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神の国はいのちと統治

このテーマはきわめて大きい。私たちはどちらかというと、これまでいのちに焦点を置いてきた。マルコ書にあるとおりだ。

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。-Mark 4:29-29

一方で神の国は統治である。御心が天になる通り、地にもなるように、と*1。天の事実を地上に現出させること。それは再建主義のいわゆる統治主義ではない。あくまでもいのちにある統治だ。

もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。-Rom 5:17

罪により死が支配して、人々をその恐れの中に束縛している地上に、いのちをもたらし、死をも支配すること。

イエスは・・・こう命じられた*2。「・・・行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。-Matt 10:7-8

これはキリスト教なる宗教の拡大ではない。むしろキリスト教は神の国の現出を阻害している。あれこれの神学や伝統や儀式などによって。神の国はロゴスのうちにはない。ドュナミスのうちにこそある。あれが正しいこれが間違っていると不毛な論議する現在のキリスト教、一方でなんでもOK、神に至る道はイエスの御名に限らない、モスレムと同じ神を礼拝している・・・・。

ある人が言っていた:

唯一正しい神学とはキリスト・イエスご自身である!

けだし名言。それはダイナミックな神の国の躍動そのものである。そして

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。-Heb 13:8

*1:私はこのことも知らなかった。何がなるわけ?私たちは何をするわけ?・・・と。
*2:この命令をまじで受け取れるかどうか、やはり迫られている。

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