これはどなたの説教でしょうか?
- 2010/05/18 16:25
- Category: 信仰
行き詰ったとき、迷ったとき、肉体における自分の生き方の限界を痛切に感じたとき、祈ってください。祈りこそがあなたに与えられた本当の意味で最初にして最後の手段なのです。いのりの中において、聖なる自己実現を目指しなさい。祈りの中において現れてくる結果を心静かに待ち望みなさい。正しい祈りは必ず聞かれるでしょう。人は困難苦難において自力ではいかんともしがたいとき、祈りと言うものに出会うことができるのです。希望を達成するために、最後は祈りなさい。一人ではできないと思うのならば、多くの人と心を合わせて祈りなさい。どうしても道が開けないときは祈りと言う手段を用いなさい。それはあなたを救うでしょう。こうしてあなたの心に光がともり、その光は世界を照らすでしょう。
解答:幸福の科学の大川隆法総裁(エル・カンターレ様)のものです・・・。幸福の科学から伝道されている私的には面白く拝聴しましたが、けっこう"クリスチャン"がいるようですよ。メッセージでも語りましたが、いわゆる「カミさっまはぁ~」と言う昨今のニッポンキリスト教の牧師様たちの説教とあまり変わりがありません。そこにはイエスが欠如しているのです。クリスチャン信仰は(あえて「キリスト教」とは言いません)、肉体をとられた神、イエスの名にすべてがあるのです。昨今の英訳聖書はこのイエスの御名を貶める傾向があるようなのですね。
ちなみにScofield Bibleにあるメーソンのマークだそうです。この円に点は太陽神ラーを現し、同時に男根崇拝、さらに悪魔崇拝のマークだとか・・・・(→富井氏サイト)。昨今の「ありのままのあなたが高価で尊い」などの十字架を回避する、自己(魂)を温存し、高めるニッポンキリスト教は、いわば自己を神とするわけで、実質メーソン化していると言えるかも知れません。十字架、死と復活の原則から離れるならば、キリスト教は容易に異教化するのです。
One desire
拝読しながら、心の中に何ともイガイガした違和感を感じて、「どこの先生の説教だろう?」と思って続きを開いてみたら。。。
こういう種明かしでしたか(苦笑)
一見では、まったく区別がつかないかも、と思ったら怖くなりました。
>クリスチャン信仰は(あえて「キリスト教」とは言いません)、肉体をとられた神、イエスの名にすべてがあるのです。
本当にそうですね。
「イエスを告白しない霊はどれ一つとして神からでたものではない」
ヨハネの手紙の御言葉を思い起こしました。