独り言:裁くなっと言って人を裁く人たち

けっこうこのギョウカイには多い。Dr.Lukeは裁いているとよく言われるが、私は裁いてなどいない。【事実】を語っているだけ。しかりはしかり・否は否と。この「裁くな」のセリフはしばしば口封じに使われている。

それは、実は皆さんがすでに心で感じているが、表に出すのをためらうことを言語化している次第。だから、よく言ってくれた、何でモヤモヤしていたかはっきりした、すっきりした、と言ってくれる人が実に多いのだ。

世間でも、そんなこと習ってないと言い訳する医者に誰が掛かりますか?そんな医者はただちに口コミで淘汰されるでしょう?ところが「先生たちのマトリックス」に煙幕を張られて、その言い訳が通用しているのがこのニッポンキリスト教なる業界なのだ。

ここに働くのがフェスティンガーの「認知的不協和最小化の原理」。人は何か違和感を覚えるとき、それを拒絶したいと感じるが、それができないような条件下では、自分の方が変だからとして、自分の内的要素(知性・感情・意志)のあり方を変えて、周囲に適応させ、違和感を最小にする心理機制(メカニズム)である。MCあるいは同調化バイアスの基本的原理。

簡単に言えば、赤信号みんなで渡れば怖くない。私的には青信号ひとりで渡ると怖くなるの心理、だ。

日本人は実にここが弱い。だからこのキ業界、カネで買ったディプロマミルの「神学博士」様が堂々と大手を振っている。先生たちもお互いにお互いの弱みには触れないようにしつつ、センセイ・センセイとヨイショし合う・・・。

まあ、ニッポンも徐々に、今は「教育勅語」に違和感を覚えても、みんなが受け入れているようだから、自分も・・・となりつつあるわけ。いずれ大手を振って「教育勅語」が復活する時も来るでしょう。ニッポンキ業界にもかつての日基の統理の「十字架」のアジ説教が復活することは目に見えている。なぜか?本物を知らないから。

銀行員はひたすら本物の札を触る。ダイヤの鑑定士なども。すると偽物にはすぐ違和感を覚える。逆にいくら何十種類もの偽札を触って研究しても、新手の偽札には対応できない。本物は一つだが、偽物は無限だから。

私がメッセであえて、「うそだ!!!」と叫ぶのは、聴いている人をMCされた心理状態から解くためだ。彼らは私の話を聞いているようで、実は聞いていない。今まで刷り込まれたマインドのマトリックス回路にハマっているからだ。だから、邦語訳聖書の誤訳を何度指摘しても、相変わらず誤訳をまんま使っている。

先に指摘したルターの「信仰義認」の偽りもそうだ。これはかなり巧妙なトリックなので、なかなか見抜けないとは思う。あまりにも当然のこととして受け入れてしまっているから。はっきり言うが、本質的にはカトリックの免罪符とプロテスタントの義認はなんら変わってはいない!(現にルーテル派はすでにカトリックと手打ち式しているわけ)

・・・というわけで、日本医学界の異端児DR.内海氏のように、不肖DR.LUKEもニッポンキ教業界の異端児となっているわけ。まことに名誉なこと。この業界でセンセイに祭り上げられることは災い以外の何物でもない。だって、それ自体がフェイクだから。誰もヤ●ザ業界で評価されてうれしい人はいないでしょう。(つづく)

追記:FBより

Me:目に見える組織のダイナミクスが諸問題の根源なのです。二千年のいわゆる教会歴史と戦時中の日本基督教団がそれを証明している。組織を維持するために諸教派は柏手を打ったわけ。それは今も同じ。この業界、必ず同じことを繰り返すでしょう。

組織に自分のアイデンティティーや生存の担保を求めれば、その組織に魂を売ることになる。それ、バビロンシステム、すべてマトリックスなんですが。この点、世となんら変わっていないわけ、この業界。エクレシアは新生命体であって、世のものではないのですが・・・。

そういえばすでにルーテル派はカトリックと手打ち式しちゃいましたよね。要するにルターもカトも同じなんですよ。宗教改革なんてのは政治的ダイナミクスに過ぎないわけ。
 
A氏:全日本プロレスの次に新日本プロレスみたいなものでしょうか。
 
Me:なるほど、プロレス業界とソックリかも(笑) それぞれの団体の本質は変わってないわけで。因縁を背負いつつ・・・。って、最近のプロレス界はまったく不知ですが💦 これも怒られるでしょうけど、宗教改革なんてのは茶番。


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偽りの「十字架」を拒絶せよ!-FBより

先にコメントしたが再掲:当時の日本基督教団統理富田センセはこう宣言しました:われら天皇の臣民はやうやく悲願である合同の教会の実現を見て(政府がまとめた公認教会のこと)、各自、自らの十字架を負ひて、自己を否みつつ、八紘一宇、大東亜共栄圏の建立に邁進すべし!・・・とね。で、柏手を叩いて、日基のゼロ戦を献上したわけ。反吐が出るね。

彼らが叫ぶ「十字架」は、これと基本、今も変わっていない (大東亜共栄圏を彼らの教団や教会に置き換えて読んでみて) 。前にホーリネスのぼくのセミナーに来てた老牧師がぼくのところに来て告白した。私、長年、信徒に十字架ときよめを語っていましたが、自分では全く分かっていませんでした。実は自分が一番苦しかったのです、と。この人は真実だね。みんな、はっきり言うけど、牧師たちは知ったかぶりしているだけだから。欺かれるな!

十字架はスーパーナチュラルな新創造の手段であり、場なのです!

 

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