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2011年の特殊性

2010年はティッピング・ポイントの年、2011年はマニフェストの年とずっと言い続けている。そのとおりに次から次へと、これまでの私たちのパラダイムが崩壊するような事件や事象が起きている。現在はすでに霊的領域における葛藤・相克がそのままに地において現出することも指摘している。よって、いわゆる私たちのサイエンス万能あるいは理知主義によって曇らされた大脳にとっては完全に質においても程度においても、"超えた"と思われる事態が起きているように見えるのだ。

しかしこれはまだ序の口。封印が開かれ、特に7番目の封印が解かれるとき、世界は旧創造の結束の時を迎える。7つのラッパが鳴り、特に7番目のラッパが鳴るとき、すでに上がっているであろう初穂以外の収穫がなされる。私はアメリカで流行しているいわゆる「前7年前携挙説」は採らない。神の御手はそんなに安易なものではない。教会(エクレシア)も少なくとも艱難(前半の3.5年)を通るし、大多数の者たちは神と子羊の窮極的裁きである大艱難(後半3.5年)に入る。そして7つの鉢の裁きでこの旧い地は終わる。参考までに(↓)

黙示録の世界は決して『ハリーポッター』や『指輪物語』のようなファンタジーではない。それはリアルな私たちが経験するであろう世界なのだ。否、すでにその前味を味わっている。2011年はその世界への入り口となる年であり、今後起きる事象はこれまでの私たちのパラダイムを超えており、さらにはそれを破壊する。もっと言えば、これまで私たちが当然としていたこと、いわゆる常識やコモンセンスは、実はかなりの程度作られていたものなのだ。誰によって?そう、空中の権をもつあの者による。

この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。-Eph. 2:2

つまりキリストの神たるを認めず、聖書の御言葉以外の価値観や世界観をもつことは、あの者によって欺かれていることを意味する。それはあの者によるマインドコントロールであり、世はあの者の意図によって誘導されている。しかし真のリアリティは聖書の御言葉にこそ啓示されている。かくして目に見えない事実こそが永遠のものであり、私たちは信仰によってそれを実体化しつつ、目に見えないものによって歩む。

この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。
・・・
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。-2Cor. 4:4-18

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認(実体化)することです。-Heb. 11:1

自称クリスチャンであろうとも同じこと。否、むしろ、彼らの方が「神を知っていると」と証するがゆえに、さらに狡猾であり、かつその罪は重い。神学や思想、科学や哲学などで思いがくらまされる時、自分を神とし、御言葉すら裁くようになる。恐るべきことだ。真の信仰者は御言葉に服することができる。「服する霊」こそが私たちの出発点となる。

かくして世はますます欺かれるようになる。そしてそれを意図的に行う人々がいるのだ。大衆操作がすでに行われている。

ファイル 2327-1.jpg

これから大衆はTwitterやらBlogやらで、真相を暴き、真実に迫ろうと努めるだろうが、それ自体がすでにMCの結果なのだ!先に書いたとおり、それはサルのラッキョウの皮むきであり、いずれ大衆はアパシー状態を迎える。上の記事はBig Brotherによるその手法を指摘しているが、目に見える事、耳に聞く事、これはすべて偽りであると知るべきだろう。御霊によるフィルターを介してのみ、私たちはリアリティに触れることができる。時代はすでに欺瞞の時代。欺きの時代にして邪悪な時代。レディ・ガガがサタンの霊によって「愛と平和」を唱える時代なのだ。旧創造はまもなく終わる(1Peter 4:7)。私たちの内なる事実は旧い人はすでに終わっている。そしてキリストの復活により、新創造の初穂が芽吹いている(Gal 6:15)。いずれそれが外へと現れるとき、文字通り万物更新の時を迎える(Acts 3:21)。

2011年という特殊な年を半分まで迎えた今、これから起こるであろう事に対して、ふるい落とされないように、主にあって心して備える必要があるだろう。「あなたは愛されるために生まれた」とか「あなたは神のVIP」とか、こういった砂糖まぶしの世界に生きる自称クリスチャンはおそらく次々に振るい落とされていく。自分の達成や業績を立てる者も同じだ。すべての人の動機が計られる時代。その動機に従って扱われるのだ。

時代は明らかに相転換している。今回の「なでしこジャパン」のWCup優勝は快挙ではあろうが、これで浮かれているならば、ニッポンはさらなる致命傷を受ける。ニッポンはすでに終わったのだ。すでに引き返せない処にあることを認めるべきなのだ。合わせ鏡のニッポンとニッポンキリスト教、今後どうも「ええじゃないか」踊りの状態に入っていくような悪寒がますます強くなってきた。

Prepare for the DAY!

追記:昨今の砂糖まぶしの福音によれば、神は愛だから人を裁くことはないとか、地獄に送ることはないとか。これらの偽りに対しては断じてノーと言うべきだ。神は愛であると共に義なる方。したがって神は裁くし、人は裁かれるに値する存在であり、地獄に落ちるべき者である。そこに十字架が登場する。愛と義が矛盾なく証しされる場として。裁きもなく、地獄もないとする輩は、イエスの血潮や十字架を無にする者たちであり、神の神たるを否定するもっとも深刻な冒涜と罪を犯していることに気がつくべきである。神の啓示によらない者は別の霊の影響下にあるのだ。参考までにこちらを参照されたい。

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