れることに対する警鐘がマタイのここである(Matt 7:21-23)。

で、なんと私と同じことを語っている人がいた(クリックでビデオ)。この神の器は主の再臨の前に最後の大いなる神のわざがなされるビジョンを見ているようだ。これはどうもやばい。私たちはやはり目撃する世代であるようなのだ(極私的にも75%位の確信度になっている・・・)。私たちの制限された知性には収まりきれないが、私たちのスタンスはマリアと同じ。

主よ、私はあなたのはしためです。お言葉通り、この身になりますように!

追記:ビデオがポップアップしない場合はこちらをどうぞ

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