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ノア&ソドムとゴモラの時代

主の来られる日は、ノアの時代のようであり、またソドムとゴモラの時代のようである。

人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。

いわゆる"リバイバル"などは幻想に過ぎない。主ご自身が言っておられる:「人の子がもどる時、果たして地上に信仰がみられるであろうか」と。

かくしていわゆる"キリスト教徒"と称する者たちが必ずしも神の子ではない。彼らの心は自分(セルフ)のこと。それがノアの時代の本質。

だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。-ピリピ2:21

また、先のイギリスでの判決。聖書信仰に基づいたホモに対する価値観よりも、ホモの人権が優先される判決が出たことはすでに書いた。

Christian beliefs DO lose out to gay rights: Judges' ruling against devout foster couple

その判決の骨子はこうだ。"During the case, the Equality and Human Rights Commission argued that children risk being ‘infected’ by Christian moral views."要するに「子供たちをクリスチャンのモラル観の感染から守る必要がある」と・・・。

そしてさらに驚くべきことが。
続き
Visiting minister separates Jesus from Christ

米国のユナイテド・クライスト・チャーチのミニスターRobin Meyers、彼は"信仰書"も書いており、自称クリスチャンだが、何と、イエスはキリストではなく、素晴らしい愛と慈愛と親切にあふれた人間であり、イエスを礼拝することはやめて、イエスを教会から解放すべきであると主張。私たちに必要なのは「救い主」ではなく、「教師」であると。彼は自分をリベラルとし、福音主義聖書信仰に対する激しい批判で有名。ニッポンキリスト教も状況がよく似ているわけだ。

参考:ニッポンキリスト教の七+1不思議

要するにソドム&ゴモラの本質は、倒錯。最近ではうつ病の人間が真理を批判し、うつ病者に適する"福音"を主張する倒錯も見られるが、主権者の神に服するのではなく、人間が真理を判断する。これが本質的な倒錯。そしてすでにローマカトリックの教皇は偶像を祝福する有様。

ファイル 1887-1.jpg

Pope blesses statue and mock God of the Bible

かくしてマタイ24章、ルカ17章の預言的状況はすでに成就している。TVでもホモ系の連中が跋扈し、ニッポンキリスト教界にはうつ病や人格障害者が大手を振って真理を毀損しつつ、自分勝手な主張を繰り広げる有様。まさにセルフを"神"とし、倒錯した価値観に生きる時代。その倒錯者たちから見ると、聖書信仰は「福音原理主義」とか「バイブルカルト」となるわけだ。しかし彼らは

ところがこの者どもは、捕えられ殺されるために自然に生まれついた、理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。-2ペテロ2:12

とあるとおり。まことに

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、
情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、
裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。

彼らの愛は、歪んだ自己愛。主の御名や十字架と血潮を自分自身の保身のために利用し、真理を裁き、真理に逆らうならば、当然のこと、その実を刈り取る。自身を省みるべきだろう。真理は批判するのではなく、服するのみ。

一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

すべての条件が整いつつある。ある人が言っていた。すでに状況は"It is not near, but HERE."だと。主の再臨は射程内、何をおいてもそれにロックオンすべき時代なのだ。ちなみに、イスラムではマハディの出現を待ち望んでいるのだ。マハディは今、生きていると!

時が近づいているからである。不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。

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