桜咲く日
- 2010/03/28 21:59
- Category: 日記
と題する記事をSalt氏が書いておられます。子供さんの入学試験に向かっての父親の心が痛いほど良く分かります。かくいう我が家も子供のことでは散々心を悩まし、砕き、期待したり、失望したり、途方に暮れたり、でした。今は長女は母となり、次女も独り暮らしを始めるらしく、長男は一応下宿生活で、今年は夫婦だけの暮らしになりそうです。5人ですと狭いわがマンションも、二人には十分に広すぎます。思えば子供たちが幼い頃は、とにかくよく遊びました。遊びに年間200万とか使っておりましたから・・・。お陰さまで写真やビデオなどが山のように残りました。それらを整理しつつ、よくここまで来れたなあ、という感慨と、時折々の主の不思議な導きを思いを馳せるのです。
私は一人ひとりの子どもたちに対する神の最善のお取り扱いを信じている。しかし、こうした感情は、霊的な平安とは別の次元で絶えず動いている。実はこれはとても幸せなことだ。家族がいるからこそ、ドキドキワクワクできる。こうしたちょっとマイナスに思える感情が信仰によっ消え失せるとしたら、何と味気ないことよ。だから、同じような悩みを抱えるみなさん。強がることはないのですよ。おおいに主の前にありのままの不安や不満をぶつればいい。
正直、子どもをどんな風に祝福してくださるのかわからないことには不安がある。そしてそれは本人にとって喜ばしくない受け入れがたい事実であることも少なくないということを経験的に知るようになると、よけいにあれこれと考えてしまう。すべてが明らかになるには時間がかかる。生きている間には誰にも意味がわからないことさえあると思う。
Salt氏のこれらの感覚にはまったく共感できるのです。ハラハラ、ドキドキ、希望と落胆、実はこれが幸いなのです。そして確実に言えることは、主の道が必ず備えられていること。主は言われます:わたしは誰にも閉じることのできない扉を開いておいた、と。
さあ、いよいよ冬眠も終えて4月を迎えます。竹内まりやの『人生の扉』にあるとおり、「春がまた来るたび、ひとつ年を重ね・・・」。今年はどんな扉が開かれていることでしょうか。