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トップ > 信仰

DO YOU BELIEVE?

と、イエスかノーで答えよ、とついに迫られてしまった(Matt 5:37)。

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。-John 14:12

この聖句、前にもメッセで触れたが、一切の知的フィルターを通すことなく、額面通り信じるか?・・・すでに、スルーしたり、棚上げできない地点まで追い詰められた。もはや、「アーメン!」と唱えて神に栄光を帰するのみだ(2Cor 1:20)。なにゆえ、遊び好きでグータラな私にこれほどに迫るのか?やばい・・・

マタイ22章29節

この聖句にますます迫られている。

イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」-Matt 22:29

ここの「思い違い」と訳されている原語は"planaō"、Strongによると

From G4106; to (properly cause to) roam (from safety, truth, or virtue): - go astray, deceive, err, seduce, wander, be out of the way.

欺かれている、騙されている、道から外れている、といった意味。まさに私だ。例えば、本日語られて明らかに思い違いをしていたと気づいた聖句がある*1

そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」-John 6:28-29

この聖句、やばい。マジでやばい。もっと言えば、聖書はやばい。これが開かれたら、本当にやばい。私たちの対峙する存在は、神なのだ!

*1:今日、車の中で起きたことはかなりやばかった。未知の体験。何が起きたのか、未だに困惑している・・・。とにかくやばい・・・。

マタイ7章21-23節

これについては私も何度も触れているが、「不法を働く」とはいわゆる悪行のことではない。その意味は、「法則に従わないこと」。その法則とは現在ではレビ系の石に書かれたモーセ律法ではなく、その上位互換バージョンのキリストの復活のいのちの御霊の法則だ(Rom 8:1-2)。この法則によるとき、モーセ律法も自動的に満たされる(Rom 8:4)。このことは再建主義の富井氏との議論でも何度も書いた。メルキゼデク系の祭司制度にある私たちの責任は、肉やモーセ律法に対してではない。それらに対してはすでに死んでいるからだ(Rom 7:1-6)。その死を信じ、御霊により生きること、これが私たちの責任となる(Rom 5:11;Gal 5:11)。これに外れることに対する警鐘がマタイのここである(Matt 7:21-23)。

で、なんと私と同じことを語っている人がいた(クリックでビデオ)。この神の器は主の再臨の前に最後の大いなる神のわざがなされるビジョンを見ているようだ。これはどうもやばい。私たちはやはり目撃する世代であるようなのだ(極私的にも75%位の確信度になっている・・・)。私たちの制限された知性には収まりきれないが、私たちのスタンスはマリアと同じ。

主よ、私はあなたのはしためです。お言葉通り、この身になりますように!

追記:ビデオがポップアップしない場合はこちらをどうぞ

World Government on the Horizon

Dr. Andy Woods's presentation at a Compass Bible Conference September 2014. He discusses the past, present, and future of Government from a Biblical point of view.

聖書は結婚の書である

この人の証しは興味深い(クリックでビデオ)。天に挙げられ、終末の幻を見せられた、と。・・・ここまでだと何やら怪しい聖霊派の?とも思えたが、彼は言っている:聖書はアダムとエバの結婚から始まり、キリストとエクレシアの結婚、最後は子羊と新エルサレムの結婚で完成すると。うーん、まことにそのとおり。

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さらにこう語る:彼は増し加わり、私は減少する(John 3:30)。真の遜りとは徹底的に神に頼ることであると。そして現代の教会に必要なのは、完全に信頼し、頼ること;最初の愛に戻ることだ、と。ベニー・ヒンの元にいたことがあるそうだが、極めてまともだ。明らかに神は終わりの時代の刈り入れに入っている。

聖書翻訳による真理の毀損

ニッポンキリスト教が生まれる理由は日本語の世界で霊的真理をとらえるためだと指摘しているが、これは英語でも同じだ。ヘブル語やギリシャ語そのものに含まれている素晴らしい真理が翻訳者により毀損されているのだ。再建主義の富井氏もネストレ訳とTRの違いを指摘されているが、かなり神の豊かさが毀損されているのは残念な限りだ。さらに伝統や言い伝え、そして習慣やしきたり(Matt 5:6)。これらから真に解放されたい。

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今回、面白い訳を見つけた。"One New Man Bible"。訳者のBill Morford氏のインタビューがこちらで見られる。さっそく購入したところだ。

今、極私的にチャレンジを受けているのが、マタイ22章29節だ。あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている・・・(Matt 22:29)。これはまさに私に言われている いわゆる神学の理屈を振り回すとか、正しい解釈がどうのこうのとかではなく、使徒時代にあった神の力の現れ(Acts 4:33)をそのままに経験したいという餓え渇きが起きているところなのだ。もしみ言葉の毀損によりそれを得そこなっているとしたら、何とも損でないか。霊的領域ではアグレッシブであるべきなのだ。

求めよ、探せ、叩け!!!

東と西の融合の意味(2)-Hal Lindsey

DVDのお知らせ

KFCのセレブレーションは現在月に2回のペースでPodcastにて配信していますが、ネット環境がうまく使えない方からのリクエストにお答えするために、DVD(音声)の領布を再開したいと思います。ご注文はこちらからどうぞ。

マタイ24章は黙示録6章と同じ事象

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携挙や再臨の時期を巡っては様々な論が飛び交っている。前から極私的にはいわゆる前艱難携挙説は採っていないと言っているが、今回、興味深い解き明かしを見つけた。これによるとエクレシアも艱難を通る。Sid Rothの"IT'S SUPER NATURAL"からどうぞ。

日々キリストのうちに

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ニール・アンダーソンによる黙想


 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです(ヘブル11:6)。

 偉大なオリンピック・スプリンターのウィルマ・ルドルフの人生は際立った信仰の物語です。ウィルマは生まれつき障害を持っており、それにより足が動きませんでした。「わたし、ほかの子たちと同じように走ったり遊んだりできるかしら」と彼女は両親にたずねました。
 「いい子ね、神を信じて絶対諦めちゃダメよ」と彼らは答えました。「もしあなたが信じるなら、神はそのとおりにしてくださるから」。両親のアドバイスに従って彼女は痛みを伴いつつ歩き出しました。12歳になる時までには、なんと喜ばしくかつ驚くべきことに、ウィルマは支持帯が要らなくなっていました。彼女は高校バスケットのチャンピオンシップに出場し、1960年のオリンピックで三つの金メダルを獲得しました。
 ウィルマ・ルドルフのような啓発される信仰の物語を聞くとき、あなたは思うことでしょう、「私も神の言葉どおりを取るならば、そんなことが達成できるのだろうか」と。信仰はクリスチャン生活にとって基本です。神がいかなる方であるか、何を言われたか、何をなされたか、そして何をなされるか、それらが神の国を定義します。
 さらに、信仰はクリスチャンの日々の活動のエッセンスです。パウロは書いています、「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい」(コロサイ2:6)。あなたはどのようにキリストを受け入れましたか?信仰によって、です。キリストと共にどのように歩みますか?信仰によって、です。聖句では、歩むことは毎日の生活を送ることを意味します。勝利のクリスチャンの生き方と霊的成熟は私たちの神に関する信仰によって決定されます。
 私たちは信仰を何か霊的領域にのみ属する神秘的要素として考える傾向があります。しかし誰でも信仰によって歩んでいるのです。それは人生のもっとも基本的に働く原則です。問題は、何をあるいは誰を信じているか、です。私たちは神を信じること、そして神の言葉を真剣に受け取る必要があるのです。

 感謝します、主よ、あなたの御言葉は天において永遠に存立しています。私の感覚や環境がどうであれ、私はあなたご自身とあなたのお言葉に信頼します。

TODAY'S CELEBRATION 【Dec 07, 2014】

UPしました。

●タイトル:神の力を味わい知る
●聖書箇所:マタイ22:29;2コリント6:7;1ペテロ5:6など

●O Hail the Lamb:






Colin Urquhart - The Truth That Sets You Free

神の力を経験するカギを説いています。それはセルフの死によること。しかし、Colinが若い・・・。

これも素晴らしい・・・・神は私たちをどう見てくださっているのか?

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