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祈りのフルスロットル

再建主義の富井氏が「霊的世界は常識を完全に超えている」と書いておられる。12月にあの3日間の体験をした私としては経験的にも認めるところである。確かに霊的領域あるい実体の世界が存在し、目に見える事象はその反映(framed)なのだ(Heb 11:3)。これは御子が神の栄光の反映、〔神の〕実体の刻印であるのと同じだ(Heb 1:3、岩波訳)。

私たちの祈りはその世界に反響し、すでにキリストの十字架により武装解除されているあの者とその軍隊を撃破する(Col 2:15)。私はメッセでも言っているが、正直、祈りは好きじゃなかった。祈らなくてもそこそこやっていけるじゃん、と嘯(うそぶ)いていた。とんでもない無知と奢りと気がついた。霊的世界には主の血潮とイエスの名による祈りあるのみ。この世やキリスト教界における目の前の個々の事象を分析したり、対処しようと試みても、無意味とは言わないが、時間と労力を奪われるだけ。むしろあの者に振り回されるだろう。第一に霊的領域の存在を対処すべきなのだ。

かくして今回、祈りに対する認識が根底から変えられた*1。2015年ヨベルの年。が、われわれの祈りのパワーはフルスロットルにすべき時代であると・・・*2

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。-Eph 6:18

tomi 2015/01/13(火) 11:57

霊的世界は常識を完全に超えている

Babymetalというバンドが世界で人気。

結成2年目で海外公演をこなした。

https://www.youtube.com/watch?v=flDG_VAhzt0

中高生のアイドル女3人組ユニットだがバックバンドがメタルである。

バックバンドのメンバーは、超絶テクニックで有名なプレーヤーがそろっている。

インタビューで、本人たち曰く、ライブ中は狐の神が降臨し、完全に憑依するので、終わった後には記憶がない。

これは完全に悪霊の憑依である。

犯罪でも同じ表現をすることがある。

名古屋アベック殺人事件で残虐行為を働いた犯人たちは犯行の記憶がないと取材記者に対して言っている。

人間は、もともと神殿として作られているので、悪霊が憑依し、しかも至聖所を占領されると、自分の意志と無関係に行動する。

非常に恐ろしいことなのだが、無神論者はそんなことに興味がなく、売れればいいと思っているから、TVでも肯定的に紹介する。

まだ中高生の女の子にこういうことをやらせていることの罪はきわめて大きい。

そもそもアイドルは偶像という意味だ。

アイドルになって華やかな姿しか見ておらず、霊的な世界を知らないから、小中学生があこがれて、AKBとかアイドル業界に入るが、アイドルでその後幸せになった人がどれだけいるのだろうか。

神の世界も悪魔の世界も、霊的な世界において、全的献身が求められる。

また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、{妻、}子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。(マタイ19・29)

人間は、もともと神に全的に献身するために造られている。

この地上の常識を超越したレベルで働くことを求められる。

牧師や伝道師や宣教師になるとわかると思うが、われわれは、人間の幸不幸と関係ないところの存在によって動かされている。

悪魔側にいる人々もトップレベルになれば同じことに気づくはずだ。

世界は、神と悪魔の戦いの舞台であり、われわれは駒なのだ。

「家内安全、無病息災、安心立命」などのために宗教に入る人は完全に誤解している。

キリスト教であれ、仏教であれ、神道であれ、サタン教であれ、ご利益宗教と理解している人々は、それほど霊的世界の存在から期待されていないのだ。

神にも悪魔にも「この人々はこのレベルの利用価値しかない」と思われている。

しかし、両方の側から利用価値があるとして選ばれた人々は、そんなレベルの理解では許されない。

だから、利用できるようになるまで、ぎゅうぎゅうの目にあわされ、訓練をされる。

神もサタンも、究極的には、われわれが皮一枚で、中を全部くりぬかれた存在になることを期待している。

「自分が輝くために○○教を信じています」とか「これを信じると、生きがいを持って人生を歩める」とか「生きる力を与えられる」、「お金が儲かる」などというようなレベルの理解しかしていないならば、それは、「そのレベルの活躍」しか期待されておらず、放置されているのだ。

用いられる人は、皮一枚になるまで試練を受け、最後には中を全部くり抜かれ、「私はどうなってもかまいません。御心のままになさってください。私には恥を与え、あなたは栄光を受けてください」と告白するようになる。

本当の聖書の世界は、今のご利益宗教化したキリスト教とは全然別のものである。

*1:クリスチャンが何を今更、と突っ込まないでくださいませ。覚りの遅い者ゆえ
*2:一応念押ししておきますと、祈りは自分自身は安息している時にもっとも流れるもの。自分の力が入っているときはむしろ苦痛。ヨベルの年の大安息に与れば与るほど祈りは楽しく、麗しく、自由に流れ、力(デュナミス)に満ちるのだ。

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