- 2025-06-14
iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
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今回は第四回で千秋と和平がツーショットを撮ったフレンチのお店。

そしてついでに映画版『昼顔』のロケ地となったお店も。

最近では漢詩の境涯をシェアできるお相手はまずおりません。ところがAI君は理解してくれる。これは極私的にはかなりうれしいことだと気づいた次第。ぼくの孤独感を癒してくれるなー(AIの原理は分かっていてもね^^v)
春朝雨 一石
新鶯紅樹碧雲天
小雨初過春色偏
花弁全添還家路
浮香忽覚己多年
ChatGPT君:
春朝雨(しゅんちょうのあめ)
読み下し文
新鶯(しんおう) 紅樹(こうじゅ) 碧雲(へきうん)の天
小雨(しょうう) 初めて過(す)ぎて 春色(しゅんしょく) 偏(ひとえ)にす
花弁(かべん) 全(まった)く添(そ)う 還家(かんか)の路(みち)
浮香(ふこう) 忽(たちま)ち覚(おぼ)ゆ 己(すで)に多年(たねん)
解釈(意味)
第一句:
「新鶯紅樹碧雲天」(新しき鶯、紅の樹、碧き雲の天)
→ 新しい春を迎えたばかりの鶯がさえずり、紅い花が咲く木々が立ち並び、空は碧く広がっている。
春の朝の鮮やかな景色が描かれ、明るく活気に満ちた雰囲気を感じる句です。
第二句:
「小雨初過春色偏」(小雨 初めて過ぎて 春色 偏にす)
→ 小雨が降り過ぎた後、春の景色はいっそう際立っている。
春の雨が一度降ったことで、空気が澄み、自然の色彩がより鮮やかになった様子が表現されています。
「偏にす」は「ひときわ~となる」という意味で、「春の色がひときわ鮮やかになった」ことを表します。
第三句:
「花弁全添還家路」(花弁 全く添う 還家の路)
→ 花びらが完全に舞い散り、家へ帰る道を彩っている。
帰り道の途中で、雨の後の風に舞う花びらが道を埋め尽くしている光景が描かれています。
視覚的な美しさだけでなく、「還家(家へ帰る)」という表現に、どこか郷愁のような感情が込められています。
第四句:
「浮香忽覚己多年」(浮香 忽ち覚ゆ 己に多年)
→ ふわりと漂う花の香りに、気がつけば長い年月が経っていたことを思い出す。
春の香りが漂う中で、過ぎ去った歳月がふと蘇る、という感慨が込められています。
「浮香」は、春の風にのって広がる花の香りを指し、それが「忽ち覚ゆ(ふと気づかせる)」という流れが、詩人の郷愁や人生の儚さを感じさせます。
「己に多年(すでに多年)」という表現は、「気がつけば長い年月が経っていた」ことを示し、時間の経過をしみじみと振り返る心情が込められています。
鑑賞と解説
この詩は、春の朝に降った雨の後の美しい自然を描きながら、時間の流れや郷愁を感じさせる情景 を詠んでいます。
前半(第一句・第二句) では、春の爽やかで鮮やかな景色が強調されています。鶯が鳴き、小雨が春の美しさを引き立てる様子が描かれています。
後半(第三句・第四句) では、花が舞う帰り道と、それを見ながら「長い年月が経った」と気づく詩人の感傷が表れています。
この詩の特徴は、春の明るさと、時間の流れに対する感慨が巧みに対比されていること です。
小雨の後の春の美しさ(自然の変化)
花びらの舞う帰り道(時間の流れ)
香りとともに蘇る思い出(人生の儚さ)
といった要素が、繊細な描写で表現されています。
最後の句 「浮香忽覚己多年」(漂う香りに、長い年月をふと思い出す)は、詩全体のクライマックスとなっており、一瞬の春の美しさが、人生の儚さを象徴するような余韻を残す 結びとなっています。
この詩は、春の美しさを愛でるとともに、時間の流れの早さや人生の無常を感じる、叙情的で味わい深い作品 であると言えるでしょう。

Grok君はこうでした:
読み下し文
春朝の雨
小雨初めに過ぐれば春色偏に
花弁全く添いて還家の路
浮香、忽ちに覚えて己れ多年なり
解釈
この漢詩は、春の朝に降る雨とその後の情景を通じて、自然の美しさと時の流れへの感慨を詠んだものです。以下に各行の意味を解釈します。
春朝雨(春朝の雨)
春の朝に降る雨が詩の情景の出発点です。春雨は穏やかで生命を育むイメージを連想させます。
新鶯紅樹碧雲天(新鶯、紅樹、碧雲の天)
新しい鶯(うぐいす)が鳴き、紅色の樹木(花や新芽を帯びた木々)と、青く澄んだ雲が広がる空が広がっています。春の訪れを象徴する鮮やかな色彩と生命感が描かれています。
小雨初過春色偏(小雨初めに過ぐれば春色偏に)
小雨が降り終わりを迎えると、春の色彩が一層際立つ様子を表します。雨が自然を洗い、春の美しさが偏在する(遍在する)ように感じられます。
花弁全添還家路(花弁全く添いて還家の路)
花びらが道に散り敷かれ、帰宅する道すがらその美しさが加わっています。「全添」は花びらが完全に道を飾る様子を強調し、視覚的な豊かさを示します。
浮香忽覚己多年(浮香、忽ちに覚えて己れ多年なり)
花の香りが漂う中、ふと我に返ると、自分が長い年月を生きてきたことに気づきます。「浮香」は花の香りが漂う様子を詩的に表現し、「忽覚」は突然の気づきを表し、時の経過への感慨を深めています。
鑑賞
この詩は、春の自然美を繊細に描きながら、時間の流れと人生の無常を静かに感じさせる作品です。冒頭の「春朝雨」から始まり、鶯の声や紅樹、碧雲といった鮮やかな春の情景が広がる一方で、最終行で「己多年」という詩人の内省が現れます。この対比が詩に深みを与えています。
特に「小雨初過春色偏」の一節は、雨上がりの清新な空気と春の生命力が強調され、読者に視覚と感覚の両方で訴えかけます。また、「花弁全添還家路」では、散った花びらが帰り道を彩る情景が美しく、日常の中にある詩情を感じさせます。そして最後に「浮香忽覚己多年」で、春の美しさが一瞬のものに思え、過ぎ去った年月への郷愁や諦念が漂います。
全体として、自然の美を愛でる喜びと、人生の短さや移りゆく季節への思いが調和した、静かで味わい深い詩と言えるでしょう。春の情景を楽しみつつ、時の流れに思いを馳せるきっかけを与えてくれる一篇です。

久しぶりに秋晴れ、で、六本木のミッドタウンでちょっと見栄を張って鉄板焼きなどを。








ちょっとお洒落なここ、リピーターになろう。アライバル・サービスはセルフ・メイド・カクテル、ポップコーンなども楽しめる。





温泉はごく普通だが、ルームに露天がついている。食事は建物のイメージに反して和風、これは洋風とチョイスできれば良いかもしれない。





帰りは河口湖でまったりと思ったが、雨でアウト。山中湖で軽くランチを摂り、高速では味気ないので、R314をふらふらとしながら、途中で道志村の吊り橋を体験。高さ50Mほどの原始的な造りで、けっこう怖かった。普段通らない道ではオモシロイものを見出すことができる。



極私的には温泉がないと生きていけない(オーバーだろの声が)。いや人生のかなり大切な楽しみの一つである。次回は12月、さてどこにしようか。こうやってあれこれ考えつつ探すのも楽しみなのだ。

ここはかつて定宿でしたが、最近はちょっとご無沙汰しておりました。一昨年に改装したらしくて、部屋に囲炉裏があったりで、かなり楽しませてもらいました。

最近、鎌倉にはまっており、先週も葉山牛のステーキを食してきたところ。今回はここ、鎌倉の小町通りにある。前々から気になっていたのだが、今回初トライ。



門構えは一見さんはお断り的な感じだが、まったく違って、価格もリーズナブル。十勝蕎麦を自前でこねて、包丁で切っているので、細くて揃っていないが、味は実に美味。甘みがあって、口の中で何ともな幸せ感が広がる。客はせいろだけを目当てに来ているものが多い。
で、いつもの江ノ島へ。江ノ島の浮世絵が展示されていたが、なんともいい雰囲気。そもそも江ノ島はトンボロ現象で陸続きになるのだった。




しかし、中国人が実に多い。彼らによって荒らされることがないように願うところである。

最近、FBでも12月25日はイエシュアの誕生日でなく、誕生を”記念する日”だとか言い出す向きが増えてます。そのうち金の子牛の周りでイエシュアの”誕生記念”をするようになるだろう、ニッポンキリスト教徒の諸君は。クリスマスは単なる世の行事、商売なのよ! 素直に六本木でライブを楽しもうゼ
・・・というわけで、六本木のBillboard Live Tokyoにて年末恒例の彼らのライブを楽しみました。Dr.Lukeはこれを観ないと年が越せないわけ(紅白などはどうでもええ)。
ラストはやっぱりこの曲。往年のディスコで鳴らしたおじさん・おばさんがノリノリでございました今晩は全メンバーと握手ができました
ついでにこちらにも回りました。前回、一度探訪してますが、夜はまたイルミのライトアップが豪勢。ミッドタウンよりもゴージャスでございました。

これはジャスト2年前のFB記事。ちょうど今回のメッセと絡むので再録しておこう:
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本日はフラッと油壷にドライブも、現地に着くや雨足が強くなり、やむなく引き返すことに。コンビニでコーヒーを買って飲んでいると、でも、ここで帰るのは悔しいとの思いが。

で、一言、主の名により晴れろ!と。すると空が明るくなってきた。思い切って現地に戻ると見事に晴れ上がった。初夏の雰囲気に包まれ、隠れ場的入り江でかき氷を。ビーチボーイズ&ガールズの世界だ。で、小一時間ほどぼーっとして、家路につくと雨足が再び強く。というわけで、THNXな主のご配慮でした


そしてなぜか16年に撤退してしまったFORDと遭遇。先のエスケープは思わず自分のものと錯覚する程。まあ、17年連れ添ったからね。これは道端の店に並んでいたT型FORD(?)。ぼくは89年からFORD一筋。こんな仲間がいるとけっこううれしいものだ

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ニューマティックに語り出すとその解き放たれた言葉はわざをなしてくれるわけ。先週のメッセでも語ったが、かつて夏休みの最後に白浜に泳ぎに行く際、一度目は台風でキャンセル。いよいよ後がなくなり、二度目にトライするも、またも台風。しかし内なる声は「GO!」。
で、案の定伊豆に入ると台風に近づくわけで土砂降り、が、目に見るところによらずで進むと、なんと白浜はカンカン照りの真夏。雲がその辺り一帯だけない!?かくして真っ赤に日焼けして帰路ファミレスに入ると、店員と客の視線が。外は土砂降りなのだから。
英国のコリンが夏のキャンプで雨に降られた際、「止め!」と命じるとピーターバラの一帯だけ雨雲が丸く抜けて、ニュースでも不思議な現象が起きてると報道されたとの証を聞いていた次第。
またこのヴィデオはJeff JensenのオフィスのF5の竜巻が襲う直前に、彼が命じると竜巻が消失する場面。この後、再び竜巻が生じ、街は大きな被害に見舞われた。
カギは霊から語り出すこと。ソマティックからニューマティックへの転機。今回のメッセをどうぞ。
「語り出されたわたしの言葉は無益に帰ることはない、必ずいい送ったことを成し遂げる」-イザヤ55:11

YHWHの霊的遺伝子工学genosの転換:エクレシアとはキリストの充満でありイエシュアの名を呼ぶ人々
昨日は赤坂のBIZ TOWERにてランチを。なぜかハリー・ポッ …
昨日は赤坂のBIZ TOWERにてランチを。なぜかハリー・ポッターのイベントとお店が並んでいた。六本木もいいが、赤坂もなかなかあか抜けていてグッドだね✨







で、ふと上を見やると-

昨日、ランチしてるとき、ふと上を見るとこれが。調べたらやはりカンコクだった(☞https://ja.tokyovision.org/)。昨日は、「教会」ではなく「教會」になってと思うが。
ニッポンはアメリカキリスト教とカンコクキリスト教の草刈場になっている感がある(あ、ここがというわけではないですよ)。カンコクで神学校出でも現地は飽和状態だから、ひとつニッポンで旗揚げしようと来日する向きが多いようだ。
極私的にはあのキムチ臭は無理だ。ただ彼らの「アボジー、アボジー」と真剣に叫ぶところは見習う必要があると思っている。口を開かない沈黙クリがニッポンキ業界には多いからね。メッセにもノリがいまいちだし、オツムの中で何考えてるのか分からんしと。
「エクレシアとは至る所で主イエス・キリストの御名を呼び求める人々である。」-1コリント1:2(可視的定義)
そして
「エクレシアとはキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たす方の充満(プレローマ)である。」-エペソ1:23(霊的定義)
これも何度も指摘しているが、「ところ/場所」ではない、つまり建物などでは毛頭なく、教団だの、教派だもではない。キリストのいのちの充満そのもの、生ける有機的な霊的生命体(エロヒム属)である。

一昨日、六本木のリッツ・カールトンの45Fにある和食レストラン「ひのきざか」にて和牛ステーキを堪能した。おひとり様1万5千円也。舌の上で溶けるのだ。そしてワインはカベルネ・ソーヴィニヨン、グラスで3,500円。これがお肉となんとも合うゴージャスなテイスト。
六本木ヒルズではちょうどわが青春のシンボル、ユーミン展が開かれていた。1972年デビュー、すでに50年だ。時代に合った曲がぼくのそれぞれの時節を象徴してくれている。
ちなみにこの曲はぼくの好きな一曲。けっこうクルねー。これって実は「あの日に帰りたい」のメロディーに乗せる予定だったのだ。だから二極は相互互換(埋め込みができないのでこちらを)。
というわけで、ちょっとワインを学んでいる次第。これまでは赤か白、フルボディかライトボディの2D軸だったが、新しい軸をマインドにインプット中。ワインはなぜか蘊蓄が深い。フランス語による飾りがキラキラしてる部分もあるが、確かに極めると底なしなのだろう。で、思い出すのがゴルゴ13の『神の滴(しずく)』と『誇り高き葡萄酒』、そして刑事コロンボの『別れのワイン』だ。


ゴルゴでは前者はワインを割ることなく無価値にする狙撃。キーワードは「澱(おり)」。後者では最高級ワイン”ロマネモンリュイザン”を撃ち抜く(ロマネ・コンティのパクリ?)。その最高級ワインをテイストするゴルゴのセリフがクール、「苦い・・・誇りは気高いが、過剰になれば傲慢だ・・・それは苦々しいだけだ・・・」。
コロンボでは収集したワインがすべて酸化して泣く泣く捨てざるを得ないワイン製造会社の経営主。キーワードは「高温」。それがアリバイを崩す。そして彼に仕えてきた女の切ないセリフが印象に残る、「お遊びの相手は御免被りたいですわ・・・つまらない理由で結婚するカップルはいくらでもいる」。なかなか文学的にも深い作品だった。
ワインはゴルゴとコロンボから学べ、だな

箱根のイタリアンホテルから諏訪の同級会と、ぐるっと回ってまいりました。そして昨日はKFCの懇親会。中華料理が実に美味しく楽しめました。あとはクリスマスのスタイリスティックスのライブが残っております✨

ほぼ私の定宿になりました。風呂ももてなしも最高でございます(☞アルバム)。

7,8日と箱根の温泉を堪能してまいりました。鄙びた歴史のある宿でしたが、料理は心の籠ったたっぷりなコース。お風呂もグッドでした。


8日午前11:30頃、ぼくたちはちょうど御殿場の岸信介邸にいた。ご存じのとおり安倍晋三氏の祖父である。かrが晩年の17年間を過ごした邸宅だ。


すると次女からLINEが入った、「安倍さん、日本はどうなるの?」。なんだこれ?と思ってスマホを見るとニュースで事件を知った。ここで、これを聞くか?!と思いつつ、河口湖と富士山五合目へ行く気分は吹っ飛び、そのまま帰宅。後はニュースを追っていたという次第。
FBでも書いたが、僕は元々安倍さんを応援していた(☞https://bit.ly/35mQTk5)。その真面目さと体調理由で1次は自滅した。2次は清濁併せ呑むスタンスに変えたのだろう。極私的には「アンダーコントロール」が引っかかった。だから昨年7月9日に「アンコントローラブルでオワル」と書いた。8日その瞬間、奇しくも僕は岸信介邸にいた。まさか・・・と、正直複雑な気分だ。

しかし、311の時もだったが[1]2011年3月8日に旧ブログにて”Mar 11, 2011, THE DAY IT’S COMING”と赤字で書いたのだ。、こんな形になるとは僕自身がショックなのだ。安部さんの功罪は貸借対照表のようにきちんと仕分けして考えるべきでしょう。