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昭和の虞美人が逝った

時に前202年、劉邦に追い詰められた項羽が耳にした歌は、なんと祖国楚の歌だった。ついに祖国の民までもが劉邦に付いたと項羽は絶望し、詠う。自分は偉大な力を誇示していたが、今ココにいたり、機が自分から退き、愛馬騅(すい)も先に進まない。もう自分は終わりだ、しかし虞よ、そなたをどうしてあげたらよいのか・・・。虞は自らの存在が大王にとっての足でまといになるとして、その歌に合わせて踊った後、自ら果てる。この時に流れた血の色をしたヒナゲシが彼女の墓を悲しく彩った。四面楚歌と虞美人草の由来だ。かくして項羽も自害して果てる。享年31歳。

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 漢兵 已に地を略し,四方 楚の歌聲。
 大王 意氣盡き,賤妾 何ぞ生を聊んぜん。

戦いに明け暮れる大王と共に流れ流れる人生を送ってきた虞自身はこう歌っている:敵の兵士ばかりではなく、祖国の民にまでも取り囲まれ、聞こえるのは楚の歌声。大王も力尽きて、この卑しい妾のわたしはこれから何を頼って生きたらいいの・・・。
続き

ヒナゲシは花弁の色に赤と白があるそうだ。赤は「慰め」・「感謝」を意味し、白は「忘却」・「眠り」を意味する。自分は何色に咲けばいいの、と歌った昭和の美女が自ら逝った(村上春樹の『色彩のない・・・巡礼の旅』を連想するが・・・。)。彼女はこう言っていたそうだ:自分は食べるために人からもらった歌を歌っていただけ、と。何とも虚無感の漂うことばだ。彼女が自分を委ね仕えていた「大王」はいったい何者だったのだろう。自身とヒカルの成功で巨万の富を手にしながら、結婚と離婚の繰り返しと放浪生活、ついに世間から忘れられ、自ら眠りについた。自身の赤い血を流して。生前、彼女は自分を支えてくれた人々に感謝するだけ、と語っていた。彼女の人生に慰めはなかったのだろうか?

藤圭子、享年62歳。まことに昭和の虞美人だったと、極私的には感じている。かくして、またひとつ昭和の痕跡が消えた。


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