Dr.Lukeの一言映画評
- 2010/07/03 21:43
- Category: 映画
2009年6月25日。ひとりの偉大なミュージシャンの死に、世界中が悲しみに包まれた。キング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソン。本作は、生前、彼自らもっとも信頼するマネージャーらに依頼し撮影された、貴重なフィルムである。カメラが密着するのはマイケルの真実の私生活。彼はくつろいだ雰囲気のなか、かつて見せたことのない素顔を、初めて私たちの前にあらわしてくれる。監督のオーダーに応じ、ピンマイクを付けて収録された、彼の日常会話の数々。故郷をおとずれ、周囲の人たちとふれあう彼の優しい表情や、親しい招待客に囲まれたバースデイ・パーティーで、生クリームを塗られおどける彼の笑顔が、ここでは生き生きと記録されている。
というわけで、素顔の彼の言動が赤裸々に、しかも淡々と描かれる作品。ステージのパフォーマンスもなく、やや平板な作りではあるが、彼の日常がよく分かる。・・・とは言え、所詮ピンマイクをつけた上での録画だから、やはり作られている。
ただ、印象に残ったのは、プライベートではけっこう下ネタも連発する反面、ステージの上からメッセージを送る場合は、きわめてシャイで、はにかみつつなのだ。基本的に彼は人前に出ることを楽しんではいない。自分でも「笑顔を作るのは苦痛だが、ファンのためにやっている」と告白している。
外に出るとすぐにサインを求められ、パパラッチに追跡され、群集の視線を浴びて多分に気が休まる時はなかった。そこで子供たちといるとき、彼は束の間の安息を得たのかもしれない。ある意味、彼自身に子供のような部分があることは事実だ。世間慣れしていないというか。ここの付け込まれて、例のネバーランドでの児童虐待の逮捕劇も生まれた。自称被害者家族の狂言だったことが法廷で暴露されたのだが、これは弁護士がかなり優秀だったから。弁護士が外れてたら、彼は70年の刑もあり得たかも知れない。
そしてファンたちの熱狂振り。それは単にアーチストに入れ込むだけではなく、自分の人生を救ってくれたとか、生き方を教えてくれたとして、マイケルを慕っているのだ。ある種の宗教のカリスマ教祖的存在と言える。
結局はその優しい純朴さが、大衆の醜悪な気ままさに裏切られ、彼は深く傷ついていったのだろう。かくしてデメロールに飲み込まれてしまったのだ。大衆は自らの満たされていない欲求をアイドルに投影し、アイドルの言動を見て、代償満足を得る。一度アイドルに仕立て上げられると、永遠にその役を演じ続けることになる。マイケル・J・ジャクソンは「キング・オブ・ポップ」を演じ続けなくてはならなかったのだ。
一説によると、彼の遺体を検分した結果が漏れているようだが、マイケルの頭髪は僅かしか残っていなかったとか。彼は鏡を見る時、そこに写る"自分"とどのように対面したのだろうか。多分、その"自分"を受け入れることができず、それがあの奇矯な整形顔を生み出したのだ。本来の自分は楽しむことのできないステージでのパフォーマンスにより、大衆の醜悪な気ままさに答えるための仮面として・・・・。