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ポストミレvsプレミレ

再建主義の富井氏のサイトはとても面白いトピックが論じられていて、私的には大いに参考にさせてもらっている。もちろん私は再建主義者ではないが、神学の論点やヒューマニズムの問題などを、きわめて興味深く読ませてもらっている。さらに彼もロスチャイルドを中心としたいわゆる陰謀論系に関心があるようで、これも面白い点と見ている。

そして興味深い点は、アダムとエバからアブラハムまでが2,000年、アブラハムからイエスまでも2,000年、そしてイエスから現在までが2,000年。かくして6,000年が経過しており、1日を1,000年と見るとちょうど6日間が経過し、したがって現在は7日目にあたる1,000年期に入っているというわけ。これは私たちプレミレの者とも同じ解釈だが、ポストミレの場合はこの1,000年期はいわゆる千年王国であって、キリストの統治が文字通り地上に確立される経綸として、全世界の国民がクリスチャンとなり、キリストに服する時に御国が完成し、キリストが再臨されると言うわけ。
続き
対する私たちプレミレは、これから世界にはますます悪があふれ、人類の罪が満ちて、WW3やハルマゲドンの戦闘などを経て、いわゆるワンワールド・オーダー体制に入り、666がエルサレムの神殿の至聖所に立ち、その悪魔性を発揮して、世界がどうにもならなくなるとき、キリストが再臨され、その後に1,000年期に入り、文字通りキリストの王国が地上に確立すると信じている。

考えてみると、この聖書的世界観の違いは実に大きい。この世界観の違いによって、もちろん地上における生き方も大いに違ってくることだろう。ポストミレから見るならば、黙示録の19章まですでにAD70年に成就しているわけで、プレミレから見ると4章以降が2,000年の時の流れの中で次第に成就するわけだ。ポストミレから見ると、プレミレはサタンの支配を許す敗北主義と見えるし、プレミレから見るとポストミレはやや狂気が入っているかのように見える。この違いは実に大きい。

パーシャルプレテリズムに基づく黙示録の構造(富井氏)

最近の中東情勢や、さらに政界情勢を見るとき、聖書預言のフィルターを通して見る必要があることはもちろんであるが、そのフィルターの色によって、事象の解釈がまったく異なることも事実なのだ。このところ黙示録を語ってきているが、改めて御言葉と虚心に対峙する必要を覚えているのだが、さて、皆さんはどのようなフィルターを持っておられるでしょうか?時に自分にとって当たり前と思っていることを相対化して再確認することも必要かと思う昨今ではあります。

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