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国の荒廃

昨日の映画を観ても分かることは、現代ニッポンはすでに制度改革などの次元ではなく、すべからく人心の荒廃によって、現状を呈していることが分かる。アメリカにより去勢され、その獣的価値観を刷り込まれ、「自由と人権」と言った錦の旗の下、結局人心は自分を中心とし、まさに

そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。

とあるとおり。すべての病理の出発点は「自分を愛すること」による。ニッポンキリスト教も例外ではなく、むしろ社会の病理がコンデンスされた形となっている。
続き
今朝のテレビで、スウェーデンの高負担高福祉社会をレポしていた。消費税は25%。しかし18歳以下の子供の医療費と大学卒業までの教育費は無料。国会議員の報酬も800万程度で、議員宿舎は20㎡、しかも領収書の類は、タクシーのレシートから外国のメディア関係者も閲覧できるほどに透明。国民は税金を国に取られている感覚ではなく、国に預けている、つまり第二の財布と見ている。その根底には政治に対する高い信頼感がある。かくして国民は満ち足りた生活を送っている。

うーん、10%以上の税金は国家による搾取であると訴える再建主義者に観てもらいたい。再建主義は結局、社会ダーウィン主義によって病んで疲弊したアメリカの現状に対するアンチテーゼに過ぎないのだ。しかも自身が社会ダーウィン主義に落ちているという自己矛盾を抱えていることに気がついていない(この辺りは山谷少佐が鋭く指摘されている)。モーセ律法の適用で教会や国家が健全化するのではない。すべからく人の心の問題による。互いに対して信頼し合える、互いに相手に委ね合える関係。国家対個人、個人対個人、そして神対個人。その根底にあるべきは信頼、すなわち信仰なのだ。敵はニッポン社会とニッポンキリスト教界において見事にそれを破壊しつつある。かくしてこれから両者ともますます荒廃へと堕ちることであろう。次のみ言葉はイスラエルに対するだけの預言ではないのだ。

わたしはこの土地を荒れ地とし、荒廃した土地とする。この土地が誇った力はうせ、イスラエルの山々は荒れ果て、そこを通る者はなくなる。
彼らが行ったすべての忌まわしいことのゆえに、わたしがこの土地を荒れ地とし、荒廃した地にするとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
人の子よ、あなたの同胞は城壁の傍らや家の戸口に立ってあなたのことを語り、互いに語り合っている。『さあ、行って、どんな言葉が主から出るのか、聞こうではないか』と。
そして、彼らはあなたのもとに来る。民は来て、あなたの前に座り、あなたの言葉を聞きはするが、それを行いはしない。彼らは口では好意を示すが、心は利益に向かっている。
見よ、あなたは彼らにとって、楽器にあわせて美しい声でうたうみだらな歌の歌い手のようだ。彼らはあなたの語ることを聞くが、それを行いはしない。

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お詫び:北は北海道から南は沖縄まで(大袈裟だよの声も・・・)、不肖Dr.Lukeをお招きいただくことがございます。ありがたいお申し出ではありますが、何分、身はひとつで、ドラえもんのどこでもドアでもあればと思っておりますところです。機会がありまたらと思っておりますので、よろしくどうぞ。

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