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Days of Wonder - Jarrod Cooper

信仰は天候を変え得るか?

イエスは弟子たちと船に乗っていた時、嵐になっても平然と寝ていた。弟子たちは慌てて、イエスを起こすと、イエスは風を叱り、湖に命じると収まった(Mark 4:35-41)。はは、何たるおとぎ話!と感じる人も多いだろう。かなり前に英国のKingdom Faithの夏のキャンプの際、雨が降ってきたとき、コリン・アーカートは天候に命じた。するとピーターバラ一帯だけぽっかりと雲が消え、天気予報でも不思議な雲の配置と報道されたとのこと。

98年の夏、子供たちと伊豆の白浜に行くことになっていた時、雨が降り出した。台風が接近していたのだ。もう休みも終わりに近づいていたので、コリンの話を思い出し、天候に命じた。すると内側でGO!と声が聞こえた。思い切って車で伊豆に向かった。しかし台風に近づくのだから雨はますます激しくなり、伊豆に入っても止む気配はない。段々確信が消えかけてきた。が、子供たちの手前もあり、とにかく白浜を目指した。

・・・で、現地に着くと、なんと真夏。太陽がギラギラとして、暑いこと暑いこと。空を見ると白浜一帯だけ雲が丸く抜けているのだ。見事なくらい。え、え、まじ????・・・と思いつつも、たっぷり泳ぎ、日焼けで真っ赤になって戻ると、再び豪雨。大船辺りのファミレスに入ると私たちだけ真っ赤に日焼けして、店員が怪訝そうな顔で見るのだ。いやなに、たまたま台風の目だったんでしょうとか、いろいろ理屈は着く。が、事実は私たちは真っ赤に日焼けしているのだ。そして今、私の耳も聞こえている。ただ感謝を持って神を崇め、ひれ伏すのみだ。

なぜミラクルを経験する人としない人がいるのか?

これは、実は、長年にわたる私の疑問だった。神は創造主、ゆえに自然法則を超えて働くことはできる方。だから奇跡もあり得る。・・・とここまでは私も信じていた。が、それが自分や周囲においてなされることはどうしても信じ難かった。事実、愛する兄弟姉妹が次々に癌で召された。私は癒しを祈る勇気も失っていた。奇跡などは使徒時代までだろう、とか理由をつけて。リベラルの人はマリアの処女懐妊すら信じない。異言ももちろん信じない。それは廃れた、と。私たちは異言は自由に経験している。すると奇跡は使徒時代までとすることには一貫性がなくなるのだ。つまり自己矛盾。・・・うーむ。

しかし、今回は迫られた、「イエスと同じ業をなし、さらに大いなる業をなすことを信じるか、イエスかノーで答えよ」と。こうなると理屈では逃げ切れない。神がガチで迫るのだから。もはやひれ伏すしかないのだ。かくして先週の金土日の事態が展開した。今、ようやく耳が聞こえることに喜びを覚え始めた。昨日までは実感が湧かなかったのだ。確かに聞こえるが、何か他人事のように感じられていた。女性ボーカルはほとんど聞こえなかった。Diana Krallが好きな私にはかなり悲しい事だった。それが今は聞こえる、WOW

そこで表題の疑問に対する回答だが、このみ言葉が与えられたところだ。

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。-John 16:12-13

そう、すべての神の国の事実を実体化してくださるお方は聖霊だ。私たちの心が聞くに堪えることができるようになる時、聖霊がそれを実体化(substanciation)してくださる。まことに

信仰とは、望んでいる事柄を実体化し(あるいは、実体)、見えない事実を確認することです。-Heb 11:1

それは聖霊が御言葉(ロゴス)をレーマとして語ってくださるとき生まれるのだ*1

実に、信仰は聞くことにより、しかも、神の言葉(Gk.レーマ)を聞くことによって始まるのです。-Rom 10:17

*1:Logosは事実を説明する客観的な言語、Rhemaは聖霊が私たちの霊に語ってくださる主観的なことば。それを聞くとき、必ずしも知性は同意あるいは理解できなくとも、霊で聞いたことはどうしても否定できないのだ。ここで霊と魂の分離が起きる。自分の中である種の困惑も生まれる。この感覚が極私的には「まじかよ」とか「やばい」となるのだ。

マイ・不信仰の証し

KFCの当初からのメンバーのご夫妻がいる。彼らは実に素朴かつ単純な信仰で、主を求めることには一筋だ。彼らとの関わりは、まさに私の不信仰が炙り出される機会の連続だった。

10年以上前、ご主人がある件に巻き込まれて、祈りを要請された。状況を伺うと、極私的にはほとんど絶望的。彼は人生を失う崖っぷちだった。とにかく、私は主を仰いで祈った。が、信仰は持てなかった。・・・ところが事態は、驚くべき展開を見せた。彼はその件からきれいに解放されたのだ。むしろイエスを証しして。私は心の中で「ありえない・・・」と呆気に取られるだけだった。

次の機会は6,7年前か。奥さんが心臓をやられて救急車で運ばれた。病院に着いた時にはDOA(心肺停止状態)。ご主人からの祈りの要請を受けたが、私はまじでビビった。無理だろ・・・・、と思いつつ形だけでもとにかく主を仰いだ。・・・・ところが事態は、結論を言うと、彼女は未だに元気そのもの。

そして3度目は5年くらい前か。今度はご主人が悪性の肺炎に罹り、脳障害を起こして意識不明だと奥さんから祈りを頼まれた。X線の肺は真っ白で、抗生物質をいろいろ試しても反応しないとのこと。この時は長かった。医者も原因が不明で匙を投げた感じだった。そうこうして1カ月位経ったろうか。もちろん、私は諦めていた。・・・・ところが、事態は、結論を言うと、彼は未だに元気そのもの。

彼らが特に用いる信仰がイエスの血潮である。ご主人は意識もうろうとする中でタンカで運ばれる時も「イエスの血、イエスの血・・・」とつぶやいていたと、奥さんはこんな時に医者の前でと困惑していたと言っていた。

それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。-John 20:27

●IT'S THE BLOOD!







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