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陶淵明とジーザス

一日の仕事を終え、風呂でリラックスした後、ビールでホッとしているところ、面白い漢詩の意釈を見つけた。

ファイル 3613-1.jpg

 廬を結んで人境に在り
 而も車馬の喧しき無し
 君に問ふ何ぞ能く爾るやと
 心遠ければ地自づから偏なり
 菊を採る東籬の下
 悠然として南山を見る
 山氣 日夕に佳く
 飛鳥 相與に還る
 此の中に眞意有り
 辨ぜんと欲して已に言を忘る

 注:当時、菊は薬草として用いられていた;南山は永遠不変の山で長寿を表す

誰にも煩わされることのない庵を結び、心が名声などから離れていれば、穏やかな人生が送れる。薬草の菊を採取しつつ悠然と南山を見ると、飛ぶ鳥(からすであろう)が群れを成して帰るところだ。こうして一日は終わる。この何気ない光景に真理があるのだ。しかし、もうあえて語るまい・・・と、この詩人は人間にとって必要なものは、当たり前の生活における命(長寿)と安息だよ、と何気に教えているのだ(石川忠久:『漢詩の講義』)。ここでまことにイエスの言葉を思い起こす:

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。-Matt 6:26-34

主は朝から働いている者にも、午後5時ころに雇った者にも同じ賃金を払って下さるお方(Matt 20:7-9)。ならば、午後に雇われる方がよいであろう。何も朝からテンパって、神のためと称してあくせくするまでもない。かえって

それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし・・・-Ps 69:9

私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。-Ps 119:139

とあるとおりだ。熱心さは信仰生活にとってもっとも狡猾な罠だ。対して、主にあるアイドリング生活-これ、かなり安楽で、しかも楽しく、満ち足りる人生が送れるのだ。右脳的脱力のコツを学んだ者は幸いなのだ。

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。-Mark 4:26-29

改めて-

アー・ユー・ハッピー?

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大脳の生み出す世界-文字とイメージ

漢詩は昨日のような感情を詠い、こちらの感情に共鳴するものもあれば*1、文字ではあっても一服の絵が脳裏に構成されるものもある。仮に意味が分からない場合でも、漢字そのものの形を楽しむことができるのも不思議なものだ。私たちの大脳は、言語は左脳、イメージは右脳が担当しているが、漢詩に触れる時、左で理解しつつその世界に入り込むとき、右脳がフワーッと解放される快感を覚えるのだ。「見える」体験、「感じる」体験だ。詩人と同じ何かを共有し、味わうのだ。

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前にも紹介したが、脳科学者のジル・ボルト・テイラー女史の著書『奇跡の脳』によると、彼女が脳出血で左脳がやられた時、すばらしい恍惚体験をしているのだ。私たちはしばしば、言語や論理によって自分を自分で拘束する。しかしその拘束が解けた時、私たちはエクスタシーを味わうことができる。世界がまったく違って見えるようになるのだ。あらゆる対象が新鮮で、美しく、歓喜を生む:

脳卒中により、わたしは内なる自分を見出しました。ほんの少し、考え方や感じ方を変えるだけで、深い心の安らぎが得られることに気づいたのです。・・・あわただしい人生の、当たり前の混乱の中にあっても、心の喜びに触れることができると言う意味なのです。
 大脳半球の両方が一緒に機能して、瞬間ごとに「現実」と言う知覚を生み出します。わたしたちはしょっちゅう右脳マインドを使っているわけです。「現在の瞬間」の回路につながったときにからだをよぎる、微妙な感覚(そして生理機能)に気づくことさえできれば、その回路を自由自在に操ることができます。「今」、「ここ」しかない、安らかな右脳マインドの意識と人格を思い起こすさまざまな方法を、あなたにも教えてあげたい。-『奇跡の脳』

私もつねに大脳をアイドリング状態に置いているので、普通の人よりはこの右脳によるエクスタシー体験を味わっていると思う。私は「気持ちのイイことしかしない」の意味はここにある。漢詩に触れる時、どうもこの言語とイメージがきわめてバランスよく大脳の中に展開する。彼女の言う「その回路」を操ること、これが何とも言えない快感を生むのだ。

漢字-古くて新しい、何とも奥が深いものだ。一体誰が、いつ、どうやって考え出したのだろうか、と改めて・・・。彼らの方がわれわれよりもはるかに豊かな感受性と感動の世界に住んでいたのだろうと思う。そう、彼らはこの質問に大胆に「イエス」と答えたであろう:

アー・ユー・ハッピー?

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獨り憐れむ 幽草の澗邊に生ずるを
上には黄鸝の深樹に鳴く有り
春潮 雨を帯びて晩來急に
野渡 人無なく 舟は自ずと横たわる

*1:しかし、蝋燭に仮託して、決して露骨には表現しない。それは幼稚なのだ。

FAKEの時代

さすがに今朝は起きれなかった。と、これからプールとサウナで目覚ましを。

さて、私は2000年に入ってから、今の時代はフェイクの時代。私たちは壮大なフェイクを見せられている、と言ってきている。真実はどこにあるのか。まことに「焦思情偽」なのだ。ここの読者諸氏におかれては、"911"がアルカイダによるテロと思っている人は、さすがにもういないと思う。"311"も波形から見る限り、かなり人工地震的。今回のボストン爆破も、あの二人の仕業と考える人もいないと思う(少なくとも、彼らが実行犯だったとしても、彼らは"使われた"に過ぎないのだ)。そしてこの写真。

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もうこれが本物と考える人もいないと思う。ちなみにこのビデオ、サメにより片足を失うと人はどうなるか、これがリアルなのだ。なお、閲覧のためには年齢確認のためのログインが必要。

Actual Shark Attack!

まことに終りの時代、サタンはこの世と言う自分のステージにおいて、壮大なフィクションを見せてくれる。世のマスコミや政府発表なども、ひとつのプロトコルに従って動いているに過ぎない。そこには台本があり、台本を書いた者がおり、そのルーツにはあの者がいるのだ。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら・・・。世を上手にサーフィンするためには、騙されていることが大切なのだ。まあ、ニッポンキリスト教においても同じだが。まことにあの者は-

悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。-John 8:44

わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。-1John 5:19

続続・魚玄機の魅力

彼女の不条理は遊里に生まれたことだけではなかった。女であること、そのことがまさに、だったのだ。しかも絶世の美貌を備え、かつ深い教養があった。彼女は当初自分に近寄る男たちに歯牙もかけなかったようだ。彼女から見れば彼らは教養もない下卑た連中に過ぎなかったのだろう。

鴎外の形容は-

眉目端正な顔が、迫り視るべからざる程の気高い美しさを具えて、新に浴を出た時には、琥珀色の光を放っている。豊かな肌は瑕のない玉のようである。

ある春の日、長安の崇真觀という道教の寺院に遊びに行き、南樓をたずねると、そこに新しく進士(現在の国家公務員試験I種に相当)に及第した人たちが、名前を書きつけている場面を目撃した。その時の彼女の実に率直な感想の詩-

崇眞観の南樓に遊び、新及第の題名のぐ處を観る

雲峯 満目 春晴を放つ
歴歴 銀鉤 指下に生ず
自ら恨む羅衣の詩句を掩ふを
頭を挙げて空しく羨む 榜中の名

遠くの山の雲、景色もすばらしい気持ちのいい春。壁の達筆なお名前を一つひとつ指で指して見ています。新しく及第した進士たちのお名前。だけど私は女。どんなに巧みな詩詞を作っても空しい。女であることが残念で、彼らの名を羨むだけ・・・。

鴎外はこう書いている-

玄機は才智に長けた女であった。その詩には人に優れた剪裁の工があった。温を師として詩を学ぶことになってからは、一面には典籍の渉猟に努力し、一面には字句の錘錬に苦心して、ほとんど寝食を忘れる程であった。それと同時に詩名を求める念が漸く増長した。

しかし、彼女は利徳の愛人となり、徐々に自分の女に目覚めていく。同時に正妻からの恨みを買って利徳にまで捨てられる。そのような自分の不条理を彼女はこう詠っている-

隣の女に贈る

日を羞じて 羅袖に遮り
春を愁いて 起妝(きしょう)に懶(ものう)し
無價の寶を 求むるは易きも
有心の郎を 得るは難し
枕上 潛かに涙を垂れ
花閒 暗に腸(はらわた)を斷つ
自ら能く 宋玉を窺う
何ぞ必ずしも 王昌を恨まん

起妝=起きて化粧すること
有心郎=愛情を注いでくれる男
宋玉=楚の詩人宋玉は美男子だったので、隣の女がのぞき見したという故事を受ける。ここでは李億のこと。
王昌=六朝の梁の武帝の詩に、盧家に嫁した莫愁という美女が実家の隣の王という男に嫁げばよかったと後悔したと詠われたことを受ける。王昌とは一般に女の実家の隣にいた初恋の相手のこと。

春の日差しすら恥ずかしく、薄衣で顔をさえぎるの。春なのに愁いは募り、起きてお化粧するのも物憂い。高価な宝を得ることは簡単だけど、自分を本当に愛してくれる殿方を得るのは難しいこと。ひそかに枕に涙し、花が咲き誇る中でこころは断腸の想い。でも自分であの人を選んだのだから、今更あの人を恨みなどしない・・・。

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この二つの詩を読み比べるとき、ますます玄機*1の魅力に捕らえられてしまう。女性の魅力は、もちろん黄金比φに基づいた造りが前提ではあるが、しかし単にそれだけではあたかも隣国の同じ顔した規格品的整形美女たちのようなもの。その内面に玄機のような深い教養と、しかも自分では如何ともし難い不条理と葛藤を抱えた女性、私はそのような女性に限りなく魅了されるのだ。先にも書いたが、唐人お吉もその一人。私の中では玄機とお吉はある種の重なりを覚えている。

*1:「玄機」とは道教の用語で、真理の意味だそうだ。

続・魚玄機の魅力

森鴎外の『魚玄機』によるとこうある:

 この時李は遽に発した願が遽にかなったように思った。しかしそこに意外の障礙が生じた。それは李が身を以て、近こうとすれば、玄機は回避して、強いて逼れば号泣するのである。林亭は李が夕に望を懐いて往き、朝に興を失って還るの処となった。
李は玄機が不具ではないかと疑って見た。しかしもしそうなら、初に聘を卻けたはずである。李は玄機に嫌われているとも思うことが出来ない。玄機は泣く時に、一旦避けた身を李に靠せ掛けてさも苦痛に堪えぬらしく泣くのである。
李はしばしば催してかつて遂げぬ欲望のために、徒らに精神を銷磨して、行住座臥の間、恍惚として失する所あるが如くになった。
李には妻がある。妻は夫の動作が常に異なるのを見て、その去住に意を注いだ。そして僮僕に啗わしめて、玄機の林亭にいることを知った。夫妻は反目した。ある日岳父が婿の家に来て李を面責し、李は遂に玄機を逐うことを誓った。

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鴎外によると、美貌にして深い教養を持つ玄機は李の妾となるも、彼に身を任せることがなかったのだ。李はこれで悶々とし、妻もその所作がおかしいことに気が付く。夫と妻は反目するが、ついに李も玄機を追い出すことを決意する。かくして武漢で彼らは別離れるのだ。その時の彼女の詩がまたけな気なのだ。

秦楼幾夜か 心にかないて期(ちぎ)りし
料らざりき 仙郎別離有らんとは
睡り覚めて 言う莫れ雲去るの処
残燈一盞 野蛾飛ぶ

この歌によれば、実際の仙郎の日常は鴎外の記述とは異なるようだ。この転句にある「雲去るの処」は、戦国時代、楚の国の襄王(BC299-263)が、大夫の宋玉を伴って雲夢(うんぽう)で遊んだときの故事を受けている。これがまたロマンチックな物語ではあるが、ここでは略。いわゆる『巫山の夢』。

もうひとつの彼女の詠んだ詩:

水柔らかにして器を遂う 定め難きを知る
雲出るに心無し 肯て再び帰らんや
惆悵す 春風 楚江の暮
鴛鴦一隻 群を失いて飛ぶ

水が器に従うように、わたしもあなたに従うだけ、自分の運命を自分では定めれることができないの、と。ここでも「雲出るに心無し」と襄王の故事を受けている。昨日の北原白秋ですら、気が狂いそうだと、文学者としてはあまりにも露骨な表現をしているのだが、それだけ彼は自分の心を御し難かったのだろう。対して、この「郎」に過ぎない玄機は、別離という人生の最も過酷な場面において、深い教養を散りばめた漢詩という形で自分の心を昇華し得た。文学はまさに人間の不条理による深い葛藤から生み出される、というより絞り出されるものなのだ。

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聖書においてすら、神の御計画が着々と成就する契機となる個々の場面においては、この男と女のまことに奇なる絡みが実に味わい深く働き、それが綾なされて遂にはイエスというお方をこの地上に生み出すのだ。まことに神の摂理だ。そこにはもちろん生身の人間の傷と痛みがある。イエスの系図にはその人間の不条理ゆえの葛藤の綾が匠みに織り込まれているのだ。人類の究極の不条理を、神は人間イエスにおいて、その経験された傷と痛みの不条理において見事に昇華されたのだ。文学や芸術など人の営みは、ある種、神の葛藤の型と言えるのだろう。玄機の生涯においてもその痕跡を見ることができるのだ。

just as...

魚玄機の魅力

朝が美しい。緑が濃く、花の紅が引き立つ。鳥のさえずり、鶯の呼ぶ声。まさに麗朝だ・・・。

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落葉 紛紛 暮雨に和す
朱絲 獨り撫して 自から清歌す
情を放ちて 恨むを休む 無心の友を
性を養いて 空しく拋(なげう)つ 苦海の波
長者の車音 門外に有り
道家の書卷 枕前に多し
布衣 終に雲霄の客と作(な)るも
綠水 青山 時に一過せよ

彼女、調べるほどに情熱的かつ魅力的な女性だ。日本的には瀬戸内寂聴か、あるいは八百屋お七的かもしれない。世間的には愚かな女だ。しかし思春期から美しい心に憧れ、道教門下に入ったのも、遊里生まれという不条理な事実に対するせめてものもがきだったのだろう。最近、AV女優の山川青空なる子のTwitterでの叫びが話題になっているようだ。

自分の体が汚い、そんなこと分かってた。心も体も死んでる、何度も実感してた。生きてる価値なんて無い。それでもどうしても譲れない想いのために頑張ってきた。でも、所詮はお金を生むための道具でしかない。性的対象の道具でしかない。私はとっくに死んでた。そしてあなたが私をこれから殺すんだ。

前にSalt氏が菜摘ひかるという風俗嬢が書いた本について感想を述べていたが、このような世界の子たちの心の中は、実は一般の女性たちよりもよほど純粋にしてけな気なのだ。彼女たちと近い世界に生きている若い子たちと接している私はそれを経験的に知っている。マグダラのマリアの愛の表現をそのままに受けることができたあの方のみが、彼女たちの門の前を通り過ぎることなく、彼女たちの心に立ち寄り、サマリアの女の時のように、その渇きを癒し得るのだ。イエスは女性たちにかなりモテた。彼女たちの心が分からんトウヘンボクでは、決してなかったのだ。

いろんな想い

木の葉はらはらと舞う 夕暮れの雨にとけて
赤き糸を弾きつつ 静かに独り歌う
募る想いをわすれて もうやめよう 薄情のあの方を恨むのは
本性を養う修行も この現世の苦しみには虚しいだけ
わたしの待つ高貴なお方の車の音 ただ門の外を過ぎるだけ
道家の書物は枕元に山ほど積まれているのに
無冠だったあの方が雲上の人になられても
川遊びや山巡りの際 ちょっとでも尋ねてきて欲しい

as if...

追記:漢文はお勉強の対象ではないのだ。こんないじらしい心を詠うことができる。ことばは表向きではなく、その深い心に触れること。時間と空間を超えて作者と心を重ねることができるのだ。

所感

2013年、「ターニング・ポイントの年」と年賀状に書いた。特に「イヤー・オブ・ウォー」と繰り返し言っている。私たちは聖書預言的に見ても歴史的事件を目撃する。いよいよ中東が火を噴きそうだ。Twitterで流したが、イスラエルがシリアを爆撃、アサドも宣戦布告した模様。ついでにオバマのホモ疑惑が・・・。一部では彼の牧師が相手とも!?

*   *   *

さて、諸々の世事を離れて、漢詩の世界に籠っているDr.Lukeではあるが、絵画もけっこう好きなのだ。何分、場所がないので実際の筆は取れないが、写真を加工して遊んでいる。静物画って、けっこう見ていると心が落ち着くのだ。

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*   *   *

漢詩と言うと男の世界。ところが晩唐に魚玄機なる女性がいた(844-871)。漢詩の才は抜群。字は蕙蘭(けいらん)・幼微。長安の遊里に生まれ、20歳で高級官僚李億の妾となるが、後に捨てられる。清らかな心に憧憬し、道教に入るも恋愛感情を燃やし、ついには愛人と侍女の関係を疑って彼女を殺害。死刑となった。享年26歳。恋に燃えた数奇な一生だった*1。この女性の漢詩がかなり艶かしいのだ。

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自ら嘆ず多情は是れ愁い足しと
況や風月 庭に満る秋に當るをや
洞房 偏へに更聲と近し
夜夜 燈前に 白頭ならんとす

この詩でも自分の感情を持て余し気味だが、それでも自分をこのように客観的に表現する術を持っていたのに、最後は自分の情を昇華しきれず、嫉妬から殺人を犯してしまう女の業。唐代も現代も、女の気持ちは普遍的なのだろう。just as...

スカイレストラン

秋の愁い

わたしは知っているの、いろいろな人を愛する気持ちが強いから、愁いも深いと
そう、まして今はさわやかな風と月の光が庭に満ちる秋だから
それにわたしの部屋は時を告げる鐘の音に近いところにあるから
夜ごと、燈火の前であの方を待つうちに白髪になってしまいそう

*1:電気屋さんが「美の条件」シリーズをモノされていたが、私の心惹かれる唐人お吉について、単なる造作がソレ系なのは魅力を感じない。抗いがたい運命を負っていたり、人生の陰を負っていたりが魅力となる、と書いた。魚玄機は、この点、生まれが遊郭、実力はあるのに自分の女であることを残念がるなど、私的には十分に惹かれる女性ではある。なお、その生涯は森鴎外の小説『魚玄機』を参照のこと。

十字架のしるし

今朝もグッドな走り。ジョッギングと風呂で体温を上げて、HSPを生産し、実に爽快。とにかく人生、気持ちのイイことをするだけ。自分の心が拒否することはしない。これが健やかさの鍵。

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さて、世界は何が本物で何が作り物か、いろいろとかまびすしいわけだが*1、空を見上げると、これが実にロマンチックだ。この映像、NASAのSOHOの写真に映った十字架。太陽の近くだ。これは作り物ではないだろう。

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そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。-Matt 24:30

*1:下の「ボストンの不思議」に写真を追加した。これが笑えるのだ。

英語のリスニング・テスト

本日はオシゴト。通勤電車のなんと快適なこと。ゆっくりとiPodのJazzを楽しんだ。

で、このネタ・・・

なんともブッシュJr.はカワイイ。憎めないキャラだ。このビデオ、ボストン事件についての彼のコメント。英語の聴き取りに自信のある人、ぜひチャレンジを。to me it is heard as follows:

"...this could been an, ah...you know...another consp....gov...organised, highly organised attack on the country..."

「・・・これはね、あ、そう、もうひとつのコンス・・・あ、ガヴァ・・・組織された、高度に組織されたこの国への攻撃・・・」

ブッシュの奥さんの視線にもよく注意。

言うまでもないと思うが、「陰謀」は英語で"conspiracy"。"another"は「もうひとつの」。つまりボストン爆発事件は「もうひとつの陰謀・・・」と言い掛けて、モゴモゴというわけだ。てことは、911も・・・。ブッシュはイイやつなのだ、根は単純で。

ついでにこのインタビュー。左足を切断された直後の"被害者"のなんとも生き生きしていること。

Glen Beckはオバマに対して、今回の事件がインサイド・ジョブであることを認めよと迫っている。彼は何か確たる証拠を握っているようだ。

いやはや、面白い劇場だ。まあ、踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら・・・といったところか。

ボストンの不思議

まず、この3枚の写真を。あの時の被害者が運ばれる場面だが、一枚目には婦人が吐血している様子はない。黒い服装の男がなにやらスプレーのようなものを差し出してる。すると、2,3枚目にはリッパな口から血を流した哀れな御婦人が・・・。

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そしてこちらの映像。あの両足がボロボロになったボストンのヒーロー的人物。この写真、もう怖くもなんともないでしょう。作り物ですから。

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この男、車いすで一度運び出されて、どこから戻ったのか、再び登場するのだが、その際に"足"が途中で落ちてしまうのだ。黄色のマーカージャケットを着た人があわてて拾い上げて、画面から去っていく。体の半分以上の血液を失いつつ*1、意識がはっきりしている。しかも二度も"出演"している念の入れよう・・・。

私たちの視覚は容易に騙されるのだ。いくら騙されることを楽しみとするDr.Lukeとしても、これはちょいと・・・。

追記:この写真と上の写真を比較して欲しい。このショットには右足の膝がついている!?

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*1だいたい、こんな損傷を負った者を座らせますかって!重力により出血を増すだけでしょうが。でも地面には血の跡がない?心臓よりも傷口を上にするのは救命措置のイロハのイ。

あったのにない!?

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この写真を見て欲しい。この人物はほとんどボストンのアイコンとなった感があるJeff Bauman。彼はボストン・メディカル・センターにて"治療"を受けたようだが、犯人の目をサングラスごしに見たと証言し、彼の証言が犯人特定の決め手となったようだ。

で、彼のぼかしなしの写真はこちら。

この写真をよく見ると、彼の右足は太ももからボロボロだ。ところがこちらのショットを見て欲しい。

ファイル 3560-2.jpg

爆発直後の彼の写真。いかだろうか、特に彼の右足を見て欲しい。膝がちゃんとあるではないか!?先の車いすの彼の足と比較してみて欲しい。それとも彼の右足は爆発後に吹き飛ばされたのだとでも?

さて、あなたはどう考えますか?

ボストン爆発事件の兄弟犯人は二重スパイ?

うーむ。このような説が出てきた。

The conclusion reached by debkafile’s counterterrorism and intelligence sources is that the brothers were double agents, hired by US and Saudi intelligence to penetrate the Wahhabi jihadist networks which, helped by Saudi financial institutions, had spread across the restive Russian Caucasian.
Instead, the two former Chechens betrayed their mission and went secretly over to the radical Islamist networks.

FBIは彼らと数年前から接触していたようだ。ところが、その事実を一度否定し、また認めると言った不手際を晒している。彼らの母親は当初よりそのように主張していた。

こちらに殺害された兄の遺体写真があるが(グロなので、自己責任で!)、何故にこんな傷を負うのだろうか。銃撃戦だったはずだが・・・。

どうもこのふたり、スケープゴートにされた印象が強まってきた。当局は何かを画策していたが、それを隠ぺいするために彼らを動かして、それを理由に始末した感じか。

追記:この左胸の傷は医師が救命措置として行った心臓マッサージの痕跡らしい。

ついで弟は口にガンを加えて自殺を図ったもよう。

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