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シーズンからシーズンへ

12月に主が言われた、「この3ヶ月ですべてが変わる」と。それからあの事件が起こり、自分がおかしくなったのかと思った。何を見たのか、聞いたのか?あれは妄想か、幻覚か、それともリアリティか。少なからぬ困惑を覚えて、ここまで御言葉との照合に明け暮れた。その間にいろいろな癒しを経験した。また主の霊の深いタッチと同時に、魂のマインドはこれまでのフレームを逸脱する事態に揺れ動き、正直かなりの葛藤と不安も覚えた。Bill Johnsonの経験が自分の経験ときわめて類似している事を知り、彼の本も2冊ほど読んでみた。現れている現象はこれまでの私のマインドをはるかに逸脱しているが、言っていることはしごくまともであり、要するにマインドを御言葉に服させることだ(2Cor 10:4-5)。この時信仰を用いることが容易になると・・・。

最近、ようやく人心地付けるようになってきたかもしれない。あれは主からの啓示であったのだと内側に確信が強まってきたところだ。祈れば祈るほど平安と安息が増し加わるのが分かる。それにしてもパウロも第三の天に上げられて、人が聴くことが許されない言葉を聞き、直接啓示を受けたとある(2Cor 12:2-5)。彼はその内容については語っていない。ただ、素晴らしい啓示だとしか*1。彼はそれを書けなかったのだ。私もとても人には言えない。おそらく14年後でも語れないと思っている。私も「人としてのシーズン」は終わった。これからはスーパーナチュラルな「ニュー・クリーチャーとしてのシーズン」に入るのだろう*2。これは神の配剤なのだ。

To every thing there is a season, and a time to every purpose under the heaven:-Eccl 3:1

追記:どうも私の花粉症は完全に消滅してしまったようだ。

*1:彼はそれゆえに誇ることがないように、肉体のとげ、つまりサタンの使いを送られたとあるが、これはよく言われているような病気のことではない。「とげ」という単語はしばしば「敵」の意味で用いられている(Num 33:55;Josh 23:13)。それはサタンの使いなのだ。10節を見ると、キリストのために・・・に甘んじているとあるが、このリストに病気はない。もし弱さを病気のこととするならば、「キリストのために病気に甘んじている」と意味不明な発言になってしまうのだ。聖書は聖書によって解する原則に則る必要がある。
*2:timeは物理的なもの、seasonは神の導きによるある時節、そしてそれらは天の下のpurposeに資するのだ。

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