二心の罠
- 2015/03/20 09:23
- Category: 信仰
- Tag: 神の国
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。-John 15:7
イエスは答えて言われた。「神の信仰を持ちなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。-Mark 11:22-24
これらの主の約束をマジで受けて、マジで実行しているクリスチャンはあまり多くないと思う。求めるものを何でも・・・って、まさか。自分の願いが神の御心にかなうかどうかも分からないし、そんな都合のよい話がこの世にあるわけない・・・云々。
実はこのようにリーズニングする(理屈をこねる)とき、主のアイデンティティーを深く傷つけている。かなえられない場合に自分が傷つかないように予防線を張る保険は主ご自身と対立しているのだ。肉の思いは神に敵対する、と明確に語られている(Rom 8:7)。私たちの思いは神に敵対するか、トランスフォームされるか、どちらかである。
私たちがこれらの約束に服し、素直に求めるとき、神はこれを喜ばれる。その時、思いにはいろいろの想念が巡ったとしても、心は実に平安と安息で満たされる。こうして自分が主の御心に沿っていることが分かるのだ。後は求めているものが現出する時を大いなる期待と賛美と共に待つだけ。いずれ主の喜びと私の喜びが満たされる(John 15:11)。
新しい創造物とされたクリスチャンの有するうポテンシャルは、私たちの思いを遥かに超える実に大いなるものがあるのだ。