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泊秦淮-杜牧

TwitterにUPしておいたが、F1では350基の汚染水タンクが連鎖的に崩壊する可能性が指摘されている(※)。おそらく急ごしらえなのだろう。すでに打つ手はないとガンダーセン氏も匙を投げている。ちなみに彼は北半球の壊滅を予測して、すでに家族共々南半球に避難している。

※そもそもゴムパッキン(!)の耐用年数は5年。車も5年位でオイル漏れが始まることは誰もが知っている。対して放射能は人間のタイムスケールに比べれば無限。一体何のためのタンクなのだ?

2009年、極私的に感知した終末の様相に入る感覚(2009年12月ごろの記事参照)。あれは今ここまでくると、まことに正確であった。それ以後、前年度に、来たるべき年度についての警鐘を発してきたが、そのタイムラインはまさにそのとおりに成就している。私は別に霊能者でもなければ、サイキックでも預言者でもない。ただ、ある種の感覚を持っていることは否定できないようだ。まことに怖れを覚える次第。かくして来年度以後については直接的にはあまり語りたくないのがホンネ。
続き
ここで晩唐の詩人、杜牧(803-852)の詩を紹介しよう:

ファイル 3817-1.jpg

 煙は寒水を籠(こ)め、月は沙(すな)を籠む
 夜、秦淮(しんわい)に泊して、酒家に近し
 商女は知らず、亡国の恨み
 江を隔てて、猶お唱う 後庭花

六朝時代最後の王陳淑宝は政治を顧みず、詩と酒と美女に溺れ、隋により滅ぼされる。その彼が作った歌が「玉樹後庭花」、美女千数百人の合唱団に歌わせた。ゆえに、これは「亡国の恨みの歌」とされた。時は流れ、杜牧が彼の王朝のあった南京を訪れたのは250年後の事。その頃には歌の意味も忘れられ、商売女たちが意味も解らず、調子よく歌っているのだった。今、晩唐も滅びの瀬戸際にあると言うのに、人々は何も知らず、知ろうともせず、日々、色恋沙汰や飲み食いに明け暮れているのだ。杜牧の国を憂う感受性から生まれた詩である。まことに彼の嘆きは今のニッポンにも通じるものだ。

詩人もある種の鋭い感受性を有し、常人が感知し得ない事態を詩に読み込むことができる能力があるのだ。かくして907年、あの大帝国唐も滅びた。

洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。-Matt 24:38-39


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