日々キリストにありて
- 2015/02/22 23:59
- Category: 信仰
- Tag: ニール・アンダーソン
ニール・アンダーソンによる黙想
信者の人生における束縛と自由のコントラストは、次のうまくいった相談者の男性からの手紙にきれいに描かれている。
親愛なるニール
私の情緒的な問題はおそらく子供の頃に経験したホラー映画やオイジャ・ボードなどに起因していると思えます。映画「ドラキュラの血」を観た後、悪魔的力が襲ってきたことを覚えています。
私の父は癇癪持ちで、時に怒りを爆発させていました。私はその状況を生き延びるために、彼を怒らせたことの責任が自分にあると自分を責めていました。自分の気持ちを押し込めている状態が私の生き方になりました。大人になってからもすべてにおいて自分を責め、自分の欠点や不運を嘆きました。
そしてキリストを私の個人的な主また救い主として受け入れました。私はその後の数年間は霊的に成長しましたが、完全なる平安を味わうことはなかったのです。常に神との関係に疑惑がまとわりついて、神が何か遠くて厳格な存在としてしか感じられなかったのです。祈りにも、聖書を読むにも、牧師のメッセージに注意を傾けるにも抵抗がありました。人生の目的について深刻な疑問があったのです。夜、叫んで目覚めるような悪夢を経験したりもしました。
あなたと一緒に祈った時に、私はようやくキリストにある自由を見出しました。今、聖書を読むとき、前とは違って理解することができます。より積極的な態度を築け、主との関係も完全に変わりました。それ以来、悪夢を見ることもありません。
私はすべての霊的問題が悪霊の直接的働きによるとは言いません。しかし、あなたは世に働いている悪霊の力を軽視したり否定しているために束縛されているのかもしれません。キリストにあるあなたの嗣業は、御言葉に約束されている完全なる自由の基礎なのです。
霊的ダチョウにならないように、敵の策略とあなたの真理に注意を払うように、今日、助けてください。