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トップ > 2008年03月01日

みどり子が御父にして、キリストは御霊になった?

ウィットネス・リーいわく:

反対者たちの口はふさがれ、彼らの書く手は切り落とされたのです。 なぜなら彼らにはイザヤ書9章6節とコリント人への第一の手紙15章45節を 処理するすべがないからです。ある者がどれほどイザヤ9章6節を捻じ曲げようととも、ここに書いてある御父という称号を消し去ることはできません。この節は、一人の男の子がわたしたちに与えられたこと、彼の名は永遠の父と呼ばれることを言っています。この父は確かに神格の父です

コリント人への第一の手紙15章45節は「最期のアダム(キリスト)は命を与える霊となった」と言います・・・。あなたは、この霊は神格の聖霊と異なると信じているのでしょうか?もしそうであれば、あなたは二つの命を与える霊を信じているのです。それは異端です!この戦いをしている時、わたしは敵をずたずたにかみ裂くおおかみです。 - ライフスタディ創世記(6)pp.246-247

要するに<みどり子は神格の父>、<キリストは命を与える霊(=御霊)になった>というわけです。まず、どうしてイザヤ9:6がそう読めるのか、不思議ですね。また1コリント15:45もキリストが御霊化されたことを言っているのでしょうか。

さらに「2ちゃんねる」ではヨハネ14,16章とウォッチマン・ニーの解説を根拠にして、論証しているようです。これらに対しては御言葉を提示すれば十分でしょう:

イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたし(岩波訳では「わたしたち」)とはその人のところに行き、一緒に住む。―ヨハネ14:23

しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方わたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。―ヨハネ16:13,14

これらの御言葉を御子が御父であり、キリストが御霊になったと読めますか?まあ、読めるとしたら、認知の選択的透過性によるのです(=リーの教理のフィルターがかかっている)。と言うわけで、議論するに値しません。「神と人の混ざり合いによる人の神化」も含めて、何を信じるもご自由にどうぞ、と言うところです。聖霊はご自分を証しすることなく、イエスのご人格と業とことばを証する霊として来られるのです。

ちなみに、リー派の人はいわゆる三位一体論を三神論と言うわけです。彼らによれば、私と山谷さんも三神論の異端者となるようです。例えば、日本の地方召会の最高責任者による普通の三位一体論に対する批判です:

三人格はそれぞれの役割の違いであって、絶対に三神論者(注:一般の三位一体論を取る者)が主張しているような別々の三人格ではないのである・・・。神の三一性はイエスの神人二性をお持ちのことからも分かるように唯一である・・・。彼らのようにあまりにも神の三格位を文字通りに強調する者は皆アリウス異端説のような三神論に落ち込んでしまう。彼らも一体という言葉を使うが、結局は父というお方がおられ、そのそばに御子というお方がおられ、そしてまたそのそばに神の霊というお方がおられ、三人が一つにまとまっているという考え方である。あるいは本質が同じであるから通じ会っておられ、三人が一つにまとまっているという考え方である。‘聖霊が私たちとキリストとを神秘的に結合してくださる’という彼らの言葉はなるほど神秘的で理解に苦しむ。別々に独立している三人格であれば、他人格を私たちを結合することは不可能なことである・・・。見えない根源なる神をさす時に御父と呼び、現れなすった神をさす時、御子イエスと呼び、私たちのうちに入られたのを聖霊なる神と呼ぶ・・・。三人格は機能的分担の時に啓示されたに過ぎない。人格という言葉自体が不正確である。

まさしく様態論、あるいはその変形ではないでしょうか?

なお、ちょうど山谷さんも触れて下さっていますね。
http://9021.teacup.com/makotoyamaya/bbs/569

Dr.Lukeの一言映画評と本日の3枚

ファイル 244-1.jpg午前中はプールとサウナの予定が、本日は休館日。ちょっとフラストレーションが残りましたが、午後はチネチッタでランチと映画。『ジャンパー』。テレポーテイションの超能力を持つ者たちのSFXモノ。が、やはりどうもこの種のファンタジー系はダメですね。うつらうつら、でした。

ただ人間にとってこの手の時空間の制限を越える、"真"の自由をもたらす超能力は、昨日の脳化の話からすると、きわめて自然に求めたくなるのです。実際ネット中毒の人々は、RSSで流れてくるニュースをながめつつ、ネットサーフィンで情報を仕込み、マルチウインドウで仕事をしながら、ネットで宅配ピザにオーダーを入れて、ネットバンキングで決済をして、ネットトレードで株を動かして、iTunesで音楽を聴きつつ・・・と言うわけで、ホンの半径1㍍圏内で生きていけるのが現代。要するに脳化の極致は身体不要の世界。

しかしこれは倒錯を生むわけ。養老先生も不自由さの必要性、あるいは身体に拘束されていることの重要性を訴えています。身体性と精神性をめぐる話は今回の芥川賞受賞作の『乳と卵』のテーマでもあるわけですが。

本日の3枚―

ファイル 244-2.jpg1枚目はRihannaの"good girl gone bad"。何とも透明感のあるヴォイス。リズムはヒップホッポ、R&B、そしてDiscoチックでもあり、かなりノレる。

ファイル 244-3.jpg2枚目はDelta Goodlemの"DELTA"。何とも伸びやかな艶のある声。高音が天へと抜けていく感覚。オーストラリアの歌姫とされているが、英国の伝説的な物語をイメージするようなサウンド。

ファイル 244-4.jpg3枚目はALESHAの"Fired Up"。DJナレーションで始まるこれは完全にディスコ(←あっと、これは死語)クラブかダンスホールのノリ。R&B,ヒップホップ、そしてロックにラップと・・・。バリエーションが豊富で、何だか70-80年代的で懐かしい感覚が。

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