美しい朝
- 2012/11/07 08:03
- Category: 日記
- Tag: PHOTO
Dr.Luke的日々のココロ
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こんなことは今までなかった
僕があなたから離れていく
僕があなたから離れていく大いなる河のように
時は流れ戻るすべもないこんなことは今までなかった
別れの言葉をさがしている
別れの言葉をさがしている僕のせいいっぱいのやさしさを
あなたは受け止めるはずもない
朝のジョッギング、やや疲労がたまっているはずなのだが、5時に起床、やけにハイの状態。主観的には疲れがまったく感じられない。ところがなんと、不覚にも転倒。凹凸に躓いたのだ。子供のようにアチコチ擦り傷が・・・そう、このところ何とも忙しく、地方へも行ったり来たり。論文作成と学生指導などが目白押しだった。しかし主の不思議な配剤により、懸案事項も無事解決。ほっと一段落といったところ。実に不思議なほどにすべてが備えられたのだった。・・・が、本日はまだ一仕事DA・・・。その後、映画『アルゴ』の予定。
アメリカは完全にイスラエルを見捨てるようだ。イスラエルのイラン攻撃はアメリカの国益に反すると。アメリカの衰退はさらに進むことだろう。
そのアメリカがモンスター・ハリケーンに襲われ、甚大な被害が出たわけだが、その副産物として次のような光景が・・・。Does it make sense to you???
このハリケーンが実に不思議な軌跡を描いているようだ。いつもの物理学の井口博士の説明をどうぞ。
まことに2012年、デストラクション&アンコトローラブルの年。
昨日は午前様。ハロウィンもあって盛り上がっていた。あのニッポンが元気だったバブル期を彷彿とする活気で、何かウキウキ。経済は泡が必要なのだ。今のようなちまちました水野忠邦的政策では、石原氏の言うとおり、ニッポンは窒息して死ぬ。小沢氏がどうも浮上できないようなので、私的には石原氏に大いに期待したいところだ。国民様、今度選択を誤ればニッポンはほんとにオワル!
・・・と言うわけで、これから国試へと向かう壮行会も兼ねた打ち上げ会は実に楽しく盛り上がった次第。
今朝の光景から・・・
金曜日、ランチを終えてまったりしている。今晩は卒研の学生諸君と打ち上げを六本木で。まあ、何かと理由をつけてソコに行きたいわけだ、よーするに・・・。いや、しかし、楽しい・・・。矢沢も言っている、50を過ぎていろいろ見えてきて、ホントのハッピーの何たるかが分かったと。アー・ユー・ハッピー?この質問は鋭い。自分の心には嘘がつけないからだ。
空気が凛としまってきた。肌をなぞる風が実に爽快だ。筋トレと熱いシャワーで心身はリラックス。βエンドルフィンとセロトニンを味わいつつ、実にリッチな朝だ。かくして痛勤電車の中が快勤電車となるのだ。
春は桜、夏は海と山、秋は紅葉、そして冬は富士。一年を通してその時々に神は楽しみを備えて下さっている。
Hello! Greeting in Christ! imitating recent Arther Holland :-)
朝のジョッギング。そろそろ紅葉がちらほらと。
このところあちこちを飛び回り、忙しい。で、緊迫する中東情勢を追うのもやや疲れを覚えている。やるのかやらないのか、完全に心理戦。しかしこういった場合、世間が息を抜いた思わぬ時にドーンとクルものだ。
そこでちょっと息抜き的ニュースを。アメリカという国は実に面白い。イイものもワルイものも出てくるわけで・・・。まあ、まずニッポンでは無理だろう。
本日はこれからプールとサウナ。午後は映画の巡航モード。矢沢も言っているが、カネを得て、名声を得てもちっともハッピーじゃなかった。が、当たり前の生活、これが一番ハッピーだと50を過ぎて分かった、と。まことに同意する次第。彼の逸話は実に面白い。
昨日はマレットゴルフ・コンペと同級会。いや、みんなそれなりによく生きている。仕事の重責を担い、家庭を守り、そろそろ孫もでき、定年をあと数年後に考えている状況だ。ちなみに私はまだ10年残っているわけで(かなり長いかもだ・・・)。欠けたやつはひとりもいない。それにけっこう見た目が男子も女子も若い。そのうち赤レンガのMotion Blue辺りでと考えている次第。みんな、これからだからな!
また金曜日。なんという早さ。本日で後期も1/3が終了。これから帰宅して故郷へ向かう予定。
終わりの時代、偽りがきわめて蔓延りつつある。真理が毀損され、自分にとって都合の良い口当たりの良い教えや思想がもてはやされている。いわく、神は愛だから裁くことはない;地獄などは存在しない;すべての人は信仰のあるなしによらず救われている;宗教はなんでもよい;聖書の言葉は神について記した人の記事にすぎない;御言葉自体が神の言葉ではない;救いはイエスの名だけによらない;あらゆる宗教の壁を取り払うべきだ;モスレムとクリスチャンは同じ神を礼拝している;人には罪がない;主の十字架は無意味だ;十字架などという過酷な救いの道を選ぶな;ありのままの自己でよい・・・etc。これらはいずれもバビロンの霊にルーツを有する、グノーシスやニューエイジの焼き直しに過ぎない。欺かてはならない。イエスの教えを超えた者たちは御父と御子にとどまっていない。それは滅びへの道である。
だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。-1John 2:9
セルフはありとあらゆる偽りを捏造して自己を正当化し、救おうとする。時にはイエスの名すらも用いるが、彼らのイエスはあのお方ではない。別のイエスである。
こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく-Eph 4:14
それは時に神学や哲学、さらには証の形すら取るだろう。一見神を求めているかのようであるが、彼らの神は彼ら自身なのだ。そこには自己を退けることがない。神の主権に服することがない。神の言葉を自らの知性で裁き、神を自分の慰み者とし、自己憐憫の対象とする。彼らは恐るべき罪を犯している。自作の神を、自演的に弄び、真の神とその御言葉を侮る罪を犯しているのだ。しかし彼らには病識がまったくない。これが致命的である。
終わりの時代、神の武具による武装と、剣である神の言葉による霊と魂の切り分けがますます必要とされる。沈黙させられてはならない。御言葉を語れ、兄弟姉妹よ。
こうして神の言(ロゴス)は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。-Acts 6:7
すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。 -Acts 18:9-10