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続・語り出された言葉の力

イエスは嵐に向かって「静まれ!」と命じた。唖の霊に対しても同じ。さらには死んでいるラザロに向かって「出て来なさい!」と命じた。これが理解できなかった。言葉は所詮空気の振動であろうに。空気の疎密波が何ゆえに嵐を静めたり、病気を癒すことができるのか?

最近、ようやくこの謎が解けた。つまり、言葉は肉体の声帯から発せられるが、それを意志したのは魂(soul)、特にその思い(mind)。さらに人は心に信じていることを語るゆえに、マインドにそうさせたのは信仰であり、霊(spirit)なのだ。そして信仰とは実体(Heb 11:1)。目に見えるものは目に見えないものからフレームされる(Heb 11:3)。かくして音波としての言葉ではなく、それが発せられている霊が、霊的世界に実体として、いわば波動を生むのだ。これがこの時空間に現出する。

私は精神医学あるいは心理学の立場から魂(知・情・意)を理解していたが、魂は実はもっと深い世界とつながっている。鈴木大拙の『禅と精神分析』の中に柳生但馬守の逸話が紹介されている。ある春うららの日、お小姓を連れて桜を眺めていたところ、ふと背後に殺気を感じた。振り返ってみると、お小姓が控えているだけだ。はて、あの殺気は何だったのだろうか・・・。但馬守は疑問が消えず、ずっと考え込んでいた。心配したお小姓が尋ねると、「先ほど殺気を感じたのだが、正体がわからんのじゃ」と。するとお小姓は真っ青になって、「申し訳ございません。殿が桜に見入っているとき、さすがの剣の達人でも、今、切り込んだらよけられまい、と思ったのです・・・・」と。これを聞いて得心した但馬守は満面の笑みを浮かべたと・・・。

こういった分野をパラサイコロジーと呼ぶが、現在、表のサイコロジーではタブーの領域。旧ソ連では超能力者による軍事目的の実験もされていたようだ。ところがイエス自身も律法学者たちが心の中で思ったことを霊で見抜くのだ(Mark 2:8)。つまり霊は思いに感応する。もっと言えば、思ったことは信仰の実体と等しいのだ。女を情欲をもって(=思う)見ることは姦淫の行為に等しいとイエスは言った。霊的世界では「思うこと」と時空間に現出する「現象あるいは事象」は同じものなのだ。だからバベルの塔を建てようとした人類の思いを妨げることはできないと神は言われた(Gen 11:6)。

かくして思い(mind)は霊のアッシャー(案内係)となる。思いがブロックされていると霊もブロックされる。御言葉を語り出すとき、霊から発せられないと力(dunamis)はない。霊から発せられた言葉には力があるのだ。それは大声を出すとかの問題ではない。神がこの時空間に介入されることを願っておられるのは明らかだが、私たちの思いがそれを妨げている。このゆえに、神の業が現出するためには思いがトランスフォームされる必要があるのだ。思いが霊に服し、あるいは思いの霊が浸透するとき、信仰の霊によって把握された実体は思いを通して語り出される(2Cor 4:13)。するとそれが時空間に現出するのだ。

主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の霊を吹き入れられた。人はこうして生きる魂となった。-Gen 2:7

魂と霊の相互作用は、ここに始まったが、堕落の結果、魂だけを肥大化させ、特に思い(知性)が霊を抑圧してしまったのだ。ニンゲンの悩みの原因はすべてこの思いによる。私たちの思いの中にキリストの思い(1Cor 2:16)が反映されるとき、天的思考(Kingdom Thinking)が行われ、それは神の思いそのものであり、また神の信仰を孵化する。これが私たちの霊において私の信仰となり、信じたことを語り出すとき、神の信仰による実体をもたらすのだ。それは神の言葉と等しい。ゆえにcreative miracleも十分に起こり得る。なぜならイエスはそれをしているからであり、私たちも同じ業をなし得るのだ。WOW!!!私たちの霊と魂(特に思い)のポテンシャルはこれまでの私の理解をはるかに超える領域に広がっているようだ。

主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主。
「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。-Jer 33:2-3

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