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Tarzan!

ファイル 9-1.jpgちょっとボディコンおたく系の雑誌なのだが、やはりカッコイイ-『Tarzan』。私は鬱病の女性たちにはananとかnon-noとかJJなどのファッション雑誌をながめよ、と指導している。視覚系からの刺激でホルモンが分泌されて、生きる意欲も湧いてくると言うもの。人間、色気を失ったらお終いなのだ。オジサンになってもセクシーでありたいと、ジョージ・クルーニーを手本にガンバッテみたい(笑)ファイル 9-2.jpg
ファイル 9-3.jpg

なお、上級者はこちらのMuscle&Fitnessをどうぞ。

亀田家の病理

彼らの特徴として、父親と息子たちの結びつきの強さが異常であることは容易に見て取れる。普通この年の息子は父親と対立するか、敬して遠ざかるもので、ひたすら父親を乗り越えるために、社会的に自分を確立する努力をするものだ。この父と息子の対立をエディプス葛藤と称する。ギリシャ神話において、エディプスは父親を殺して母親と結ばれたのだが、その神話の根底にある精神病理にフロイトはその名をつけた。

男児は幼児期に人生で最初に出会う異性である母親と擬似恋愛に陥る。が、そこには父親と言う強力なライバルが控えている。ここで男児は深刻な三角関係に陥るわけ。この際、父親に対する敵意とか嫉妬を強く覚えるほどに、投影の機制によって、父親から報復されることを恐れる。しかも彼らは世には"ない人"がいることを知っている。つまり"去勢された人"だ。こうして自分も父親に取られてしまうのではないかと恐れるわけ。これを去勢不安と言い、男性は基本的にこの恐れを持ち続ける。逆にこれが在るほどに、自分を律し、社会的な存在であり続けることができる。男はリストラされたり、メンツを失うとボロボロになるが、これは去勢されまいとする頑張りのツッカエ棒がはずされることにより、かくして時には自殺もする。

さて、この去勢不安を回避するために、男児は父親と妥協策を取る。これが父親との同一視であり、自分はついている者として、父の仲間だぞと言う意識によって、自分のジェンダー(社会的性同一性)を確立していく。この時に父の価値観を取り込むことにより、いわゆる社会規範を確立し、社会化していく。こうして家庭の中でのポジション、さらには社会での地位を見出していく。

しかしこの葛藤は無意識化されて、ずっと続く。これが思春期ごろになると、体力も知力も父親を凌駕するようになるにつれ、第二次反抗期として、父親との対立を生む。普通はこの葛藤が社会化されたポジティヴな形で発揮され、父親を乗り越える原動力となる。こうして男は自立していく。

さて、亀田家の場合、この去勢不安が社会化された形ではなく、かなり原初的な形で残存し、しかも父子癒着によって、息子たちは父との葛藤は抑圧され、社会あるいは世間に向かっているのだ。彼らの挑発的言動はすべてこの去勢不安の裏返しであり、その外なる表現から去勢不安の強さが読み取れる。

父自身が複雑な家庭環境で育ったらしいが、彼も自分の父との葛藤を社会化しておらず、その去勢不安を社会との闘いに変形して表現している。「俺たちは負けたら後がないんじゃっ!」はまさに彼の生の去勢不安の現れである。今回のその言葉どおりになったわけだが(去勢されてしまったのだ)、普通ならば、負けても社会的立場は失うことはない。なぜなら社会化されているからだ。しかし亀田父は違った。

かくして絶えず社会あるいは世間を擬似的な父として、それと対立し、エディプス葛藤を大人になるまで持ち越してしまっているわけ。これが彼らの幼稚な言動のある種の真剣さと滑稽さの原因である。この親子はまさにエディプス的カプセルの中で生きているわけで、これがために世間も勝てば良し、負ければ世間の大衆サディズムが発動されて、居場所すらも奪ってしまう。

今後、彼らが再起するためには、この生の去勢不安を社会化することが重要であり、ある意味去勢されてしまった分、第三者が冷静にこの成長過程を指導してあげる必要があろう。根は純情なのだから、まだ十分に可能性はある。そのためには、世間に変わって、彼らの父親役を引き受け、しかもその関係の中で社会規範を彼らに植え付けることができる人物が望まれる。人生の酸いも甘いも知っているガッツ石松とか渡嘉敷とかがぜひ面倒見てあげてほしいと思うのだが。

人間、その成長過程のそれぞれの時期に、それぞれの内的作業を適切に行っていないと、トンでもないことになることが今回の騒動でよく分かるのだ。で、ニッポンキリスト教界にもこの種のカプセルの住人がけっこう多いと思われるが、どうだろうか?

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