Utility

Calendar

< 2013.11 >
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
- - - - - - -

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today.............

KF_SITE

FOR MEMBERS

KF_PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

KINGDOM FAITH(UK)

NEW LIFE CHURCH(UK)

QRcode

BIBLE SEARCH

Entry Search

Recent Entry

Recent Comment

未承認
2017/08/07 18:42 未承認
Re:聖書をキリスト教から解放せよ!
2015/04/22 09:49 菊千代
Re:「当たり前」が崩れる時代
2015/04/20 07:42 Luke
Re:出版への状況
2015/04/20 07:41 Luke
Re:出版への状況
2015/04/19 21:55 toshi

Recent Trackback

PJ 高橋清隆氏の記事が出ていました。
2008/06/25 20:45 AAA植草一秀氏を応援するブログAAA
負のレガシー
2008/06/18 16:03 リチャードの日記
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:21 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
キリスト者とインターネット
2008/06/18 09:12 キリスト教 プロテスタント 聖書 信仰
産声を上げたKFC、、、、、
2008/05/05 12:10 thelongstreamingully

タグ一覧

Link

Entry

トップ > 2013年11月02日

YAZAWAをゲット!

本日はお仕事。学園祭の最中だが、父兄相談会。これも父兄に対するサービスの一環だ。すでに教育も医療もサービス産業となって久しい。いかにも大学教師や学者然とした者や、医者然とした人はもたない。われわれはアカデミック・エンタテイーナーであり、アカデミック・ホストでもある*1。いかにゲスト、あるいはオーディエンスたるスチューデンツあるいはペアレンツのみなさまに気持ちよくかつ満足してお帰りいただくかが鍵。この精神を忘れると実にツマラナイ仕事だろうと思う。逆にこの精神に徹するとカナリ楽しめるのだ。とにかく相手は神の形に造られた人。この視点はきわめて大切。

ファイル 3960-1.jpg

で、やりました。抽選の結果YAZAWAのチケットが取れた*2。といってもライブ・ビューイング。武道館のあの臨場感は無理だろうが、とにかく時間だけは共有できることになった。これで年越しができる。こちらでは私はオーディエンス。世の中はギヴ&テイク。ギヴできるものがあればあるほどそれはカネに換算されて返ってくる。聖書の原則もまずテイクではなく、ギヴだ。与えること。すると人々は押入れ、揺すり入れしてくれる。・・・と、また薀蓄になりそうだから・・・、とにかく年末はYAZAWAでキメル!ha! with whom? the answer is as usual :-)

彼はバラードがイイ・・・

*1:時にチョーク芸者とも言われる。
*2:今年はLIVEが減ったのだが、12月24,25日にディナーパーティをするらしい。一人60,000円だ。うーん、極私的にはそこまでは要らないかな。60,000円だった別口でいく。

惟道是従-老子二十一章

2013、AUTUMN。今年は暑さから一転寒さに、ゆえに紅葉が期待できる。ちらほら黄色の点々が目立ってきている。かくして今朝もヒジョーにハッピーだ

ファイル 3959-1.jpg

 孔徳之容 惟道是従 /従徳の容は ただ道に是れ従う
 道之為物 惟恍惟惚 /道の物たる ただ恍ただ惚
 惚兮恍兮 其中有象 /惚たり恍たり その中に象有り
 恍兮惚兮 其中有物 /恍たり惚たり その中に物有り
 窈兮冥兮 其中有精 /窈たり冥たり その中に精有り
 其精甚真 其中有信 /その精甚だ真 その中に信有り
 自古及今 其名不去 /古より今に及ぶ迄 其の名去らず 
 以閲衆甫      /もって衆甫(しゅうほ)を閲(けみ)す
 吾何以知衆甫之状哉 /われ何をもって衆甫の状を知るや
 以此        /此れを以ってなり

老子。この人の言ってること、実に霊妙にして、脱力的人生そのもの。薔薇はなぜ薔薇であるのか。単純にそのように生まれたから。エクレシアはなぜエクレシアであるのか*1。単純にそのように生まれたから。

人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。・・・御霊によって生まれた者は霊です。-John 3:5-6

薔薇は自分が薔薇であろうとして努力しているだろうか?薔薇が自分は正統派の薔薇だぁ、と叫んでいるだろうか?否。エクレシアも同じ(はず)。エクレシアが正統な"キリスト教会"であろうと努力しているのがニッポンキリスト教の悲喜劇なのだ。エクレシアは単純かつ素朴に道(タオ)に従うこと*2。それはすなわちいのちの御霊の法則に乗ることだ。

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。-Mark 4:26-29

で、その道の実体は・・・。

わたしは道である-John 4:16

*1:ニッポンキリスト教の諸々の教団や教派のお墨付きなど実に愚かなことと分かるだろう。人間の誰が薔薇に対してあえて「薔薇」のお墨付きを与えるであろうか?神の業を人のフレームに押し込めること。これがキリスト教の本質なのだ。そこからエクソダスし得た人は幸いだ。
*2:ここも注意。私の意志の力によって従うのではないのだだ。薔薇は薔薇の道に従って咲いている。彼らは歯を食いしばってはいないのだ。「従う」と言うより、ちょうど霊的飛行機に「乗る」だけ。乗ったら後は飛行機が運んでくれるのだ。こんな安楽なことがあろうか?クルシチャンは飛行機の中で落ちないようにあるいは飛ぼうしてガムバルのだ。まことにご苦労様なことではある。

Access: /Yesterday: /Today: