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リスクを負うこと

Bill Johnsonが自分の長いパスター人生において、癒しや奇跡をほとんど見なかった。が、90年代にリスクを負うことを避けなくなってから、それらはいとも簡単に起きるようになったと証している。

下のコンフォートゾーンでも言えることだが、そこに留まる人はリスクを避けているのだ。病気や貧困、あるいはいじめられっ子の立場など、そこにいる限り、自分の予測できるリスクを負うだけでよいからだ。また真理を宣言することを避ける傾向も同じくリスクを避けている。語ることは責任を負うことであり、リスクを背負うことなのだ。そこでリスクを回避するためにしばしば保険をかける。自分は聖書をよく知らないからとか、十分霊的に成長していなからとか、自分のような小さな者の祈りは力がないからとか・・・。要するに二心なのだ(James 1:8)。

イエスは常にリスクを負っていた。ラザロの蘇りの時などは大見栄を切ったのだ。

イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」-John 11:40-43

さらにこの約束でも大きなリスクを負ってくださっている。

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。-John 15:7

私たちもこの約束に答えようとするとき、リスクを負う。もしかなえられなかったら・・・と。しかしここで自分の魂のその思いを否む必要があるのだ。大胆に保険をかけずに求めること。このとき

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。-John 15:11

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