iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ
タグ: DNA

FBで過去記事とある方のウォールからの拾い物を紹介しておこう。ボクシの専売特許、「悔い改めよ~」。これが曲者。ニッポンキリスト教の心気臭さはこの「悔い改め」に源があるのだ。
ハイ、わが愛車の「病気」でした。突如、エンジンルームから異音が響き出して、AUTOBACSで診てもらったら、絶望的な診断を貰った次第。要するにAUTOBACSでは手の打ちようがないと言うこと!
これがね、しばしば医療の場面でもあるわけ。嗚呼、ステージIV、もうダメだぁ、とね( ゚Д゚)
要するに言葉のトリック、聴いた言葉をそのまま受け入れてはならないのだ。所詮、人間の言葉。それを受け入れて、同意すると、アダム系マインドのマトリックスにスイッチが入る。で、出てくる回答はしばしばネガティブ。
しかし、私たちはキリストのマインドを持っている(1コリント2:16、これもキリストの「心」は誤訳!)。キリストのマインドがオンするとき、絶望や恐れなどはあり得ない。医者には不可能でもジーザスには可能。
あなたのマインドにキリストのマインドがエミュレートされるようになるのだ。かくしてマインドのメタモルフォーシス(トランスフォーメーション)が鍵となる(ローマ12:2)。
ちなみにわが愛車は20万キロのツワモノ。4WD、V6、3リッター。燃費は市街地で5キロ/㍑。とにかくキビキビとどこにでも行けてしまう(前のトーラスはデカくて不便だった)。写真は色違いの同型車(私のはシルバーメタ)。ハハ、もうカミさんと同じだね
・・・で、本日、無事退院しました。(了)
要するにマインドの使い方が間違っているわけ。この世にアダム系として生み出された古い私たちは自ずと世の価値観や考え方が刷り込まれる(心理学的にはオペラント条件付け)。これに従ったマインドの使い方が諸々の罪(sins)を産み出す。
そこで「悔い改めよ~」とやるわけだが、この原語である”metanoia”は、”meta”+”noieo”。”meta”の意味は「超」とか「高次」とか、いろいろあるが、「共に」や「伴って」の意味がある。”noieo”は”nous”からの派生で、その意味は「マインドを使う」だ。つまり「高次の、伴ったマインドを使う」ことである。簡単に言えば、高次のYWHWのマインドに共に・伴ってマインドを使うこと。そこで自分から主へと「マインドの向きを変える」ことになる。そこでDr.Lukeとしては思い改めとしよう。
ちなみにヘブル語ではこうある-

かくしてStrongによれば、メタノアイアとは
metanoeō
met-an-o-eh’-o
From G3326 and G3539; to think differently or afterwards, that is, reconsider (morally to feel compunction): – repent.
つまり、”repent”とは「悔い」て「改める」などの意味はまったくない。悔いたところで何も変化しないことはクルシチャンたちを見てれば分かることだ。思いを主の思いに沿わせて今までは異なる考え方をすることである。このときに、罪をも自覚するが、それは決して罪責感や悔いるものではない。聖霊が私たちのもろもろの罪をconvictionするとき[1]codemnationではないから注意すること。codemnattionは罪定めであり、サタンの得意なお仕事である。、私たちは実に客観的に自分の罪と向かい合うことできる。そして聖霊はすでにそれは十字架の血潮で洗い流されていること、つまり主の前では実質的にないことを確証される。
For sorrow according to God is producing repentance for unregretted salvation, yet the sorrow of the world is producing death.-2Cor 7:10 (CLV)
神に従った悲しみは悔いる必要のない救いのためのメタノイアを生み出し、世の悲しみは死をもたらすのだ。メタイノは思いを神に従わせることにより、いわゆる悔いる必要がないことは明白であろう。つまりすでにすべての罪々は血によって洗われ、清められていることを実体化する、いわばチャネルがメタノイアである。
この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。-Heb 10:10
すべての根拠はキリストの体がただ一度ささげられたことによる。私たちの何かには一切よらないのだ。ウォッチマン・ニーも、いわゆる内省や反省や自責は不毛であると言っている。それは自分の何かで自分を神に受け入れさせようとするアガキであり、自己救済の努力である。それらにより苦しむ、私の言うクルシチャンは延々とセルフのマトリックスの中で空転して消耗する。
ゆえにパウロはこう勧める-
そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって、形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであり、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-Rom 12:2(岩波訳)
「形作り直され」すなわち「再構成」とはメタモルフォーシス。meta+morphooである。ここにもmeta(=沿って)、morphoo(=構成・形成される)の意味である。サブコンシャスのレベルから聖霊は私たちのマインドを再構成してくださるのだ。これにより神の御心を知覚することができるようになる。
思いの霊において新たにされ・・・。-Eph 4:23(原語)
思い(nous)の中に霊(spirit)がペネトレイト(浸透)し、再構成されることだ。
思いの表層で「われはナニを信ず~」とか、正統なナントカ神学やカントカ主義を唱えることではない。それは生命現象である。
蝶の幼虫はさなぎの中で一度どろどろに溶ける。そして新しく再構成、すなわちメタモルフォーシス(変態)され、あのまったく形状の異なる蝶へと変貌するのだ[2]ちなみに山での主の変貌もメタモルフォーシスである。。われわれも次のように約束されている-
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。-1John 3:1
ここの「似る」とある原語は”homoios”、つまり性質と形態において似る存在である。Net Bibleではふたつの理解ができるとして次のように解説している-
(1) believers will really become more like God than they now are, and will do this through seeing God as he really is; or (2) believers will realize that they are already like God, but did not realize it until they see him as he is.
要するにキリストにおいて現れたYWHWのご性質と御心が、われわれにおいて再現するのだ。
私たちニュークリーチャーはすでにキリストのマインドを持っている(1Cor 2:16)。それをアクティヴにすること、それがフェイス。その過程はマインドにスピリットがペネトレイトすることによってトランスフォームされつつ進行する。その時、DNAさえもその傷が修復される(エピジェネティクス)。その入り口がメタノイアである。罪意識から義意識への転換こそ福音である。
For in it God’s righteousness is being revealed, out of faith for faith, according as it is written: “Now the just one by faith shall be living.”-Rom 1:17 (CLV)
なぜなら、神の義はその中で、信から信へと啓示されるからである。「義人は信から生きるであろう」と書いてあるように。(同、田川訳)
もっともらしくしかめっ面をながら、わたしは罪深い人間です・・・とやってる偽善者どもに騙されることなかれ。エクレシアはすでにニュークリーチャー、キリストの充満である(Eph 1:23)[3]繰り返すが、満ちておられる「ところ・場」ではない。充満そのものである!。

これは実に重要な研究結果です。これまで厚労省はmRNAが逆転写によりDNAに組み込まれることはないと言ってきていますが、見事に崩れたようです[1] … Continue reading。問題はコロナスパイクのRNAが組み込まれたDNAがいかなる機能を発現するか、ということです。自己免疫疾患の危険性はすでに指摘されていますが、今後、長期的な観察が必要となるでしょう。
本間医師のFBから全文引用させていただきます:
専門的な内容を含みますが、なるべく簡単に解説したいと思います。
詳しく知りたい方は直接原文を参照してください。
https://www.mdpi.com/1467-3045/44/3/73/htm…
以前、新型コロナウイルスの感染時に、ウイルスRNAが人の遺伝子にとり込まれていることを示した論文を紹介しました。
https://www.facebook.com/shinjiro.homma/posts/3011832385808427
前回の論文のポイントは以下になります。
①ウイルスRNAからDNAが作られている(逆転写が起こっている)
②このDNAがヒトの遺伝子に入り込んでいる(組み込まれている)
③これらは誰もが持つLINE-1(酵素を作る遺伝子の1つ)により起こっている
ただしこの論文はあくまで、コロナウイルスを実験室内で特別な細胞に感染させた場合でしたので、多くの専門家?からはワクチンでは「絶対に」起こらないと強調され続けてきました。
今回の論文は、コロナにかかった場合ではなく、ファイザーのワクチン投与によりワクチン内のmRNAがヒトの細胞内で逆転写され、DNAになっていること(つまり前回の論文①)を示した論文になります。
さらに、これは予想通り、誰もが持つLINE-1により起こっており(前回の論文③)、ワクチン接種自体がこのLINE-1活性を大きく引き上げ、核への酵素の移動まで誘導しています。
このDNAがその後ヒトのDNAに取り込まれるかどうか(つまり前回の論文②)は今回の論文では示されていません。
今回の論文は、コロナワクチンの安全性の根幹に関わる最も重要なものです。厚生労働省や多くの専門家がワクチンが「絶対に」安全であるとした根拠を以下にあげます。
・ヒトは逆転写酵素を持たないため逆転写は起きない
・前回の論文はLINE-1を強化した特別な細胞のため通常の細胞では起きない
・LINE-1は自分自身の遺伝子だけを逆転写しウイルス遺伝子はしない
・自然感染とワクチン接種ではまったく状況が違う
これらのことから、ワクチンは「絶対に」安全であると強調され続けてきました。
しかし、これらの主張は「ことごとく」間違いであることが明らかになりました。むしろ、ワクチンが絶対的に危険である可能性が非常に高くなったと言えます。
遺伝子に影響を与えた場合、その影響は未来にわたって世代を超えて永続的に続くことになります。このような危険性を持つワクチンは即刻中止すべきですし、ましてや子どもたちへの接種を一律に勧めるようなことは決してあってなりません。
私がこれまでに書いてきた遺伝子関係の記事を以下読んでいただくと理解が深まります。少し難しい内容もありますので、新たにわかりやすくまとめ直すつもりです。
https://www.facebook.com/shinjiro.homma/posts/3013402702318062
また、私の本にもわかりやすくまとめています。
これまでに書いてきたコロナウイルス関連の記事は以下にまとめています。
https://www.facebook.com/shinjiro.homma/posts/2728645230793812

A. mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンで注射するmRNAは短期間で分解されていきます。人の遺伝情報(DNA)に組みこまれるものではありません。
— 厚生労働省 (@MHLWitter) June 11, 2021
続きは下記よりご確認ください。https://t.co/4UJyYOAcqF pic.twitter.com/6TIOIxICoq
ぼくはかつて旧厚生省の薬事審議会の重鎮があつまる会合に出ていたことがある。そこで何がどう話されているか、よく知っているわけ。
バスの事故で196人が死亡したとなると世間は大騒ぎだ。あるいは196人の事故がすべてA社の車だったとすると? ところがワクチン接種後に死亡となると・・・・。これがマインドのトリック。わかるかな?
そしてこれがスガ氏の本音。国民なんてこんなものってこと。
「(感染が)落ち着けば(世論は)ころっと変わると思いますよ」
— 藤井聡 (@SF_SatoshiFujii) June 11, 2021
…首相に次ぐ権力者とすら言われる某補佐官が支持率について質問された時の台詞。絶対そう思ってんだろと思ってたけどやっぱそう思ってんだ、っていうことがよく分かるご発言.
心底国民舐めてらっしゃいますね….https://t.co/FtLgVALDx3
なお、逆転写についてはこちらが分かりやすい。

この論文はかつて大学院の輪読で扱ったことがある。言葉により、例えば、祈りや黙想により、DNAは反応してリ・プログラミングが起きるのだ。祈りを合わせるならばさらに大いなる結果を地上に現すことができる。
This finally and scientifically explains why affirmations, autogenous training, hypnosis, Mediation, Prayer and other forms of Focus, can have such strong effects on humans and their bodies. It is entirely normal and natural for our DNA to react to language.
Esoteric and spiritual teachers have known for ages that our body is programmable by language, words and thought. This has now been scientifically proven and explained. Of course the frequency has to be correct. And this is why not everybody is equally successful or can do it with always the same strength. The individual person must work on the inner processes and maturity in order to establish a conscious communication with the DNA. The Russian researchers work on a method that is not dependent on these factors but will ALWAYS work, provided one uses the correct frequency.
Hyper communication in the new millennium means something quite different: Researchers think that if humans with full individuality would regain group consciousness, they would have a god-like power to create, alter and shape things on Earth!
When a great number of people get together through prayer or meditation, all focusing on the same outcome, we can change the world. The concept of us changing our own DNA, through our words and vibrations, is now a Know FACT. We are getting an Upgrade.
まことにこうあるとおりだー
また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。-マタイ18:19


あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちはエロヒムである』と書いてあるではないか。Yahawehの言葉(ロゴス)を内在された人たちが、『エロヒム』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-ヨハネ10:34-35(Dr.Luke改)
御父は、御心のままに、真理の言葉(ロゴス)によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-ヤコブ1:18
Dr.Heiserの言葉にある”like”を日本語的に理解してはならない。AとBは本質的に異なるものであるが両者は似ているとするのが日本語のマトリックス。しかしLongmanではこう解き明かす:
like – with the same or similar qualities; of the same type
質が同じ(似ているも含むが)あるいは同一のタイプを意味する。つまりわれわれはジーザスと同じ質を有するのである。それはエロヒムであることだ[1] … Continue reading。エロヒムを「神」と訳すことが罠であるとすでに何度も指摘している。エロヒムとは霊的生命体の総称であり、その最も高き方がYahaweh=父・子・聖霊=である。
私たちはその方のロゴス(DNA)を継承しているエロヒムであり、Yahaweh家の子供なのだ。もちろんパースンとしてはYahawehとは異なる。これは同じ家庭に生まれても両親とはパースンを異にするのと同様。しかし同質のDNAを内在化され同じ生命をシェアしているのである[2]2016年2月の時点では私自身エロヒムの理解が十分ではなかったため、「神属人類の誕生@YouTube」という表現をしている。。繰り返すが、ニッポンキリスト教の「罪赦された哀れな罪人」のセルフイメージを捨てよ[3]クリスチャンなる呼称もそろそろ適さないかもしれない。ニュー・クリーチャーである。もちろんキリスト教徒などは論外である。。
References[+]
↑1 | われわれは体・魂・霊からなる。体‐魂コンプレックス(=肉;flesh)は地上のものであるが、霊はジーザスとまったく同じに世のものではない。それはエロヒムである。 |
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↑2 | 2016年2月の時点では私自身エロヒムの理解が十分ではなかったため、「神属人類の誕生@YouTube」という表現をしている。 |
↑3 | クリスチャンなる呼称もそろそろ適さないかもしれない。ニュー・クリーチャーである。もちろんキリスト教徒などは論外である。 |

マラキ書は旧約の最後の書であり、これ以降、ジーザスが来られるまでの約300年間、YHWHエロヒムの言葉は聞かれることがなくなった。その中の一節:
一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。-マラキ2:15(口語訳)
この意味が理解できるであろうか? あたかも不倫をするなと言ったニュアンスである。新共同訳は
主は、霊と肉を持つひとつのものを造られたではないか。そのひとつのものが求めるのは、神の民の子孫ではないか。あなたたちは、自分の霊に気をつけるがよい。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。
これも似たり寄ったりである。Hebrews Root Bibleにはこうある:
And has He not made you one (echad)? Yet the remainder of the Spirit is in him. And what of the one? He was seeking a seed of Elohim. Then guard your spirit, and do not deal treacherously with the wife of your youth.-Mal 2:15 (HRB)
この英文を訳すと、
”そして、彼はあなたがたをひとつに造ったではないか?彼の内にはその霊の残滓がある[1]アダムの罪の後、霊は死んだが、その機能である良心・直覚・交わりのうち、良心はかろうじて残滓として人のうちに残っている。。そしてそのひとつ[2] … Continue readingとは何のことか?彼はひとつのエロヒムの種を探し求めていた。ゆえにあなたの霊を守り、そしてあなたの若い時の妻をないがしろにしてはならない。”
マラキ2章は祭司たちに対する叱責である。そもそも彼らは唯一の父を持っているが、彼らは道を踏み外した(Mal 2:8)。人はYHWHエロヒムの形(phantom)と様(likeness)に創造された、神の一族であった(Acts 17:28-29 田川訳)。他の生物はみな「種に従って」造られたが、アダムはYHWHに型どって造られた(Gen 1:26-27)。加えてYHWHの息(neshamach)、つまり霊を吹き込まれた。この段階で他の生物とは異なる神的な存在であったのだ[3]Dr.Heiserは人は”Yahawehのimager”であると言っている。。
この上にさらにいのちの木の実を摂れば、YHWHエロヒムの意図は実現した。つまりご自身のいのちの増殖である。が、最初の人アダムは失敗した。これを回復したのが最後のアダム(=旧創造の終り)であり、第二の人(=新創造の初穂)であるジーザスだ。アダムはキリストの型である(Rom 5:14)。すなわちキリストはいのち(Zoe)の充満そのものであり、そのいのちをご自身がいのちを与える霊として(1Cor 15:45)、われわれに分かち与えたのだ(☞神のエコノミー-いのちのディスペンセイション)。このいのちとはまさにマラキ書の a seed of Elohimである。キリストこそがアブラハムに約束された単数形の種だった。
ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」とは、キリストのことです。-Gal 3:16
子孫の原文は単数形の”sperm”、すなわち精子、すなわちDNAである。YHWHエロヒムのDNAであり、これをもってご自身のいのちを地上に増殖することこそがYHWHエロヒムの当初の意図であった。ゆえに
すべての身体はこの頭から発して、筋と筋によって支えられ、組み上げられて、神の成長を成長するのである。-Col 2:19(田川訳;岩波訳の注)
何が成長あるいは増殖するのか? ここを他の訳はみな誤訳している! 成長するのはキリストの体、それはエロヒムの成長である! これは”a seed of Elohim”がわれわれの霊の内にインヒュージョンされたゆえである。まさにYHWHの遺伝子工学である。われわれの霊はYHWHエロヒムの霊を分かち与えられたもの。
神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。-1John 4:13
われわれ(の霊)は神のロゴスにより生み出された。
御父は、御心のままに、真理の言葉(ロゴス)によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-James 1:18
ロゴスが内に植え込まれた者はエロヒムであると主ご自身も証しされる:
そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちはエロヒムである』と書いてあるではないか。神の言葉(ロゴス)を受けたうちに存在せしめれた(ginomai)人たちが、『エロヒム』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-John 10:34-35
それはわれわれの霊である。ゆえにマラキ書ではあなたの霊を守れと言われるのだ。このヨハネの節に対してHRBは次のような栄光のコメントを与えている。
This psalm is talking about mankind’s great potential to become a literal child in the family of Yahweh (Rom 8:11-17) Psa_82:6
”この詩編はYahaweh家の文字通りの子とされるという偉大なる人類の可能性について語っているのである。”
中村家に生まれれば、ホモサピエンスとして中村族のDNAを継ぐ実の子である。ただし、両親とpersonは異なる。同様にYahaweh家に生まれるならば、エロヒム族としてYahaweh家のDNAを継ぐ実の子である。ただし、YahawehのPersons(=父・子・聖霊)とは異なる。何度も繰り返すが、エロヒムを「神」と訳し、Yahawehを「主」と訳すのが誤りである。これで日本語マトリックスに絡めとられて、ニッポンキリスト教なるタコツボが構築されることは繰り返さない。
われわれはエロヒムのシードをインヒュージョンされた新生命体である。エクレシアとはキリストの体であり、キリストの肉の肉、骨の骨(エペソの邦訳には落ちている)、この方の充満である(Eph 1:23)。すなわちキリストのいのちそのものであり、その増殖だ。エロヒムはキリストの体にあって増殖するのだ!(☞エロヒムの誕生と増殖@YouTube)

この表現、ほとんど日本語では理解不能だろう。コロサイ2章19節である(Col 2:19)。邦語訳は
このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。(口語訳)
このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。(新改訳旧版)
と、体よく(オツムに入り易いように)意訳されている。今週のメッセで紹介した田川訳では
すべての身体はこの頭から発して、筋や筋によって支えられ、組み上げられて、神の成長を成長するのである。
岩波訳では
体全体はこの頭によりもろもろの関節と靭帯を通じて支えられ、一つに結び合わされ、神〔に由来するところ〕の成長を実現してゆくのである。
とあるが、この〔〕は訳者による意訳であり、欄外注には
直訳は、「神の成長を成長する」
とある。原文は
αυξει την αυξησιν του θεου
英語に置き換えれば、“increase the increase of God”である。
この点、英語訳でも
increaseth with the increase of God.(KJV) ; grow by the growth of God.(ABP); is growing in the growth of God.(CLV)
など、訳者による”with”や”by”や”in”などの補いがある。つまり
神の成長(増殖)を成長(増殖)する?!
というような思考はとても生まれながらの(=魂主体の)人のマインドに入りきらないのだ。それは神由来であるから。
自然魂(Gk)の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。-1コリント2:14
まず、エロヒム(Elohim)とYHWHについては、ここでも何度も指摘しているし、2017年の夏の『神の新創造セミナー』で説いているが、エロヒムを神(God)、YHWHを主(LORD)と訳すことによって、元々の啓示から逸脱しているのだ。エロヒムはそもそもエルの複数形、YHWHは「ありてある(I-AM)」すなわち最も高きエロヒムの固有名詞である。結論だけ言えば、エロヒムとはもろもろの霊的生命体の総称である。その最高位の存在がYHWH、われわれが信じるいわゆる父・子・聖霊としておられる存在であり、創造主なのだ。
そして最も高きエロヒム(I-AM)はご自分のいのち(Zoe)をインプラントすることにより、ご自身のいのちの系列を増殖しておられる。われわれはI-AMの霊から生み出された新しい生命体であり(John 3:6;2Cor 5:17;Gal 6:15)、その生命とは霊であり、エロヒムなのだ。もちろんパースン(Person)としてはYHWH(父・子・聖霊)とは異なる。
イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々(エロヒム)である』と書いてあるではないか。神の言を託された人々が、神々(エロヒム)といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)・・・-ヨハネ10:34-35
この詩篇の聖句(Ps 82:6)についてHRB (Hebrew Root Bible) では次のように注釈する。
This psalm is talking about mankind’s great potential to become a literal child in the family of Yahweh.
すなわち文字通りのYHWH家の子供たちとされるポテンシャルを人類は有しているのだ。中村家の子供として生まれることは、単なる養子のような法的立場を得るのではなく、中村家の血統(=DNA)を受け継ぐことであり、中村族とされることである。もちろん子供たちは父と母の人格(Person)とは異なるが、中村家のいのちを共有している。中村族の繁栄のためにその子供たちは「中村族の増殖を増殖する」のである。
Dr.Heiserによれば、エロヒムとは霊的領域であるとする(”The Unseen Realm: Recovering the Supernatural Worldview of the Bible”)。それは霊的生命体としてのドメインである。生物の分類に<ドメイン、界、門、目、科、属、種>と階層があるように、霊的生命体の領域(ドメイン)である。われわれの身体(Body)と魂(Soul)は五感の領域(ドメイン)に属するものであるが、霊(Spirit)はエロヒムの領域(ドメイン)に属するものである。元々人の霊はYHWHが吹き込んだ息(neshâmâh)である。つまり物理的ドメインのものではなく、霊的ドメインのものである。
かくして、われわれの再生(再誕;ボーンアゲイン)された霊はエロヒム・ドメインであり、福音を伝えることは人の死んでいた(機能停止)していた霊を新たに聖霊によって生み出し、エロヒムのいのち(Zoe)を増殖するのである(☞エロヒム属の誕生)。
御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-ヤコブ1:18
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。-1ペテロ1:23
ここの言葉はロゴス、それは種であり、原文では”sperma”すなわち精子である。われわれの体は精子と卵子の結合により物理的ドメインに生み出された。われわれの霊は主の霊との結合(1Cor 6:17)により霊的ドメイン、すなわちエロヒムの中に生み出されたのである。これを混同したのがニコデモである。彼はジーザスに問うた、人は年を取ってどうして再び生まれることができるでしょうと。
繰り返すが、御言葉を日本語のマトリックスで理解してはならない。ましてや「日本文化に文脈された福音」などはフェイクである。まことに不可知論者であり、神の存在を信じないクリスチャンを自称する田川氏の主張とその訳は正鵠を得ているのは神の逆説である。聖句は理解できずともそのままにしておけ。人が勝手な解釈を入れた意訳などはするなと。
神の増殖を増殖する。主は言われた、一粒の麦が地に落ちて死ねば多くの実を結ぶと。麦が撒かれたら麦が成長するのだ。エロヒムが撒かれたらエロヒムが成長する! それが遺伝というものである。キリスト教、特にニッポンキリスト教などの呪縛から解かれよ! あなたは自分が何者であり(identity)、どこにおり(position)、何をなし得て(ability)、何を得ているのか(inheritance)。あなたのiPAIに覚醒せよ! 地を這いずり回る人生から一瞬で天へと引き上げられるであろう!

ニッポンでは世界的には忌避されつつある「移民受け入れ」が法制化された。同じように、世界的には否定されつつある「進化論」なるものがNHKあたりでも当たり前に。
この国は完全にカプセル化されている。カネを得て目先の色気と食い気を満たすだけで、生命や永遠といった本質的なことを考えることは、アブナイ人たちの傾向として触れないようにしつつね。
そもそもヒト(46本)はチンパンジーや類人猿(48本)とは染色体の本数が違う。ある人々は「吸収された」とか理屈をこねるが、あり得ない。いつ、どの時点で、どの個体で吸収されたわけ?ちょっと考えてみればわかるでしょ、このおかしさが。おかしさがおかしくない世界、これがわがニッポンなのだ。

はじめにYHWHエロヒムは天と地を創造された。-創世記1章1節
はじめに言葉(ロゴス)があった。言葉は神であった。-ヨハネ1章1節
これらの聖句にはそれぞれ円周率 π とネイピア数 e がコード化されていることは前に紹介した(⇒Amazing!!! πとeが聖書に隠されていた!)。
YHWHエロヒムは言葉=情報=によりすべてを創造された。すなわち生命は情報つまり言語である。その言語は4つの塩基配列。3つづつがコドンとして原則的に1つのアミノ酸に対応する。そしてアミノ酸の配列がタンパク質。
DNAの塩基はA-T(U)、C-Gとペアを作る。さらに相同染色体がペアを作る。必ず“連れ(Mate)”がいるのだ。まことにイザヤ書にあるとおり。聖書はキリスト教の経典でもないし、倫理や道徳の書でもない。生命現象の書である。すなわちスピリチュアル・ライフサイエンスの書だ。聖書をキリスト教なるマトリックスから解放せよ!
主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつも欠けるものはない。雌も雄も、それぞれ対を見いださぬことはない。それは、主の口が命じ、主の霊が集めたものだからである。-イザヤ34章16節

中国にて遺伝子操作されたベイビーが誕生とか。HIVに感染しない遺伝子を組み込んだ模様。遺伝子はDNAの2%程度に乗っているが、98%のかつてジャンクとされていた領域が重要であることは先の本で紹介した。
今回は遺伝子操作(編集)であり、望む部分を切断し、そこに別の情報を書き込むことができる。つまりカット&コピペである。その際に用いられるのが、このCRISPR-Cas9と言うたんぱく質とDNAの断片である。
そのメカニズムはこの動画を参照してほしいが、ここでその立体分子構造を紹介しておく。このような精密な分子構造がグーゼンにできるものかどうか。山中先生も指摘場面にてDNAなるものがグーゼンにできることはあり得ないとの趣旨を述べておられるようだ。まことに
あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。-Ps 139:13-15
CRISPR-Cas9 |
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DNAレベルで筋トレのメモリーが残る。これはオモシロイ。僕も体感しているが、筋トレをしていると、そんなに苦労なく狙った部位に筋肉をつけることができるようになる。エピジェネティック効果だ。
キリストの体エクレシアもキリストのメモリーを”体性メモリー”として有している。聖霊はジーザスのメモリーをわれわれのマインドとボディにおいて実体化するのだ。聖霊様の油注ぎ~とか、聖霊様充満~とかの幼稚なレベルから卒業せよ。ベニー・ヒンが悔い改めたように聖霊はジーザス・アンリミテドだ。
まことにわれわれのマインドはDNAを変える。筋トレすらもDNAを変えるのだ! いわんや、ジーザスのメモリーで生きるわれわれは無限の可能性がある(☞聖霊のメモリー)。主は言われた-
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。-John 14:16-19
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。-John 14:26
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」-John 16:13-15

この番組、「100歳の世界」ー百寿者=センテナリアンーの研究のドキュメンタリーは実に興味深い。この番組ではストレスが遺伝子に悪影響をもたらし、炎症を生じ、老化を促進するが、満足感情は遺伝子に良い影響を与え、身体の炎症を抑えると。私もメッセでマインドやメンタルのあり方がDNAに影響すると語っているとおりだ。 ただし、暴飲暴食、衝動買い、性欲の垂れ流しなどの快楽系の満足感は逆効果。奉仕やボランティアなどの自己抑制的な満足感がポイントだ、と。
まことに老子の言う通り―
五感を頼るな、五感を塞げ、すると疲れることはないと。これはね、体験的にも分かるところではある。まことに
肉の思いは死であるが、霊の思いはいのちと平安である。-Rom 8:6
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。ーGal 5:22
この「実」は単数形。その実の要素が9つあるわけ。すなわち「実」とは内にメタモルフォーシスされるキリストご自身なのだ(Gal 4:19;John 12:24)。
結局、人は自分のためにだけ生きることはできないわけ。それやってると卑しくなる。今回不審死したあのドン・ファンは3千人の女性と関係したが、女は信用できない、ただ愛犬イブだけが信じられると言っていたそうだ。莫大な富を自分のためにだけ蓄え、浪費したあげくの死。まことに哀れを覚えるところだ。ソロモンはあらゆる富と栄華と欲望の満足を追求し、最後に証しした。すべては空の空であると。対してパウロはこう証言する-
悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。-2Cor 6:10
物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。-Phil 4:11-12
また老化と節制で思い起こすのが、ジュリーや西城秀樹と郷ひろみの差。あの美形のジュリーは今やメタボでぶよぶよ、秀樹は2回の脳梗塞でボロボロになったあげくの心不全死。が、ひろみはいまだに若い。彼は自己節制が徹底しているのだ。動機はナルちゃん系であるし、友里恵氏の証言では、エレベーターに一緒に乗るときも、彼女を見ることはなく、鏡の中の自分を見つめていたとか(うーん、今日の僕と同じだ・・・^^)。しかしここまでクルとある意味りっぱ。59歳で双子だしね。わが永遠のライバルでもあるわけで(あ、これも軽くスルーで・・・)。
あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。-Ps 103:5
あなたがたの魂が繁栄してるようにあなたがたがあらゆることで繁栄し、健やかであるように。ー3John 1:1-2

邦語訳聖書はターミノロジーがいい加減で、訳が恣意的であると常々指摘している。サイエンスではターミノロジーをこのように扱うことはあり得ない。例えば、いわゆる「盲腸を切る」といったセリフは医学的には不正確だ。「虫垂を切る」が正解。盲腸と虫垂は異なる! 同様に霊と魂、また心も異なるのだ。
だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、
心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。-エペソ4:22-24
ここにある「心の底から」とか、「心の深みまで」とかいう訳は違う。岩波訳は「あなたがたの〔思念を規定する、神の〕霊でもって新しくされ」となっている。いつも言っているが、日本語で真理を理解してはならない。ギリシャ語を当たるのが一番だが(これも写本の問題があるが・・・)、KJVでは
And be renewed in the spirit of your mind; –Eph 4:23
つまり、思い(nous)の霊(pneuma)において新しくされる、だ。ここでポイントは、心と思い(マインド)は異なること。このあたりが日本語のあいまいさで、なんとなく分かったつもりになるだけの人がほとんど。私の著書『神の新創造-聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』でも指摘したが、マインドは霊的領域と物理的領域の接点である。霊的な存在は私たちのマインドに働きかけることができるのだ。
同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3
この諸霊(stoicheion)は新改訳では「世の教え」、岩波訳では「宇宙の諸力」と訳されている。それは霊的体系であり、私たちのマインドにアイデアとしてまかれ、その想念の種は膨らみ、体系化され、思想となり、共産思想のように政治体制や国家をすら生み出す。つまり霊はマインドの深くに侵入し、時に浸食することすらある。だから、霊的な「死ね」という声を聴いて、自殺する人々も出るのだ。
神の霊も同じように、私たちのマインドに入り込みたい。神の霊によってドライブされたマインドは、すなわちキリストのマインドである。私たちはすでにキリストのマインドを持っているのであるが(1Cor 2:16)、それは神の霊、すなわち聖霊によってエネルギーを得て、ドライブされる。私たちのマインドが肉によってドライブされるとき、すなわち肉の思いは神に敵対する(Rom 8:6-7)。ゆえに私たちのマインドをドライブする源は神の霊であるべきなのだ。
では、自分が今、肉によってドライブされているのか、霊によってドライブされているのか、どうやって知るのか。単純である。
肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。-Rom 8:6
死の感覚を覚えるのか、いのちと平安の感覚を覚えるのか。私たちの体は本来中立である。義の武器ともなり、不義の武器ともなる(Rom 6:12-13)。注意すべきは、パウロの述べる肉(flesh)は、別に肉体のことだけを指すのではない(☞肉について)。神の霊から分離された肉体と魂(思い・感情・意志)のあり方を言うのである。マインドは肉体の大脳(ブレイン)と同期している。が、大脳の機能のみではない。先にも書いたが、想念はブレインを超えて存在している。だから、霊の領域にタッチできる人はその想念を受信できるのだ。イエスはよく人の考えをご自分の霊で見抜かれた。
かくしてこの世の体系は人々の想念の体系でもある。私は時に本屋などで、うるさいと感じることがある。別に雑踏や騒音がうるさいわけではない。そこには想念が渦巻いているのだ。ちょうど客引きから声をかけられるように、アレコレの本からそのような誘いを受ける。かくして世の想念を受信し、それを思いめぐらしたりするならば、たちまち死の感覚を覚えるであろう。が、ワーシップや聖書の言葉に触れ、主を想いめぐらすとき、内側は甘く、温められて、いのちと平安、そして愛と希望とフェイスが沸き上がるのを感じることができる。ゆえにパウロはこう勧めている:
ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。-2Tim 2:8
この「思っていなさい」の原語はμνημονεύω、Thayerによれば、”to be mindful of”、つまり思いを満たすことである。このとき、神の霊は私たちのマインドにペネトレート=浸透する。要するに私たちのマインドは神の霊のペネトレーションを受けるのだ。こうして私たちの魂(Soul)、つまり思い・感情・意志はキリストのそれを反映するようになる。
彼はその魂で思う通りの人間だ。-Prov 23:7(原語)
もっと言えば、メッセでも語ったが、私たちのハードウェアとしての人間性にキリストのソフトウエアがインストールされるようなものだ(☞神をエミュレートする-God-OS)。ジーザスはその人間性から神を現された。私たちも同じ。私たちの人間性を通して、神が現れるようになる。WOW!これが敬虔の奥義(1Tim 3:16)。「敬虔」なる単語はよく分からないが、英語ではgodliness、原語はeusebeia、簡単に言えば神性の表現である。神は人間性を通してご自身を現される。これがエクレシア、キリストの復活のいのちを吹き込まれた新生命体であり、神の新創造だ(⇒神のエコノミー)。
最近、欧米ではマインドフルネスなる用語をよく聞くが、問題は何によってマインドフルにするか? その答えは・・・ご自分でどうぞ
キリストの言葉を豊かに住まわせなさい。-Col 3:16
追記:最近ではマインドのあり方がDNAをすら変化させることが報告されている。

「私たちはエロヒムである」については、ニッポンキリスト教の神学オツムにはかなり刺激が強いと思う。正確には「私たちの霊は吹き込まれたエロヒムの霊である」となる。まあ、これも想定済みで、メインラインは放置しても、福音派の方とかであれば、いわんやではある。いわゆるニッポンキリスト教の神学レベルで私は論じ合うつもりもないし、ここではただ御言葉を語るだけにしておく。
- 霊から生まれるのは霊である(John 3:8)。
- 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれるのもみな、そのとおりです(ibid)。
- 神から生まれたすべては(注:「者」ではない、原文はpas=All)、罪を犯しません。神の種がこの内にいつもあるからです。この存在(注:「者」ではない)は神から生まれたので、罪を犯すことができません(1John 3:9)。
- 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります(1John 4:13)。
- 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、
ただの人として歩んでいる(注:原文に「ただの」はない)、ということになりはしませんか(1Cor 3:3)。 - エクレシアとはすべてのことをすべてにおいて満たす方の充満である(Eph 1:23)(注:「ところ」などではない!)。
犬は犬を生む、人は人を生む。では神(エロヒム)は?[1]エロヒムを神と訳すのが罠である何度も指摘している。それは霊的生命体の総称であり、その最高のエロヒムがYHWH、いわゆる三位一体の神である。 神(エロヒム)の霊から生まれたのは何? そもそもアダムの霊も神の息が吹き込まれたもの。神はご自分の霊を分けたのではないでしょうか? その霊が死んでいたが、神から生まれて人の霊が再生された(再誕とかも言うようですが・・・・)。神の霊から人の霊が生まれた? 神がご自分の霊を分け与えてくださったのは人の霊? 御霊が生み出すのは人の霊? 神から生まれたすべては(前に指摘したとおり、「者」ではない)罪を犯さない。それは人の霊?
まあ、あえて言葉を弄してたとえ話をすると、遺伝子工学では細胞体の中に、古いDNAを除いて、新しいDNAを組み込むことが可能である。すると新しいDNAの形質(形状や能力や性質)を発現するようになる。神は人の霊の内に神の種、すなわち神のDNAを組み込んだ、と言えば納得してもらえるであろうか。だから神(エロヒム)属の人類である。罪を赦されたあわれな罪人などではないと何度も語っている。またウィットネス・リーが唱えるような「人性と神性が混ざり合って(mingling)人が神になる」のでもない。「○○性」はDNAの発現形質に過ぎないのだ。
「神のDNAをinfusionされた私たちの霊は、単なる”人の”霊、それとも”神(エロヒム)の”霊か?」という問題なのだ。もちろん、エロヒムである。これがニュークリーチャー、神の新しい創造、新人類だ。それまでは存在していなかった種である。それはまったく新しいのだから! 今までの概念には存在してない存在なのだ。新しく定義するしかないわけ。ヤクザが回心して堅気になるとか話ではないのだ。新しく人生やり直すとか、そんなのどこにでもある単なる宗教だ。
要するに、伝統的なキリスト教の正統神学とか、正しい教条とかを超えたまったく新しい生命現象(宗教ではない!)が起きたのだ、と何度も語っているのだが、古いマインドはそれを理解することができない。だが、遺伝子工学をすこしでも理解できれば別に不自然はないのだ。神はまったく新しい霊的遺伝子工学を行ったのだ! マインドを変革されよ! ナチュラル・マインドを脱ぎ捨てよ! それはスーパーナチュラルな現象だから!

「完了した!」(John 19:30)―十字架におけるイエスの最期の言葉だ。何が? 罪の赦し、アーメン。これは自分がクリスチャンと思っている人はみな割と簡単に言える。病の癒し・・・・うん? えっ、でもガンで亡くなる人もいるし・・・。アーメンとクリアカットに言えないむきがけっこう多い。貧しさからの解放・・・はあ、繁栄の神学ね、あれは異端だよ。特にニッポンキリスト教では現状を見るに、とてもではないがアーメンとは言えない人がほとんどであろう。
では、彼らに聞いてみる。あなたは聖書66巻が神の霊感によって書かれたことを信じていますか?まあ、リベラルはともかく、いやしくも福音派を自称する人々であれば、看板の手前にしろアーメンと言わざるを得ないであろう。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。-Isa 53:3-6
イエスは私たちの罪と病を負われたと明確に書いてある。それだけではなく、イエスは病を知っていた? 彼には罪がなかったのに? しかし彼はわれわれの罪々(sins)を負われたのみではなく、罪(Sin)とされた(2Cor 5:21)[1] … Continue reading。イエスはその肉体に罪々(sins)と病を負われ、否、罪(Sin)と病そのものとされて裁かれた。それによりわれわれは赦されかつ癒された。
いや、この病とは霊的なことを言うのであって、必ずしも肉体の病を言うのではない。と、言われるむきがあることも承知。しかし、それはあなたの解釈にすぎない。あなたの認知のフィルターだ。書いてあることは書いてあるとおりに、だ。いや、それは聖書をそのまま受け入れる原理主義カルトだ。まあ、このようにしていくらでも御言葉を毀損することはできるのだ。
鍵は何か? あなたのフェイス、すなわち御言葉(ロゴス)に対する応答する程度に従ってあなたはこれらの霊的サブスタンスを享受し得る。ここで現代人の私たちにとっては、罪の赦しを語ることは病の癒しを語るよりも容易なのだ。なぜ? 前者は目に見えないが、後者は目に見えるから。主は言われた:
中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」-Mark 2:9-10
主にとってはどちらも容易だったのだ。
罪の赦しと病の癒し。共に十字架において完了した事実、霊的サブスタンス、リアリティーなのだが、それをこの五感の世界に現出させることにおいて相違がある。だから病の癒しを語ることは臆してしまう。私自身そうだった。一応博士号を持つものとして物質至上主義的というか、サイエンスかぶれというか、そんなマインドに閉じ込められていた。
いま、フェイスとは願われるサブスンタンス、まだ観察されていないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)
神は私を癒してくださるかどうか、ではない! すでに癒している! フェイスは時空間を置ける永遠のNOW。あなたはすでに癒されているのだ。それをこの五感の領域、物理的時空間に現出させることがフェイスのパワー。では、もし癒されなかったら?・・・必ずこの疑問が出る。が、あえて言うと、すべての人を偽りとしても神を真実とせよ(Rom 3:4)! 神のわざと意志に問題があるのではない。私たちのフェイスの有無が問われるのだ。フェイスは辛子種一粒で十分[2]これをからし種”サイズ”のと理解してはならない。問題はその中にDNAが含まれるか否か。フェイスは霊であり、いのちだからだ。。サイズや強さの問題ではない。あるかないか。私たちには神の国の鍵(複数形)が与えられている。
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。-Matt 16:19
この新改訳の時制は正確だ。天においてすでに成就している事柄(サブスタンス)を地で執行すること。これが私たちのフェイスのパワーだ。よくニッポンキリスト教で言われる言葉がある。通り良き管となると。何を通すわけ?天のサブスタンスである。その方法は?
「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。-2Cor 4:13
ロゴスなる言葉により神の霊のバイブレーションと共振した私たちの霊はフェイスを生む。そのフェイスを語り出すこと(2Cor 4:13)。
わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。-Isa 57:19
これが神の約束であり、地における天のサブスタンスの成就である。ついでに繁栄についてはこう書いてある。
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためである。-2Cor 8:9
このコンテキストは物質的富を取り扱うこと。考えてみよ、主の誕生の際に贈られたゴールドはいかほどのものであったか。主は一枚織りの下着を着ておられた。これは高級品だ。だからローマ兵は破ることをせず、くじ引きをしたのだ! 再度、というか、何度も繰り返す。
宗教の霊から解かれよ!
References[+]
↑1 | これらの単数形の罪と複数形の罪々の区別は重要である。神の取り扱いもまったく異なる。ニッポンキリスト教ではこの辺りがきわめていい加減。これは邦訳の問題にもよるのだが。詳細は☞真理はあなたを自由にする |
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↑2 | これをからし種”サイズ”のと理解してはならない。問題はその中にDNAが含まれるか否か。フェイスは霊であり、いのちだからだ。 |

この京大の研究は実に興味深い。音が細胞に影響し、DNAの遺伝子応答を引き起こすと。
これまで音(可聴域音波)は、耳などの感覚器によって受容され、脳によって統合解釈されることで、はじめて生命にとって意味のある情報になるものと捉えられてきました。本研究では、この「常識」にチャレンジし、音が直接細胞に作用して遺伝子応答を引き起こすことを示す結果を得ています。今後も、生命にとって音とは何なのか、独自の切り口から考えていきます。
ソルフェジオ周波数については、ややニューエイジ的要素があるものの、以前に紹介したことがあるが、DNAを修復する可能性が指摘されていた(☞DNAの不思議)。われわれは生体にとって適切なバイブレーションに浸ることが大切なのだ。もちろんもっとも最高のそれは神のバイブレーションである。
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくてもその響き(バイブレーション)は全地に/その言葉は世界の果てに向かう。-詩編19:2-5
私たちのセレブでは霊と真理のバランスを大切にしている。真理はかなり深いものを提示しているが、それは単なるオツムの知識ではなく、霊の流れに浸る時、霊からから魂の各領域に浸透する。特にマインドが古いアダム系のマトリックスから新しいキリスト系のマインドへと書き換えられる(Rom 12:2)。こうして神の御旨を明確に知ることができるようになるのだ。霊と真理による礼拝者を父は求めているのだ(John 4:23)。
ちなみに音楽は数学だ。なぜ、音階は「ドレミファソラシド」なのか。これ、小学校以来の謎だった。が、私にとっての大発見は、ピアノの鍵盤は等比数列[1]元々はピタゴラス音階なるものがある。これはオクターブをある分数比で分けたものだが、近似的に等比数列を採用した者が平均律。。これがわかったら、音楽理論がパーっと見えた。なんだ数学じゃん!小学生以来、音楽は得体のしれないものだったのだ。なんでこれを先に教えてくれないのか?1度、2度とか、短、長、減、増とか、訳のわからん数え方をしてるから混乱するのだ!
要するに1オクターブ上がると周波数が2倍、その間を等比数列で8段階で刻んだもの(半音では12段階。つまり公比が2の12乗根)。これが平均律だ。ピタゴラス音階や純正律とは微妙にずれるが[2]これらは平行移動ができないために転調が難しい。、平均律は平行移動が可能、ゆえに転調ができる。で、全音と半音の組み合わせで、明るく聞こえたり、悲しく聞こえたりする。これが長調と短調。さらに大脳は1-3-5度の和音をキモチいいと感じる。協和音だ。これって、なぜ?理由は不明。大脳がそう造られているからとしか言えない。
ちなみに現在の基準のAは440Hz。これがどうもメンタルにいろいろ不都合をするらしい。ビートルズの曲やロックが精神を壊す可能性が指摘されている。人間の精神にはA=432Hzがいいらしいのだ。440Hz の調律は緊張、興奮、闘争心、などをもたらす傾向を持ち、432Hz の調律は安定、安寧、脱力をもたらす傾向があるらしい。Jazzは協和音を微妙に崩して、ぎりぎりの緊張感を生んだり、開放感をもたらしたりで、楽しむ。わがwifeもそうだが、クラシックピアノができると譜面は読めてもコード理論やJazzは分からないのだとか。
最近ではソルフェジオ周波数とかが注目され、ストレスの癒やしやDNA修復までしてくれるとか。かくして世はすべからく数学、数学は言語。つまり世界は言語の体系。大脳はその言語体系を解釈する能力をなぜかア・プリオリに有している。それは自然の業? 自然は等比数列が好きなのだろうか? 誰かがコーディングしたというのが私の結論。その誰かとはだれ? もちろん・・・。
さて、上の実験、ご自分で比較してみてください。極私的には440は険が立つ感じ・・・。健やかなバイブレーションに霊・魂・体を浸すこと。これはあらゆる面での健康にとってのカギなのだ。

さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。当時もその後も、地上にはネフィリム[1]「堕落した者」の意味。がいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たち[2]ヘブル語では「地から生じた者」の意味。であった。-創世記6:1-4
また、鉄が柔らかい陶土と混じり合っているのを御覧になったように、彼らは人間の種と混ざり合う[3] … Continue reading。しかし、鉄が陶土と溶け合うことがないように、ひとつになることはありません。-ダニエル2:43
人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。-マタイ24:37
「ノアは神に従う無垢な人」とされている節、この「無垢」あるいは「正しい」と訳されている単語の意味を道徳的・倫理的にとらえてはならない。原義は「ストレート」だ。解説は略すが、ノアはネフィリムの成分(DNA)を有していなかったのだ。つまり人間の純血統だった。その時代と同じ状況の中で主は再臨される。それはDNAの純潔さが失われる時代。一方で私たち霊の再生されたクリスチャンは―
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。-1ペテロ1:23
神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。-1ヨハネ3:9
この種は"sperm"つまり「精子」であり、それはDNAだ。われわれは神のDNAを有している存在。この肉体と精神(魂)は人間であるが、内なる霊はエロヒム属のもの。今回のメッセでも語ったが、われわれの本質は心身ではなく、霊である!ネフィリムは堕天使と人間のハイブリッドだった。われわれは・・・・。これ、かなりキリスト教神学などに束縛されたマインドにとっては容易に受け入れがたいことであろう。今月末の車山のキャンプにおいてこの辺りを解き明かしたいと考えている次第。

このニュースは興味深い。MicrosoftがガンのDNAのコードを解読して、ガンを10年以内に征服するとか。
–Microsoft will 'solve' cancer within 10 years by 'reprogramming' diseased cells
フェイスによって、わたしたちは、この世界が神の言葉(レーマ)によってフレーム化され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。-Heb 11:3
レーマとは語り出された言葉、つまり神の霊のバイブレーション。詩編にはこうある:
昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく声は聞こえなくても
その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。-Ps 19:3-5
響きとは弦、つまり振動、バイブレーション。言葉はミレア、語り出された言葉、つまりバイブレーション。五感では感知できずとも、何か(霊的サブスタンス)を語り伝え、知識を交換している。これが霊的領域の有様、リアリティーだ。すべて神の言葉によって生じ、かつ保たれている。私たちの霊はそれを受信する。
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質(サブスタンス)の完全な現れであって、万物を御自分の力(デゥナミス)ある言葉(レーマ)によって支えておられます-Heb 1:3
最近ではVRの世界が発展し、リアルとの区別ができなくなっている。そもそも大脳にとってはリアルも妄想も区別はできないのだ。そのVRはプログラムの体系。つまり言葉によって構築されている。もちろん人間の。対して、世界は、生命現象も含めて神の語り出された言葉によって構成されているのだ。それはつまり、言語マトリックス(ロゴス)のバイブレーション。
ガンも現れた現象(腫瘍)を切った張ったの時代ではなくなるのだ。コードを解読し、コードを操作すること。私たちのフェイスも同じ。目の前に現れた現象をいじるのではなく、霊的領域のサブスタンス、つまり霊の世界のコードを操作するのだ。これが祈りである。それは宗教行為ではなく、霊的サイエンスのテクニック、あるいはエンジニアリングである。そう、スピリチュアル・エンジニアリング!まことにこの世はマトリックス。私たちが生きる領域はそれを超えた領域、スーパーナチュラルな世界。すでにキリストと共に天の座に座しているのだから!
かくしてすべての事柄をキリストのマインドで認識し、評価し、決断する。私たちはすでにキリストのマインドを持っている!
(初出:2016年9月22日)

先にDNAがテレポーテーションすることを紹介した。このテレポーテーションは量子力学のレベルでは東大が実証したことも書いた。DNAは親のDNAが減数分裂して生殖細胞となり(要するに本数が半分になるわけ)、両親からの生殖細胞を得て、23組46本の揃い組となるのだ。この仕組みはまさに巧妙にできているのだが(→こちらにアニメがある)、これまでDNAに新しい情報が書き込まれることはないと考えられていた。あくまでも親のDNAの組み換えや交差による変異だけと考えられていたのだが、なんと昨今、言葉やある種の周波数の振動により新しい情報が書き込まれる可能性が指摘されている。
言葉の大切さは聖書でも指摘するところだ。言葉は私たちの心が信じていることを語りだすもの。主も言われる:
人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。-Matt 12:34
そして事態は私たちの信じたとおりになるのが霊的法則だ(Matt 8:13)。この意味で私たちの精神と人生は言葉によって形成されていく。
人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。-Prov 12:14
よって私たちは自分の口から出る言葉を見張る必要がある。
主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。-Ps 141:3
今回の研究結果は、私たちの言葉によりDNAですら再構成されることが示されたわけ。いやあ、これはオドロキ!またある種の周波数の振動がやはりDNAに影響を与えるわけで、私たちの異言や霊の歌などの意味もひとつにはそこにあるかもしれないと考える次第。自己主張に満ちた汚い異言や霊の歌はご遠慮だが、自分を離れた心地よい異言や霊の歌には何時間でも浸り続けたい。私たちの礼拝は真理と霊によるのだから。
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。-Col 3:16
かくして霊の流れに満たされたセレブレーションにおいては、もしかするとDNAも喜んでいるのかもだ。逆に言うと、それほどにDNAの結合エネルギーは微細であり、放射線で容易に切断されることが分かるというもの。
(初出:2011年6月17日)

–いじめやテロは、遺伝子をも傷つける!?子供のために知っておきたいエピジェネティクスの話
単刀直入に言うと、いじめには、青少年に自傷傾向を引き起こす危険があるだけでなく、遺伝子の働き方と遺伝子が人生を形づくるやり方を変えてしまうことに加え、将来の子孫に引き継ぐものまで変えてしまう危険性があるということが、遺伝子的にはっきりと証明されたわけだ。
人は安全で快適な子宮から絞り出された時点でトラウマを抱えるわけ。だから深層において子宮復帰願望を有している。これが自分にとって快適な家庭、さらに社会を作る動機になる。あるいは自分の思い通りになる組織とか、牧師なら自分のキョウカイね。これで献金をしないと取り立てるセンセイもいるわけ。
それを突き詰めると、エデンの園からの追放によるエデン復帰願望。まことに人類は神から切り離されるというトラウマを抱えているのだ。これがある意味でユングの集合的無意識だね。そのトラウマを補償する営みが人類のあがきなわけだ。ジーザスはアダムが喪失したエデンの園を回復してくれたのだ。アダム系の傷ついたDNAではなく、キリスト系のニュークリーチャーの幸いなDNAをインヒュージョンしてくださったわけ。