Entry

トップ > 信仰 > ニッポンキリスト教を離脱すべし

ニッポンキリスト教を離脱すべし

またやってしまった。以前ストレッチで右の首筋の肉離れを起こしたのだが、それが再発。首が痛み、文字通り、首が回らない。しかし、それでも朝5時起床。ジョッギングとラジオ体操を。こういった場合、むしろ体を動かしてしまった方がよい。走っているうちにβ-エンドルフィンの快感で痛みを忘れてしまった。朝はやはりサイコウ。

 * * *

Kojiさんがペンテコステ派での経験を証しされている。「実に変な世界であった」と。私もこのニッポンキリスト教なるカプセル世界と否応なしに関わらざるを得なくなってすでに10年近く。実にいろいろなキャラクターにも会ったし、実に様々な場面にも遭遇した。さらに名誉な称号も数々いただいている。で、結論。このギョウカイの闇と病理は深い、しかも絶望的に。そこを支配する主要な霊は敵意・そねみ・嫉妬・妬み・悪意・党派心・自己憐憫の霊。一方で政治屋のセンセイたちの政治力学と、他方でビョウキの人々の粘着的絡み合い。すべてをご存知の主に対する怖れを失ったネットの闇で活躍する面々。表向きのきらびやかさと背後の暗さのコントラスト。黒が白に、白が黒になる世界。今回の山谷少佐vsクリスチャン・トゥデイの件はこの世界の試金石である。

むしろ世の人の方が知っているわけ、キリスト教の悲惨とナンセンスさを。事実、以前紹介したニーチェの超訳判『キリスト教は邪教です−アンチ・クリスト』がベストセラーになっているとか。私自身もニーチェにはほぼ同意している。ただし、私は、「アンチ・クリスト」ではなく、「アンチ・キリスト」である。その混乱と悲惨は今後ますます深まる。その中で、キリストご自身(お方)とキリスト教を分離できている人は幸いである。ニーチェの悲劇はそこにある。イエスはキリスト教を創始したわけでもなく、キリスト教の教祖でもない。あるいは神学を組織したのでもない。自らが罪とされた神の小羊。それは

わたしがきたのは、ひつじがいのちを得、しかも豊かに得るためである。

その主ご自身が勝手気ままな大衆から離れて、しばしば山に引き篭もった、御父と交わるために。かくして私たちもニッポンキリスト教というギョウカイを離れて、少数の兄弟姉妹と真実ないのちの交わりに与れることは幸いである。この夏も主がイベントを用意してくださっているようだ。楽しみです♪

追記1:僧房筋が痛むと呼吸ができないのだ。浅い呼吸でないと痛みがズキンとするわけ。やれやれ、息苦しいこと。人体は全体で統合的に機能するわけで、ある部分が痛むと全体の損傷となるわけ。エクレシアも同じのだが。[18:46記]

追記2:シローさんが別のBBSで、興味深い記事を書いて下さいましたので、ここへ転載して、ご紹介します。鈴木大拙の言葉ですね:

キリストとキリスト教の違い - シロー

鈴木大拙の『禅』(ちくま文庫)より

********************************************

●キリスト教は、そのどれだけがキリスト自身の教えであろうか。
●キリストが、彼の名で呼ばれるようになった宗教体系を創立したのではなくて、信者達によって彼がその教祖にされたのであった。
●もし彼が、今もなおその信者達と共にあるとしたら、自称キリスト教徒に今日課せられている理論、信仰、実践の全てを是認することは、まずないであろう。
●おそらくキリストは、今日のキリスト教神学の哲学的精妙さについては、全く知りません、と告白するかもしれない。

********************************************

なるほど。そういうことでしたか。
大拙の本を読んでいて、キリストとキリスト教の違いが分かりました。新しい発見です。

Trackback URL

https://www.dr-luke.com/diarypro/diary-tb.cgi/387

Trackback

Access: /Yesterday: /Today: