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時代のキーワードは「脱力」!?

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私の好むちょい悪おやじ系マガジン、ジローラモがキャラの"LEON"*1。読者層は年収一千万を超える遊び系おやじたちだそうだ。まあ、確かに学生諸君は読まないとは思う。今月号の特集は「脱力リッチにニットとガウン」だとか。力(リキ)入れて、汗だくで青筋立てて稼ぐのはカッコ悪いし、かと言って、いわゆる成金にもなりたくはない。スマートに稼いで、スマートに使いたいのだ。ちなみに私は遊ぶカネは家計とは別口座。家計はすべて奥さんに預けている。そう、株でちょいちょいなのだ*2

とにかく何をするにも、しないにも、脱力していたい。今朝も風呂に30分浸かり、主と交わり、HSP(ヒート・ショック・プロテイン)を生産し*3、これからゆっくりと出勤。また学生諸君と戯れる一日が始まる。それにしてもすでに10月も終わりそう。夏休みを過ぎるとつるべ落としなのだ。では

HAVA A NICE DAY!

*1:しかしイタリア男って、どうしてこうも顔が遊び人なのだろうか、といまさらに想うのだ。
*2:「カネは人を選ぶ」とよく言われるが、ガツガツとカネを欲しがると、カネは逃げる。女性と同じで、カネに下心を持ったら逃げられる。あくまでもサラッと、つかず離れずの距離感を保ちつつ、何気に会話を楽しむことだ。つまり、つねに脱力していること。え、どっちの話?
*3:それって何?と思った人は過去記事「老化阻止、高体温によりHSPを増やせ!」をクリック!

十月十日は「萌え」の日

本日は知る人ぞ知る「萌え」の日。萌は十十に日月だ*1。なるほど、まさにヲタクの日。先に「ニッポンの最先端テクがみな萌え系になるのはなぜ?」と問題提起し、フランスでも"TOKYO CRAZY KAWAII PARIS"なるイベントがあることも紹介した。「萌え」はこれからのキーワードになるかもだ。

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で、「萌え」の日発売の『文藝春秋十一月号』が面白い。邪馬台国の記事が目に留まって買ったのだ。その名も「大型企画-歴史の常識を疑え」。例えば、竜馬の秘密。あの福山雅治が演じた爽やか系の竜馬は実像とは程遠い。どうも司馬遼太郎が作り上げた竜馬像が刷り込まれてしまっているようだ。リアルの竜馬は、なんと、梅毒の末期患者だったのだ!?ニーチェが梅毒性の脳障害で狂気のうちに死んだことは有名だが、竜馬よ、お前もか、というわけだ。西郷隆盛などはドスで天下を変える式の人間だったと。加えてストレス病で苦しんでいたらしい。あの豪快な銅像とは正反対の性格だったのか?まあ、『三国志演義』や『仮名手本忠臣蔵』と同じで、役割がそれぞれにできてしまっているのだ。現実はもっとドロドロ。勧善懲悪式に割り切れるものではない。例えば、吉良上野介などは地元では名君なのだ。浅野などよりもよほど行政手腕は長けていた。彼の側から見れば、それこそ思い当たる節のない因縁を付けられたのだ。劉備と曹操についても同じ。

そしてここでも何度も触れている邪馬台国論争。数理歴史学者の安本美典氏がベイズ統計に基づいて、畿内説を否定、北九州説を立証している。箸墓古墳が卑弥呼の墓との説はどうも年代測定にインチキがあるらしい。これは前にここでも資料を提示した。ベイズ統計とは、条件付き確率を用いて、原因の確率を推定する手法*2。これによると、もろもろの考古学的資料の分布の確率から逆算すると、『三国志魏志倭人伝』の記述と一致するための畿内説の確率は0.3%、北九州説は99.7%になる。かくして100年に渡るこの古代ロマンあふれる論争も東大説でケリが着くと言う次第。しかし畿内説を取る権威ある学者は、年代推定法のインチキも、こういった数理科学的アプローチも目を塞いで決して認めようとしないのだ。まさにシーザーいわく、「人は見たいものを見たいように見て、聞きたいことを聞きたいように聞く」とあるとおり。

その他、「反中・反韓派VS反日派 大激突」とか「TPPの罠」など、盛り沢山。「萌えの日」の秋の夜長を楽しめる号ではある・・・・。

追記:「萌え系」DOZO-

*1:何故、Dr.Lukeは知っているのだ?とは聞かないこと。
*2:例えば、Dという疾病の原因としてA1,A2,A3があるとする。Aiの原因によりDを発症する確率P(D|Ai)は調査で分かる。ではDを発症した時にその原因がAiである確率P(Ai|D)はどうなるだろうか?



となるのだ。要するに結果の確率から原因の確率を計算することができる。最近ではSPAMメールなどを仕分けするソフトのアルゴリズムでも使われる。

道可道非常道

「道の道とすべきは常の道にあらず」-老子

無為に生きる

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安らかに、いのちのままに任せるだけ・・・。自分が自分のいのちの法則に乗っている事さえも意識していない。

「道は常に無為にして為さざる無し」-老子

怨念の時代-半沢現象-

今朝は雨で走れず。ちょいとさみしい。そこで風呂に入って、30分ほど主と語りあう。最初は御名を呼び、いろいろ語るのだが、そのうちただ交わり自体が甘く、喜びになるのだ。ただ、ひたすら主と交わるだけ。この時間が至福の時間

さて、先の半沢現象、どうもニッポンは怨念の時代に入っているようだ。やられたらやり返す。しかも倍返し。その根拠は正義。正義による復讐。狡猾なサタンの手法だ。サタンは正義を主張したら実に輝くのだ。その復讐の手段としてネットはかっこうの場だ。ニッポンキリスト教とニッポン社会は合わせ鏡と何度も指摘しているが、まさにそのとおりであることは改めて言うまでもない。共に怨念の時代。

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これ実はきわめてヤバイ。なぜか。怨念を相手に向けることは実は自分を神の裁きの下に置くことだから。私なども10年以上にわたって粘着されているが、相手は勝手に御言葉を棄損し、自己正当化の偽りを唱え、どんどんと堕ちていく。その魂のエネルギーは恐るべきほどに膨大だ。人を憎しみ続けることって、膨大なエネルギーが要るのだ。かくして魂の強い者ほど自ら苦しむ。怨念を抱く者同士が共鳴現象を起こして、凝集し、そこにひとつの要塞ができる。もちろんサタンの要塞だ。苦々しい毒を発散するに至る。こうして社会や教会を汚す。これ、実は恐るべき罪なのだ。彼らは燃える炭火を自らの頭に積むことに気が付いていない。それは神の恵みからもれることだから。

気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。-Heb 12:15

時が来るならば、サタンの要塞は裁きを受ける。しかもそれが巨大であればあるほど、その裁きは深い*1。自分のしてきた裁きがすべて自分に帰されるからだ。神はその者の基準でその者を裁く。特に憐れみを示さなかったものは憐れみを受けることなく裁かれる。

あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。-James 2:13

なんと恐るべきこと!それこそ自分のなした裁きの倍返しを受ける。逆に言えば、神の憐れみを受けて裁きを免れる鍵は、憐れみを示すことだ。自分が示した憐れみの倍返し、否、百倍返しを受ける。そもそも怨念を抱えたままの人生、楽しいだろうか?朝の爽やかな空気と光を満喫し、鳥のさえずりを味わい、漢詩を詠むことができるだろうか?真に豊かな暮らしが送れるだろうか?ああ、しかし、それは暗く、冷たく、刺々しく、自分と他者を汚しまた傷つけ、実に悲惨なものだ。対して、キリストにある自由を味わい、つねに主と語らい、主の慰めと励ましを受け、心がじわーーと甘くかつ温かくされ、じわじわと込み上げる生きている歓喜を享受することができる状態に自分を置くこと。自分の心を見張ること。何か"ひっかかり"があったら、ただちに主に告白し、血の適用を受けること。なぜなら-

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。-Prov 4:23

心-これは霊と魂の相互作用のあり方。特に大切なのは良心。良心を健康に保つこと。そのためには怨念を捨てること。つまり赦すこと、憐れみを示すことだ。そのときイエスの血の清めのパワーを味わうことだろう。罪定めの感覚からの解放だ。そして思い。思いが汚されるとエバのようにサタンの罠に落ちる。

しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。-1Cor 11:3

ただし、思いに浮かぶ一つひとつの想念を相手にしないように。それは所詮幻想、幻影、リアリティではない。無学祖元いわく「漠妄想」。それは個々の想いを相手にせず、流してしまうのだ。どんなに醜い想いが浮かんでも、イエスの血は絶えず私たちを清めるのだから。その血のパワーに信頼し安息すること。このとき内なるいのちを楽しむことができる。復活のキリストのいのちを享受しているか否か、それは鏡に向かって自分に問えばよろしい:

アー・ユー・ハッピー

では、本日もめいっぱいハッピーしましょう!

*1:ちなみに安倍さんの大ボラで五輪を招いたが、これによりニッポンは"3.11"を超える裁きを受けるだろう。安倍さんはとんでもないことをしてくれたものだ。

半沢直樹現象

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この番組、実は、あること自体知らなかった。なんとなく活字では目にしていた、「倍返しだぁ!」との気合がすごいと。で、昨日、最終回だけ観てみた。なんか、ストーリー的には『ハゲタカ』っぽい。最後に父親を自殺へと追いやった人物を土下座させる。この辺に社会で虐げられてると感じている大衆がカタルシスを覚えるのだろう。しかしこれは要するに『水戸黄門』の現代ヴァージョンだ。最後も悪をなした取締役は降格処分、半沢は出向で飛ばされるというわけで、シーズン2への布石が見え見え。

私は講義でヒーローや人気政治家・宗教の教祖ができるメカニズムを語っている。第一に、フラストレーションを溜め込んでいる大衆の存在。そのフラストレーションを投影し、同一視し得る存在の登場と活躍。つまり同一の境遇や等身大的要素が必要。あるいは一挙に雲の上的な雰囲気。とにかくその存在に自分のフラストレーションを投影したり、託したりして一体化することがポイント。具体的には、例えば、『白い巨塔』の財前五郎か里見修二のどちらと同一視するか?あるいは『三国志』の曹操と劉備では?私はSalt氏との対談でも語ったが、財前と曹操なのだ。こうしてロールプレイングが進行する中で、自分があたかもその役を演じているかのように情動体験をする。これがカタルシスをもたらすのだ。つまりフラストレーションの代償満足。

聖書の御言葉なども受け取り方がまったく違うことがある。たとえば、「持っている者はさらに豊かにされ、持たない者は持っているものまでも取り上げられる」。これに対して神は何という冷酷な!と憤る人と、ハレルヤ、感謝します、と喜ぶ人が見事に分離される。お分かりであろうか、その理由が。私はと言えば、実にうれしくなるのだ。たぶん憤る者たちはこの辺りを用いて、聖書原理主義はカルトだとか訴えたくなるのであろう。かくして彼らはますます貧しくなるのだ。自分が信じたとおりに・・・。これが信仰のメカニズム。聖書の御言葉を味わって、ますます健やかに、豊かになる者と、理屈をこねくり回して御言葉を毀損する者たちの分離のポイント。

私は最終回を観ただけだが、半沢との共鳴はあまり感じなかった。かといって土下座した敵役でもなく、そう、北王子欣也が一番ハマルかなと思った次第。

勝手に想う顔の系列(つづき)

・・・と、さすがにジョージ・クルーニーは無理だが、こうしてみるとけっこうイケてるかもと、極私的には思ってるところ(突っ込まないこと!)。

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ちなみに、かつてのキャロルの仲間であるジョニー大倉が末期の肺がんで余命2週間とか。98年、矢沢が35億を騙し取られた時には、ワイドショーかなんかで、「矢沢も調子こいていたから、やられちゃったね。もうだめかも・・・」みたいなコメントしていた。しかし、矢沢はキッパリと筋を通した。対するジョニーの体型は矢沢のストイックなまでの節制とは真逆。その後の生き方が刈り取るべき実を決定してしまったのだ。男の顔と体型は生き方によって刻まれ、また形造られるものなのだ。

(C)唐沢治

勝手に想う顔の系列

この記事はホンのお遊びなので、マジで読まないように、そこんとこ、ヨロシク!

先にも書いたが、人の顔って実に面白いと、最近ますます思うようになった。女性の場合、いわゆるブスよりは美人の方が絶対得だと思うし*1、男は顔じゃないと言われ、年収200万のキムタクよりは2千万の江頭2:50を女性は選択するとのことだが*2、極私的には江頭2:50的顔でなくて良かったと思っている次第。

しかし、なぜ神はこの世を美男美女だけで埋めなかったのかなぁ、と最近とみに思うようになった。まあ、頭の良さとか、人格のあり方とかもだが、はっきり言って、この世は不平等にできている。いつも言うが、この世は、籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人からなるのだ。この点で民主党や社民党などは空理空論、オツムがお花畑なのだ。人生、楽しく、安楽に生きたいと誰もが思うはずだし、その条件をできるだけ満たしていれば、それだけ有利でもある。実際、東大生の家庭は年収一千万以上。経済格差が学歴格差となり、それがまた経済格差を生み、かくして社会的層が固定化されるのだ。昔は、貧困家庭に生まれても一念発起して国立大学を出ることもできたが、最近はきわめて困難になっている。

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で、リンカーンだったか、男は40になったら顔に責任を持つべし、と言ったとか言わなかったとか。その年代をはるかに超えたわが顔をじっくりと見てみると、ある系列に属していることが分かる。前にも紹介したが、最近はこれにYAZAWAが入っているとよく言われるのだが・・・。

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cont.・・・

追記:結婚の明暗は400万以上だそうだ。女性が求めるのはやはり顔より経済力。ある女子学生の母親は7年間交際したカレシをさっと見切って、今の父親と結婚したとか。イケメンとは目いっぱい遊んでおいて、最後は経済力を選ぶと・・・。ちなみに女性の求める年収はこちら。男は早いところ女性に対する聖母マリア様的幻想(=マザコンの象徴)から目覚めるべきだろう。

(C)唐沢治

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*1:時代によって基準は変わるし、主観的幸せ感と客観的幸福度は異なるかもしれないが・・・。
*2:これ、私の女子学生に聞いているが、ほぼ全員そう言っている。彼女たちの言葉をまんま再現すると「キムタクでも契約とか派遣は論外よねぇ。だって、生活があるでしょ、人生いっしょに生きるんだからぁ。でも世界が終るんなら、貧乏なキムタクに抱かれて終わりたいよね!」だ。女子学生もりっぱな"女"なのだ。すると派遣・契約の江頭はどうなるのだ・・・

続・ヲタクがニッポンを救う

とはわが友人の石埜穂高君の説で、すでに紹介している。DE,いつもの物理の井口博士が紹介していたこのヒューマノイド・ロボ、いや、驚いた なんなんだ、この動き・・・。前にアイドルマスターの「デリンジャー」を紹介したが、アニメでこれだけ人間っぽく動くのも驚きだったが、その3Dヴァージョン*1。しかし、何故に最先端テクがこういった萌え系になるかしらん 小一時間ほどMr.CATに教えてもらいたいかも、ヨロシク!

*1:私が大学院だったころ、工学部の制御工学の先生のセミナーでは二足歩行は原理的に無理だ、と言っていたと思うが・・・。

分裂した隷属国家ニッポンの終焉

岸田秀氏が指摘した外的自己(欧米追従系)と内的自己(本来的日本人系)に分裂したわが国。

私的には4回の去勢を受けた国として、すでに自身の生きる術を担保するためには、米からの自立は不可能と指摘しているところだ。最近の我が国の動きはまさにこの分裂した二つの自我のせめぎ合いが明確になっている。外的自己の動きとしてはTPPによるグローバル化、内的自己の動きとしては田母神氏や富井氏のような「美しき国の日本人よ、今こそ立ち上がって世界を救え」的主張。きれいに分離している。

ちなみに私は安部氏の憲法試案にすべては賛同できないが、前文と9条の改正は是非になされるべきと考えている。国家が主権と領土と国民を有し、軍隊を持つのは当たり前のこと。時には徴兵制もあり得ると考えている。さらに言えば、今日、核武装は必須であろう。各国の善意に信頼することできるはずもないだろう。ニッポンキリスト教のオメデタイ左翼連中のオツムはほとんどキリスト教的ファンタジー。が、靖国神社が国体護持の根拠されるのは困るが。
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何度も恐縮ですが・・・

バブルへGO!

よーするにこの頃が懐かしいだけですが・・・

ニッポンの終焉

雨上りの朝、空気が冷えて爽やか。いつも言うが、私は気持ちのイイことを気持ちのイイだけしている。歯を食いしばるとか、我慢するとか、耐えるとか、そのような言葉は聞くだけでゾッとする。彼らはダイハードなのだ。だから苦しむ。これは私の本にも書いた。私は実に脆く、実に弱い。だから楽なのだ。言ってること分かりますか?

さて、再建主義の富井氏が「世界を救済するために、日本人よ、立ち上がれ!」と煽動している。霊的な意味ではまことに同意だ。が、その前に、このニッポンは一度オワル必要があるのだ。民主党が政権を取る前に、もしそうなれば民主党は自己崩壊し、同時にニッポンも終わると予告した。そのとおりになりつつある。神のワザは死から開始される。復活とは死を経るから復活なのだ。死と復活の原則はイエスご自身もそれに則りつつ贖いの御業を完成された。神の絶対的な法則なのだ。これまでの政治・経済・社会的にも、宗教的にも、あらゆるパラダイムが崩壊し、自分が何によって生きていたのか、いわゆるクリスチャンも問われる時が来ている。イエスは死んだフリをしたのではない、真に死んだのだ。だから復活した

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